【積読日記】新世界より
数年前、過去の名作と呼ばれる物たちを読んだことがなかったので読もうと思って買いこんだ結果、積読として埃を被っていた書物がいくつかある。貴志祐介の「新世界より」もその中の一つである。おそらく、5年近く本棚に眠っていたはずである。
本作は1000年後の日本を舞台にしており、呪力(呪いとはあるものの、この力はサイキッカーのようなもの)に目覚めた人類の物語である。この本は渡辺早季が書いた手記という形で描かれており、中央値ではないがおおよそ少年期、青年期、壮年期で上中下巻に別れている。早季を始めとした主人公たちは(意図していたかは別として)自分たちの暮らす世界の真実を解き明かしていくのだが、私たち読者も彼らと共に世界の謎に迫っていけるので、ミステリやSFが好きな人は読んで損はしないだろう。
中身の話に移ると、この世界は神の力とも称される呪力を持ちながらも慎ましく暮らしている人々が描かれる一方、バケネズミと呼ばれる醜く知能も低い(一部個体人間と意思疎通できる)動物が労働力として使われていたり、不気味な生物たちが日常に溶け込んでいたり、昨日までいたクラスメイトが急にいなくなっても(早季を含めて)気にしなかったり、不穏な雰囲気がそこはかとなく感じられる。早季たち5人の少年少女が世界の謎に触れていく度にヴェールが捲れていき、隠されていたグロテスクな世界が見えてくる。
序盤がつまらないという話も見るが、ホラー作家らしい不穏な描写を交えながらこのディストピアの真実が露わになっていくストーリーのおかげで個人的には上巻から没入できた。また上巻のバケネズミの抗争も世界の真実に迫る重要なピースであり、中巻の悪鬼や業魔の話を含めたこれまでのピースが当て嵌まり始める下巻までを、本作は文庫本で1300ページほどあるが、一気に読ませる魅力があったと思う。
特に最悪(褒め言葉)だったのはバケネズミの真実に関連したものである。ミノシロモドキを手にしてそれを知ったスクィーラの屈辱と憎悪は凄まじいものがあり、逆に奇狼丸の崇高さには頭が上がらない。それに比べて何も知らない人間がスクィーラを笑いものにしていたのは滑稽極まりなかった。作中でバケネズミが人間を指して神様と呼ぶが、これに対して違和感を感じず、そして自分たちは力・精神共に優れた種族であると無邪気に信じている人間たちの変わらない愚かさ。彼らは紆余曲折を経た妥協点であり、この世界を形作った人々もそのグロテスクさを理解していたと思うが、それを意図して隠されていたと言え、あのシーンには変わることのできなかった人間たちが描かれていたように思う。本当に性格が悪い(褒め言葉)。
ところで、本作は冒頭に「人間の記憶はあやふやで都合良く書き換えるものだ」と書かれていたが、これは単なる早季の述懐なのか、何らかのギミックなのだろうか。ところどころ地の文が当時の早季と今の早季で入れ替わっているところがあったので、もしかしたら叙述トリックのようなものが使われていたりするのだろうか。年表のような形で出来事を書き出せば何か見つかるかもしれないとは思ったりしたが、十年以上前の作品ということもあるのでまずはネットの海にでも漂ってみようと思う。