考の証

要は健忘録

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか

 タイムパラドクスゴーストライターとは、週刊少年ジャンプで2020年24号から39号まで連載された全14話のジャンル不明な概念漫画です*1。本漫画は連載1話目から読者各位に困惑を呼ぶとともに、連載期間中Twitterで最も言及された作品と言っても過言ではないでしょう。

 「これだけ主人公である佐々木君に対して憎悪とも呼べる反感があるのは作者が伝えたい事と読者に伝わっている事に乖離があるのではないか。」

 連載4話目にして未だに1話目の話を擦られ続ける佐々木君の話を見てそう思ってしまったが為に、私はタイムパラドクスゴーストライターという正体不明の沼に足をとられて沈んでしまいました。それからというもの、月曜0時からジャンプを読んでタイパラについて考え、起きてからもあらゆる空いた時間があるとタイパラについて考える生活を3ヶ月近くしていた。リアルタイムで読んでいた時の感想については下記リンクから辿れるので笑いながらでも読んでほしい。
togetter.com
 そして連載の終わったはずの今週でさえもタイパラについて考えてしまっている。シャワーを浴びながらタイパラについて考えていたので、もはやシャワーを浴びるとタイパラのことを考えるようになってしまった。辛い。

 そういう訳で『タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか』というテーマでブログを書き進めているところである。とは言っても、本当に何だったのかということを語るのは非常に難しいので、ひとまずは各話を振り返っていきたい。

タイパラを読む心構え

 タイムパラドクスゴーストライターとは、やがてその意味に気付く物語である。各話の展開について、後から振り返った時にその真の意味を知ることになる。真の意味、といっても書いてある通りであるのがタイパラの凄いところだ*2。そう、タイパラは全てが明確に描写されている一方で描写されたときにその意味を理解することが非常に困難なのである。
 そこで役に立つのがセンター試験での現代文を解く読解力である。センター試験の現代文で満点を取る方法は「書かれていることを正確に読み解くこと」である。書かれていることを読み落としてはいけないのは当然であるが、それ以上に書かれている以上に深く考えることも厳禁である。タイパラでは深く考えた瞬間に色々な描写に躓いて先に進めなくなる。というのも、物語のストーリー及び伏線がそのまま描かれる一方、それを彩るフレーバーやノイズが非常に多い*3。また、佐々木君や藍野伊月に対する自分自身の感情すらも読み込むうえでは邪魔になってしまう。つまり、タイパラを読むときには自らの感情をフラットにした上で的確にノイズを削ぎ落としてストーリーの本質を掴まなければならない。このことから私は「タイパラの読解=化石掘り」という概念を提唱している。余分な場所を削ぎ落として物語の骨格を見出すのがタイパラの読み方なのだ*4

 そういう訳で、今回は各話で何を読めていればよいのか(何を読まなくてよかったのか)という観点で綴っていく。

第1話 週刊時空をジャンプ!

 伝説の1話。最初にジャンプという雑誌や漫画家になる方法の説明がありますが、特に読む必要はありません。なぜならタイパラは漫画家漫画ではないからです。これは非常に重要な概念なので覚えておいてください。まず初めに菊瀬編集とのやり取りから未来のジャンプが届くまでに理解すべき情報は以下のみです。他の事も気になると思います、気にしないで下さい。

 1.佐々木君には作家性がなくて空っぽなので話は面白くない*5が、他の能力は批判されていない。
 2.佐々木君はみんなが楽しめる王道漫画を描きたい。
 3.菊瀬編集の言っていることは正しい(が、覚えていなくてもよい)*6

 さて、夢を諦めかけた佐々木君の下に雷と共に未来のジャンプが送られてきます。そこに載っていたホワイトナイトを読んで感銘を受け外に駆け出しますが、もう一度読もうと部屋に戻ると置いた場所からジャンプは冷蔵庫の横へ落ちてしまい、佐々木君はジャンプを見つけられませんでした。徹夜していたので仕方ないですね。そのため、彼は未来のジャンプを自らの頭の中からあふれ出た白昼夢であると思ってしまい、ホワイトナイトを描いてしまいます。ここで佐々木君は一度だけ読んだ連載1話を読切版へと大胆に変換しますが、これは佐々木君が前述1で批判されなかった能力、つまり話を構築する力や絵、コマ割りなどの能力に申し分ないことを証明しています*7。ちなみに佐々木君はこの時点で二徹してますが、佐々木君はこれから努力の方向や効率ではなく時間でのみ勝負を仕掛けています。これは佐々木君が漫画家としての能力を十二分に持っていることから成長という縦軸が取れなかったことの裏返しであると言えます*8

 また少し話は変わりますが、作品を通してホワイトナイトに関する描写が薄くなっています。作中で読んだ人が面白くて泣くという意味の分からないふわふわした描写しかされませんが、これはタイパラが漫画家漫画ではないからですホワイトナイトとはマクガフィン*9であり、タイパラにおいては佐々木君が藍野伊月と交流する為に出てきただけの存在です*10。それ以上でも以下でもないので「ホワイトナイトはみんなが楽しんで読める超人気漫画なんだな」っていうことを分かっていれば問題ありません。

 まだ1話で語るべきことは多くありますが、終わる気がしないので一旦ここで締めます。 

第2話 始まってしまった物語

 後戻りできないポイントである回。ここで佐々木は未来のジャンプが本当に届いており、ホワイトナイトを盗作してしまったことに気付きます*11。ちなみにSFの説明も入りますが特に読まなくてもいいです。タイパラはSF漫画でもないので…。

 そして「後戻りできないポイントはここ」「今なら引き返せる」として電子レンジのコードを切ろうとした佐々木君は編集からの電話に出て連載ネームの打合せを優先してしまいました。この打合せにて佐々木君は編集の説得とファンレターによってホワイトナイトの連載をすることを初めて考えます。ここで佐々木君が人気漫画家の座にしがみついたなどと非難されていましたが、佐々木哲平の名で世に出してしまったので現実的に佐々木君が描くしか選択肢がないこと、またホワイトナイトの続きを読んで名作であることを再認識したことから、この名作を読者に届けないのは裏切りであると考えた末の選択と言えます*12。この辺りは1話の「みんなが楽しめる漫画を描きたい」という佐々木君の意思が捻じれて発露しているようにも思えます。

第3話 同類

 ホワイトナイトの作者である藍野伊月が現れた回*13。ここでの藍野伊月の「あなたにしか描けない、伝えられないもの。そんなものはない空っぽな人間ですか」という問答は佐々木君にとってはそれはマイナスなことである一方で、藍野伊月にとっては圧倒的なまでにプラスであり、藍野伊月はそれこそを信念にしている作家です。だから佐々木君は自分が空っぽな人間であることに苦しみ、せめてと張った虚勢こそが藍野伊月の求めていた答えに結びついてしまいます。その後佐々木君は釈然としないまま会話を続けていきますが、それはその答えが本気で正しいとまでは思っていない、もしくは藍野伊月のことを正しく理解できていないためです。二人は同じ場所に立ちながら全く逆の向きに立っていたんですね。今でこそそう読めますが、当時その読み方が出来るかと言われれば無理です。お分りでしょうか、これがやがてその意味を知る物語です。
 ちなみに藍野伊月は佐々木君が同類であると確信して、ホワイトナイトを託す宣言をしてそのまま一人満足して帰っていきます。藍野伊月はちょっと変な天才なのでいいんです、可愛いですしね。

第4話 贋作

 ホワイトナイト連載のため体制を整えたところ、アシスタントとして藍野伊月が現れる回。藍野伊月以外の3人はフェードアウトするので覚えなくていいです*14。また、4話冒頭の佐々木君の気付いた「あること」は「真相を伝えると藍野伊月を傷付け、最悪の場合漫画を描くのをやめてしまう」ということであることが示されていますが、これについては明確な気付く描写がない事、また特に進展ないまま延々と引っ張られるために本気でうんざりするので考えない方が良いです*15
 4話の本題として漫画家漫画のような連載システムの紹介、アシスタントのデジタル作画などの話がありますが、タイパラは漫画家漫画ではないので意味はありません。更に佐々木君はホワイトナイトの絵について悩んでいますが、この絵に対する悩みも意味はありません。強いて言えば、佐々木君がホワイトナイトを描くに辺りまだ心の奥底では納得できていないことが絵への違和感として表れており、この違和感を解消するために本当の作者である藍野伊月から禊を受ける必要な工程というのが相応しいでしょう*16。未来の作者である藍野伊月が原稿に満足していないことに気付いた佐々木君はこのままでは出せないと原稿を素手で引きちぎりますが、彼の腱鞘炎が酷くならないかが私は心配です*17。腱鞘炎が酷いときは字を書くのすら無理なので、その状態で50ページ近い紙をぶち破る佐々木君は凄いんだよな。

 ちなみにタイパラではセリフの吹き出しの特殊効果がつけられることが多々あり、よくあるのはセリフに対してフキダシの縁が筆で不穏なテイストなものが主です。他には、3話の藍野伊月の「空っぽな人間ですか?」ではフキダシが完全透明に、4話の「完璧ですねこりゃ!」はフキダシが半透明になっており、前者は空っぽを強調して後者では見え透いた嘘という意味を持っていますが、フキダシを透明にする手法はこれ以降出てきてはいません。

第5話 本物の偽物

 佐々木君の禊が行われる回。引き続き絵について悩む佐々木君ですが、入稿とかトレースとかを理解する必要はないです。そして現れる藍野伊月は謎なセリフを吐いてきますが*18、重要なのは藍野伊月からホワイトナイトを自由に描いて下さいと言われたことです。それによって佐々木君は雑念を払ってただ「みんなを楽しませたい」という思いが詰まったホワイトナイトをその思想に則って描けるようになります。なので本質としては「誰の絵でもよい」んです。「本物を真似する」という考えそのものが「みんなを楽しませたい」という思いを汚してしまうから佐々木君は自然に描ける自分の絵で描くだけなんです*19
 ちなみに、この話で編集はキャラ書き直しについて「締め切りまで9日間しかない」と猛反対しており、佐々木君の熱意に押されて朝までに書き上げることを条件として提示していますが、次に編集が原稿を見る描写が描かれるのは9日後の朝なので、正直ここのやり取りはあまり意味が分かりません。次の日の朝に何らかの気付きがなければもう1回目の原稿で行くよって話かと思ってたんですが、9日後…?ってなるのは私が漫画家に詳しくないからかもしれません。この後も編集の挙動はよく分からないものになっていますが、タイパラは漫画家漫画ではないので…。

第6話 ストップ!

 ホワイトナイトの連載が始まる回*20。この回は佐々木君は自分の絵をアイノイツキのホワイトナイトと比較して下に見ているんですが、そうなるとなぜ佐々木君がトレースしていないかと躓くかもしれませんが、それは前話の禊と思想の話が答えになりますのでご容赦ください。
 この回では他に、藍野伊月が手塚賞入選を果たしてみんなで焼き肉を食べに行きます。ここでアシスタントの一人である五十嵐から身の上話を伝えられますが、特にこれ以降言及されることはないので放置して大丈夫です*21。そして佐々木君は藍野伊月から「連載って大変ですか?」と聞かれてから連載作家にマイナス印象を与えないよう「楽しいよ」と伝えるとともに正月、節分、花見とイベントを楽しむ描写が続きます。漫画は?だから漫画家漫画ではないので。
 そして未来のジャンプが届き始めて1年が経ったとき、佐々木君の電子レンジに届くはずのジャンプが届かないのでした。

第7話 タイムパラドックスゴーストライター

 「まさか絵だけじゃなく…物語の続きも俺が描くしかないのか!?」「せやで、それが普通や。」となる回です。1号分飛ばして届いたジャンプに載っていたのはホワイトナイトではなく、作者であるアイノイツキの訃報。色々考える佐々木君に「ダッダッダダッフューチャーサンダー!」とか言って届くジャンプの贈り主、フューチャー君のメッセージ。そして読者は1話エピローグは佐々木君ではなく藍野伊月のためにあったものなのだと、その真の意味を知ることになります。
 7話でも色々情報が明かされていますが、この辺りの話は次回にも続くのでそちらで整理をしましょう。ちなみにこの話の最後は「継続」の鏡文字で1話とは白黒が反転しています。後ほど分かりますが、この継続は「(フューチャー君が)この世界線を継続するか否か」、鏡文字は「佐々木君を見つめる存在(つまりフューチャー君)がいること」を示していると考えられます。

第8話 メッセージ

 √144とは何か、何もわからない回。扉絵はいい感じですよね。この話でフューチャー君が佐々木君に色々指示を出してきてますが、フューチャー君はオリジナルの世界線(フューチャー君介入前の世界)で知りえるはずのない情報(藍野伊月の新連載、富くじ)について知っていることから、フューチャー君は世界を何回かやり直していることが分かります*22。これまでの話を考えると、フューチャー君が佐々木君に未来のジャンプを送っていたのは、佐々木君にホワイトナイトを描いてもらうためであり、つまりこのホワイトナイト盗作劇はフューチャー君によるものであることが明かされました。
 その一方で、このときフューチャー君は佐々木君のあらゆる質問に対してまともに答えずに自らの願いのみを伝えています。それでも佐々木君は勝手に頑張ってくれるんだから良い操り人形なんですよね。選ばれるのも納得。ちなみに話に出てきた佐々木君の借金問題はこれ以降全く出てこないので考えないでください*23。タイパラを読むとはそういうことです。

第9話 白紙の続き

 突然人相が変わる回。あまりに隈がはっきりしているのでスポーツ選手のアイブラックのように思えてします。ちなみにこの回はホワイトナイトを一言一句、コマ割りすら変えずに連載するうえで最も強敵となる編集は全く仕事していなかったことが分かる回でもあります*24。ただそんな編集でも佐々木君オリジナルの46話についてはコメントをするようで、佐々木君の実力がまだまだなことが分かります。まだ46話に至るまでには9~10話ほどかかりますので、締め切りも考慮して2ヶ月間でどうにかするのでしょう。そして地味に佐々木君の作画技術が褒められた後に佐々木君の師匠の話が出てきますが、一体どんな人物で、どうかかわる予定だったんでしょうか。2巻を待ちましょう。
 ブラック佐々木君との葛藤に苛まれながらも徹夜で頑張る佐々木君、46話どうなるの?って思っていると半年経ってスルーされます。おおよそ佐々木君オリジナルになって5~6話くらい過ぎているはずですが、その評価は全く出てこないまま藍野伊月が新連載を開始して勝負するぞ!って感じで次回へ続きます。困惑しかない。

第10話 藍野伊月

 唯一佐々木君視点ではない回。46話だけでなく勝負の行く末すらもお預けを食らいながら、ジャンプ妖怪おじさんを眺める回でもある。「面白漫画を描いて世界中のみんなを楽しませるの!」と明るく宣言する藍野伊月に対して妖怪は自分もそう願いつつ漫画を描いていたけど叶わなかったこと、それでも幸せであり楽しんで描いてほしいという言葉を藍野伊月に残して去ってしまいます。この妖怪が何者であるのかは全くわかりません*25が、このやり取りは藍野伊月のオリジンとなります。
 そして作中で1話の次に擦られた「透明な傑作」。これもホワイトナイトと同様でそれ自体を深く掘り下げることはありません。藍野伊月は「全人類が楽しめる漫画」として「誰にも嫌われない漫画」を目指しています。そしてそれを実現したホワイトナイトを描いた佐々木君と話すことで目指していた方向性が正しいことを確信してしまいました。だから3話は藍野伊月にとってのイベントであり、佐々木君にとってのイベントは4話以降に尺を改めて取ることになったんですね。このように改めて読み返すと意味合いが変わるのがタイムパラドクスゴーストライターです。こういうストーリーに関する書き込みは緻密に敷かれていますので無限に発見があります。
 そうして現在に戻ると藍野伊月のANIMAは30話連続1位であることが明かされ、ホワイトナイトは完膚なきまでに負けていることがさらっと流されます。また編集は藍野伊月のアシスタントの状況等も知らないようでほんと何も仕事していないんだなって思う一方、佐々木君と藍野伊月の担当という事実に可哀想だなって思ってしまいます。
 そしてそのまま藍野伊月は死の源流に捉えられました。藍野伊月は自らの居場所を世界に見出せなかった少女であり、居場所を見つける方法として全人類が楽しめる漫画を描いています。しかし、「透明な傑作」を描く過程で己を完全に殺してしまった結果、彼女は自らの存在意義すらも消してしまったのです。これは「過労死」とかではない「概念死」であり、最近のジャンプ流に言えば「散体」です。周りから見たら死んでしまったようにしか見えませんが、「透明な傑作」を実現したことによる昇天なのでそのあたりも「散体」にそっくりです。こうして藍野伊月の死の源流、そしてそれを導いた「透明な傑作」が明かされました。佐々木君は…?

第11話 勝敗

 佐々木君視点の回。46話以降も地味に順位を落としているといいつつ、2ヶ月後のANIMA連載あたりではまだ2位を保つ。もうここまで来ると慣れたもので、描写がないのは漫画家漫画だからということで納得できますね。そしてANIMAに勝てるネームができた頃に藍野伊月の状態を知って電話をする佐々木君。この辺りでも藍野伊月は佐々木君よりも健康そうに見えますし、やはり過労死ではなくて散体なんだなと実感できます。
 そして藍野伊月の死を聞いてフューチャー君にキレ散らかす佐々木君。そりゃ周りから見たら過労死にしか見えませんので仕方がありません。そうすると佐々木君は冷蔵庫の中に消えていきました。

第12話 未完の世界

 「時空の狭間」或いは「物語の空白のページ」の回。フューチャー君はここで佐々木君に真実を伝えますが、ここのセリフからフューチャー君の世界介入の権限と自由度が恐ろしく高いことが分かります。藍野伊月の死を止める為に取った手段は、入院やカウンセリング、他の人間を使った説得や漫画を描けない環境へ閉じ込めるなどなど。「しかし止められなかった」のシーンでは佐々木君と共に藍野伊月の死亡時の姿を確認しています。そのため、フューチャー君はいわゆる世界ループではなく、任意の時点からの【運命拒絶(セーブ&リセット)】を使える上に様々な事象への介入手段を持っていると考える方が良いでしょう。つまり、1つの世界線を最後までこなさずとも気に入らない展開になったらすぐ戻ってやり直せばいいんです。実際、フューチャー君の中で佐々木君にホワイトナイトを描かせることは絶対事項であり、懸念されるあらゆる事象を排除して行われた劇がこの1話から11話の物語ということになります。2話目にして佐々木君が嘆いていた「後戻りできないポイントはどこだ!?」というセリフが意味深ですね。佐々木君が後戻りするためのあらゆるポイントはフューチャー君によって丁寧につぶされたと言ってもいいでしょう。佐々木君に対して感じていた私たちの違和感もこの際全てフューチャー君に投げてしまいたくなります。また、佐々木君が選ばれた理由は2029年に週刊少年ジャンプに読切を掲載させ、藍野伊月のスランプを克服させる原因を作ったためとされてます。佐々木君は藍野伊月と同類であるとフューチャー君は考えていますが、この辺りは3話でも述べたように佐々木君と藍野伊月では同じ場所に立ちながら見ている景色が違うことが示されていましたので、連載が続けばその違いも描かれたかもしれません*26
 さて、このフューチャー君の盗作による藍野伊月の挫折は目論見を外し、ホワイトナイトによるANIMAの敗北は佐々木君の力不足であることにより失敗に終わりました。自身の力も残り僅かとなってしまった為にフューチャー君は世界を停止させることで物語を未完とし、藍野伊月を保存する手段を取ろうとします。それに「やめろ!それじゃ死んでいるのと同じだ!」と反対する佐々木君のセリフはタイパラ中で最も共感できるものとなっています。そんなこんなで最後の選択を託された佐々木君は元の世界へと帰還するのでした。

 ちなみにこのフューチャー君、「それが親心なのだ」と言っている辺り、やはりジャンプ妖怪おじさんと関連していることが示唆されています*27。元から劇中作の登場人物であるせいか、フューチャー君はメタ的な発言が多い。「人の『想像する力』が生んだ幽霊だ」「とある作家によって生み出された物語に必要だったキャラクターに過ぎない」などという発言に連なっているため「君に理解してもらうためには少々時間が足りない」というのはタイパラが打ち切りに遭うこと言っているのかと思ってしまう。なんにせよ、妖怪とフューチャー君、√144などは2巻にて解説が待たれている。

第13話 Writer

 止まった時の中で藍野伊月を越える漫画を描く佐々木君を見る回。今読み返して気付いたが、46話以降を描き直すとなるとANIMAまだ連載してないな…?
 796日目までホワイトナイトを描き続けた佐々木君。これまでインプットしていなかったことに恐怖を覚える。2411目で完成したホワイトナイトを持って時を動かそうとするが、佐々木君は「まだやれるのでは?」と描き続けることを選択する。3175日目にして5回目のホワイトナイト完結を迎えてから、佐々木君は「ホワイトナイト」を超える作品を描くためにオリジナル長編を描き始めました。そして12472日目には18作目を完結させる。この前後にて佐々木君の目の描き方が違うため、この間に何も伝えることのない空っぽな作家が藍野伊月へ届けたいメッセージを見つけたのでしょう。
 つまり、ここで佐々木君はもう自らを「空っぽではない」と宣言している訳です。3話目の藍野伊月とのやり取りの中、藍野伊月は自らの言説の証明を夢見ましたが、佐々木君は藍野伊月に同調しつつも完全についていくことはできていませんでした。これは佐々木君が自ら空っぽであることや作家性やメッセージが必要なのかと悩んでいた答えとして、「透明な傑作」は相応しくなかったということでしょう。佐々木君はアイノイツキと同じ高みに達した時、佐々木君は「透明な傑作」に別れを告げて自らの答えへ歩き出していきます。

最終話 あの頃

 時を戻した佐々木君が藍野伊月に会いに行く回。佐々木君はホワイトナイトの46話以前の世界に来ているかと思いきや、そのあと藍野伊月が「最近のホワイトナイトは面白くない」というため、一体どの時間軸に戻ってきたのかさっぱりわからない。もし46話以前の世界なら連載始まる前に「これならANIMAに勝てる」と勝負を仕掛ける佐々木君は大人げない。
 そして佐々木君は読んでほしいネームを藍野伊月に託します*28。それを読んだ藍野伊月は「あれこそ「全人類が楽しめる漫画」ですよ!」と褒めたたえ、その領域には至れないと諦めて「透明な傑作」を目指すことをやめると言います。そして藍野伊月は「透明な傑作」を求めていたのは自分が嫌われるのが怖かったからであると認識し、純粋に漫画を描くことを楽しんでいた原点を思い出し、楽しんで描くことを夢とすることとしました*29。一方で、そんな藍野伊月に佐々木君は「あれは全人類が楽しめる漫画ではない」ではなく*30、誰からも愛せる漫画を作ることはできないと言います。そして描いた漫画はたった一人の誰かに届くだけでもよくて、自分がまず楽しんで描く幸せを持つことが大事なんだと言って藍野伊月も同意します。そうして二人はそれぞれ10年後も漫画家を続けているところで終わりを迎えます。藍野伊月は可愛いですね。

 さて、ここまで読んで皆さん気付いたでしょうか。そう、菊瀬編集の言葉は絶対的に正しかったのです。佐々木君は地元に帰って漫画を描き続けることで読切掲載までに至り、その作品は藍野伊月のスランプを克服するきっかけとなります。また結局のところ、佐々木君のいう「みんなの楽しめる王道漫画」というのは「透明な傑作」を否定する上で間接的に否定された結果となります。佐々木君の思い描いていた「みんなの楽しめる王道漫画」なんてなかったんですよね。悲しい。
 一方で「自分が楽しんで描く」「誰か一人に届いたらいい」ということからも読者という存在を意識せずに自分が描きたいものを描き続けることが大切という結論となっています。それは商業誌に連載する作家としてどうなの?タイパラとは、読者のための漫画家漫画ではなく、漫画家のための漫画家漫画だったのでしょうか。私は漫画家でも編集者でもないのでわかりません。


 ひとまずタイパラ全話を振り返ってみました。自分でも読み返してみると色々発見がありましたので本当に無限に発見のある漫画です。さて、全話を振り返ったのは「タイパラとは何なのか」ということを考える為でしたが、私には全然分かりません。全編通して漫画家漫画を装い、概念について語られていたように思えます。

 疲れたので今回はここまでで終わらせていただきます。まだ来週何かしらタイパラに頭が縛られてしまっていたらまた何か書きます。この記事が皆様のタイパラへの理解に役立てば嬉しいです。それでは。


⇒to be continued...
qf4149.hatenablog.com

*1:号数と話数が合わないのは合併号のため。

*2:この技術は普通に凄いと思うので次回作期待してます。頼むから普通の漫画を描いてくれ。

*3:例えば第8話の佐々木君の借金問題。

*4:しかしセンター試験とは違って設問はないため、まず読んだときに「なぜ?」という問いかけを自ら思いつき、それを解決するために読み込むという作業が必要です。

*5:佐々木金は4年間持ち込みをしていますが、この期間は夢を諦めるために妥当な期間として設定されたのでしょう。しかし、4年間持ち込んだ佐々木君のストーリーテラーとしての能力がこの程度であるという描写は佐々木君に過剰なヘイトを呼ぶ原因になってしまった。

*6:作中最も正しかった菊瀬編集はこの作中唯一と言っていい被害者です。可哀想。

*7:佐々木君はネームを描けない原作者が相方であっても作画担当としてやっていける実力を持っていることが示されています。しかし、あらゆる擁護も4年間という虚無の時間に呑まれて消えて行ってしまいました。

*8:本当にそう思うか?

*9:東京喰種で知った人も多いと思いますが、キャラを動かす動機や話を転がすための設定のことを指します。ルパン三世が狙う財宝とタイパラにおけるホワイトナイトは等価です。

*10:まあそれも最後の最後で捨てられてしまうのですが…。

*11:本当にこの頃の佐々木君のギャグテイストな顔がキツイ。1話の展開自体がかなり荒れていた上にこの表情であったことが更に油を注いだのではないかと思っています。手癖で白目ハワワを描くのをやめろ。

*12:未来のジャンプが送られてきてホワイトナイトを盗作してしまったについて、「でもきっとこれは義務だ」というのはちょっと勘違いが激しいのは同意しますが、そこから佐々木君がジャンプ連載作家の座にしがみついたとまでは言えません。せめて都合よくこの現状を解釈して罪悪感を軽減させようとしたくらいが限界です。佐々木君の好感度が著しく低いのでそう思ってしまうのも仕方ないかもしれませんが、そこはフラットになりましょう。。

*13:白目ハワワはマジでやめろ、手癖で描くな。

*14:きっと連載がもう少し長かった場合、赤石君あたりが藍野伊月のアシスタントとして働いていて、様子がおかしくなるところを見てアシスタントを追われたときに佐々木君へ話に行く話があったんじゃないかな。藍野伊月の結婚相手候補No.1は彼だと思っています。

*15:3話にて藍野伊月は佐々木君も同じ答えに至って非常に完成度の高い作品として昇華させたと思っています。この同類に出会えたという藍野伊月の思い込みは非常に重要であることが後に描かれますので、真実を明かす行為はせっかく出会えた同類がいないことを藍野伊月へ突きつけ、その気付きを否定するためにショックを受けるのは妥当ではあります。一方で当時の困惑度合も含めて佐々木君が藍野伊月のその辺りの心境までを気付けていたとは到底思えませんし、そこから筆を折ると思い込んだ理由も不明です。第一、藍野伊月は狂人なのでその程度で筆を折ることはないと後で読者は知ることになります。

*16:3話で託す発言されていますが、前注釈にある通りこれは藍野伊月にとってのイベントであり佐々木君イベントではありません。

*17:佐々木君の右手のテーピングは手首の動きを固定するためのものです。私も過去に腱鞘炎が酷かった時にこのようなテーピングをしていました。腱鞘炎のように関節を痛めると一生治らない(寛解はします)ので、みなさんは関節を大事にしてください。

*18:そういえば「佐々木先生は!!鳥です!!」の考察を見た記憶があまりないんですが、もしかしてここで出てきた「何物にも縛られず『自由』気ままに大空を舞う鳥なのです」の自由が√144に繋がるんでしょうか。間違った道を歩む藍野伊月から正解が与えられるとは何たる皮肉か。

*19:みんなを楽しませたい、という割には佐々木君自身は楽しくありません。1話の佐々木君の「みんなを楽しませたい」には菊瀬編集も含まれていませんでしたし、「みんな」って難しいですね。

*20:「代筆」という謎ワードが出てきた回で盗作でやんや言ってた人たちも、そうじゃない人たちも荒れた回でした。まだ話の方向性が全く見えていない状況でどっちのはしごも外してるんだからそうなる。

*21:五十嵐の状況は佐々木君と似ているという言説もよく見ます。おそらく「何が面白いか分からない」というスランプは「楽しんで描く」というテーマの裏返しなのでしょう。でも佐々木君は賞をとっても読切デビューすらしていない子な上に自分は面白いと思ったものを面白くないと一蹴されているので全く似てはいないですよね。

*22:少なくとも佐々木君にホワイトナイトを描かせた後、藍野伊月は新連載を描き上げて死の源流に捕まって死んだという最低1回の試行は行われているはずです。

*23:佐々木君がお金や連載作家というポジションを目当てにしてホワイトナイトを連載していないこと、また次週富くじが当選していたことからフューチャー君が真実を伝えていることの描写として考えるのが妥当です。そのため、どう借金をしたのかや借金の用途、現在の佐々木君の生活がどのように成り立っているのかを考えてはいけません。ちなみに最後まで読んでも佐々木君は借金を返済したのか、そもそも藍野伊月にホワイトナイトの収益を余さず渡せたのかは分かりません。

*24:8話にて急に佐々木君がホワイトナイトについて研究しだしてましたが、本来であればホワイトナイトをそのまま現代で描くのであれば佐々木君はホワイトナイトへの理解を深め、担当編集の疑問や指摘について躱していかなければなりませんでしたが、そんなことしていません。そうした描写があれば急な覚醒とならずに納得して読めていけそうでしたが、この辺りは8話の展開をしたかったからかもしれません。まあ、編集仕事してない問題についてはホワイトナイトは全人類が楽しめる超人気漫画なので、そのままネームを出しても指摘があること自体ありえないと考える方が良いでしょう。

*25:佐々木君か?と思いつつもそうするとフューチャー君を連載していたと思われる妖怪とのタイムパラドックスが生まれてしまう。一方で、この妖怪は作中で藍野伊月を「伊月ちゃん」と呼称した唯一のキャラであるため、時空へ干渉しているフューチャー君と何らかの関係があることは確実です。また「私も伊月ちゃんと同じように新しい道に歩むことにしました」という書き置きから、やはり佐々木君では…?と思ってしまう。ほんとなんなんだこいつ。そもそも創刊号から全部のジャンプ持っているってその頃から時空渡り歩いていたのか。フューチャー君と佐々木君に割れたの?はよ誰かこいつの正体について教えてくれ。

*26:ちなみにフューチャー君はこれを「君は真に受けなかったようだが」と言っているため、なぜ佐々木君を選んだのかを説明した世界線も経験済みであり、そちらもうまくいかなかったようですね。「君に伝えても余計な思いを与えるだけだからだ」というセリフはそういった経緯を踏まえてのセリフでしょう。分かりにくい。

*27:元から妖怪の描いた作品中のキャラクターですしね。「私に人の心はなく…」という割にそういった親心を見せたり、佐々木君に迷惑をかけた償いをしようとしたりしているところを見ると、これは彼自身が人ではなくなったことに対する自嘲なのかもしれない。佐々木君に歩ませた道程や行く末の選択肢の意味のなさを見るに、本当に人の心はなさそうですが…。

*28:無限の時間があったのに何で描き上げていないのか?それは話そのものが重要であり、絵はどうだっていいと解釈するしかありません。ホワイトナイトの連載でも佐々木君は絵に悩みますが、結局は絵の上手さなどではなくホワイトナイトを描く上で「みんなを楽しませたい」という思想を純化する方向に舵を切っています。

*29:ジャンプ妖怪おじさんの「楽しんで描いて下さいね」に帰結する恐怖。そして最近の編集インタビューがまさかタイパラ番外編であった恐怖。あらゆる意味で怖い。

*30:このまま彼らは話し続けるのでさっぱりわからない方もいらっしゃると思いますが、藍野伊月は「透明な傑作」を信じていた漫画家ですから彼女が本当に面白い漫画と思うのは「全人類が楽しめる漫画」であるはずです。しかし、佐々木君が描いたものは藍野伊月だけに向けた新編漫画です。つまり、そういう思想を持つ藍野伊月にだけ響く漫画を描いたので、佐々木君は「全人類が楽しめる漫画ではない」と言っているんですね。だからこそ、佐々木君はアイノイツキが描いたホワイトナイトではなく、新編の漫画を描かなければならなかったということでもあります。それにしても概念の話をスムーズに進めるんじゃない。