考の証

要は健忘録

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか 〜真実編〜

 タイパラ2巻が発売されました10月上旬、表紙の七篠先生でまずは盛り上がり、そして番外編で見たことある展開があったり、色々な答えが得られたりして満足して語ることがなくなっていたと油断していたら、なぜかジャンプ+でタイパラ番外編が公開されていました。

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 もはやタイパラについて話すことはない。それがTLの総意であったにもかかわらず、この公開以降もなぜか毎日TLでタイパラの話で盛り上がり、ついにはYahooニュースやYoutube配信などがなされるという異常事態。みなさん落ち着いてください。もう連載は2ヶ月前に終わっているんですよ。

 ということで(?)今回はタイムパラドクスゴーストライターって実際のところ、何だったのかということを考えていきたいと思います。この記事、実はいうと5回程度書こうとして中々筆が進まずに終わっているので、なんとしても今回(11/11に書いてます)で終わらせたいと思います。ちなみにこれまでの記事の振り返りでもそうでしたが、基本的にこれらの記事ではこの漫画の稚拙さなどは取り扱いませんのでご了承のほどよろしくお願いいたします*1

タイムパラドクスゴーストライター とは何だったのか

 そもそもブログで記事を上げ始めたのはこれが目的でした。中々答えが見つからない中、「ぼくらのQ」や「試作神話」という過去作を読むことで本作への理解度や解像度が爆上がりしてから本作への考え方は大きく変わりました。そのため今回の記事は後日談の内容以外にも過去作からの言及が含まれているため、人によっては幻覚と言われてしまうがもしれないがそこは大目に見てください。

 さて、本作について最初の記事では「タイムパラドクスゴーストライター は漫画家漫画ではない」と断じました。これは今でも間違っていないと思いますが、2巻での後日談を見ると違う意味合いでの「漫画家漫画」であるように思えます。タイムパラドクスゴーストライター は他の漫画家漫画のように「漫画家としてのサクセスストーリー」を描きたかったわけではないでしょう。ここからは私の感じたことを書くので異論は大いにアリなのですが、タイムパラドクスゴーストライター は「創作者はそれぞれが唯一無二であり、それだけでこの世界で物語を描き続ける理由となる」といったエールであると感じました*2。これは後日談の師匠とのやり取りや菊瀬編集の「でもその後の3つは全部君にしか描けないね、だから面白かったよ」「君の漫画、誌面に乗ってなきゃ俺は読めないんだからさ」というセリフから、「君の描く物語は君にしか描けない」ということを言いたかったところが根拠となっています。その証左として師匠から「だって『ホワイトナイト』を描いている時のお前はしんどそうだったけど最近は楽しそうだからよ!」というセリフもそれを後押ししているように思えます。また後日談の藍野伊月曰く、変な漫画を描こうとして何度も打ち切りをもらう佐々木君の姿勢は、大衆受けする漫画(菊瀬編集の言う誰にでも描けるから人気の出た漫画)よりも自分の描きたい漫画を描く姿勢もそのような結論と相違ありません。そういった意味ではタイムパラドクスゴーストライター は作者にとってこれからも自分の描きたい物語を描き続けるという宣戦布告と言ってもいいかもしれません*3

佐々木君の評価について

 本作でもっとも誤解を招いたキャラクターである佐々木君。後日談まで通して読むと、彼の漫画家としての実力も(それと菊瀬編集の趣味も)明るみになってきました。佐々木君は1話時点ではストーリーテラーとしての能力以外は遜色なく、ネームを描かないタイプの原作者であっても原作がつけば連載が取れると評しました。半分「ほんとか?」みたいな気持ちで書いていましたが、結局のところタイパラ本編では作品を描く姿勢に関する思いや哲学のみが描かれていましたので、佐々木君の漫画家としての能力の成長を描く気が無かった(言い換えれば基本的な能力は1話時点ですでに持っていた)ということがわかりました。
 作中で描かれていたのは「漫画家としての個性」というところにつきます。タイパラでは「個性のなさ」に苦しむ佐々木君と「個性を殺す」ことで名作を生み出す藍野伊月が対比されていました。この二人は「個性がない」という点では一致していましたが、どのような作品を描くのかという姿勢については一致していませんでした*4。そういった比較もあって、無個性に苦しむ佐々木君に対して「君が描く漫画は君にしか描けないんだ」という答えが得られるのは非常に綺麗な流れでしたね*5

作中で明かされなかったジャンプ妖怪おじさんとフューチャー君に関する仮説

 ついぞ、ジャンプ妖怪おじさんやフューチャー君の正体が明示されることはありませんでした。彼らは何者であったのか。これは過去編でも触れていますが、後日談公開以降に「結局何だったんだ」というツイートを結構な頻度で見ていたので、改めてここで書いていきます。
 彼らは「ぼくらのQ」と「試作神話」から設定を引用すればおおよそどのようなキャラクターであったのかが理解できます*6。「ぼくらのQ」では世界に芽生えた自意識として『世界(作中で自身のことを世界と読んでいるため)』がおり、『世界』はシミュレーションシステムとして地球を幾度も作ってはそこへ『Q』と呼ばれる球体を作り出して送り込むことで「なぜ世界が生まれたのか(なぜ私は生まれたのか)」という問いに答えられる人を探していました。次に「試作神話」では世界改変の権利を持つ存在として榎本さん(試作神話ではヒロインに相当)がいますが、彼女は普通の女子高生として高校へ通いながらも神と呼べるほどの権利を有しています。これらの構造をタイパラに採用すると、『世界』はジャンプ妖怪おじさんに、『Q』はフューチャー君にあたります。また『世界』に対応するジャンプ妖怪おじさんはジャンプ作家として生きてきた経緯が作中描写でなされているため、「試作神話」での榎本さんのように普通に人生を歩んでいたと思われます。
 ここからは直接的な作中描写はありませんが、フューチャー君が現実世界に対して何度もループを行える権限を有していることを考慮すると、それを生み出したジャンプ妖怪おじさんは「漫画に描いたことを現実にできる能力」を持っていたと考えられます。フューチャー君は10話にてジャンプ妖怪おじさんが描いた作中作のキャラクターですが、このフューチャー君はタイパラにおける現実で「時間を元に戻す」という作中作と同じ能力を持って出現しています。*7。12話でフューチャー君が自身のことを「私は人の『想像する力』が生んだ幽霊だ」というセリフとこれらの話は合致します。
 さて、それでは「なぜジャンプ妖怪おじさんはフューチャー君を介して現実世界への介入を行ったのか」ですが、これは藍野伊月に関係します。ジャンプ妖怪おじさんはかつての自分と同じ願いを持った藍野伊月との出会いを経て「全人類が楽しめる漫画を描くこと」を再び目指すことが12話で明かされています。そしてここからは何も作中描写にない(いわゆる幻覚と呼ばれる)ものですが、ジャンプ妖怪おじさんが描いた漫画が現実へ影響を及ぼして藍野伊月の死を誘引したものと思われます。これはジャンプ妖怪おじさんが直接藍野伊月を描いたのか、藍野伊月との出会いをインスピレーションしたキャラクターを描いたのかは不明ですが、この漫画のキャラクターがどうやっても死んでしまうという自体に陥ったのでしょう。作中のキャラクターが勝手に動くという話は作家へのインタビューでよく見るものですし、メタフィクションを若干含むタイパラではそういった描写をしても問題はないでしょう。この藍野伊月の死というのはジャンプ妖怪おじさんにとっては受け入れがたいものであったため、この現実を改変するために時間遡行能力を持つフューチャー君を介して藍野伊月を救うというのが、1話以前にあった話であったと思われます。

 ちなみにこの仮説については以下の謎本TLにて出てきたもの(私だけで考えたものではないです)なので、この記事をわざわざご覧いただいた方にはぜひご一読を。
タイムパラドクスゴーストライターの謎本TL 〜ジャンプ全巻持ってるおじさん編〜 - Togetter

√144の謎

 こちらはTwitterで教えていただいたので、その内容を記載いたします。
 そもそも√144が出てきたのは、佐々木君の「お前は誰だ?」という質問に対する答えとして冷蔵庫に描かれたときです。「これが答えか?」と多くの読者を悩ませてきましたが、英語圏の方が以下の考察をされていました。


・佐々木君の「お前は誰だ?」という回答は「√144=12」から12話に答えがあると示唆されている。

タイパラはメタフィクションを含むので、こういった示唆の仕方もやり方としてあるのでしょう。またTwitterでよく見ていた「自由に自由に(12*12)楽しんで描いてください」というジャンプ妖怪おじさんのセリフとの共通項も示唆されていましたので、これらの意味合いを含むと考えると佐々木君の質問に対する答えとしても、洒落っ気を見せた回答としてもこの考察が最も説得力のあるものになるかと思います。

最後に

 タイパラは連載当初からTLを賑わせ、連載終了後に話すことがなくなった途端に公式がジャンプ+に後日談を公開したり、Yahooニュースに出たり、ラジオで紹介されたり、Youtube配信がされたりとまだまだこの世界にはタイパラが溢れかえっています。そんな話題の絶えない本作の読書体験をリアルタイムでできたというのは二度とはできない非常に幸運(?)な体験であったとも言えます。タイパラとそれを巡る読書体験は2020年の一夏の思い出になった人も多くいると思いますが、これらのブログ記事がそれを追体験できるようなものであれば幸いです。

*1:別にこの宣言はこの漫画に突っ込みどころがないとか、名作であるといったことを言うものではないです。もし私がそう思っていると思っている方がいらっしゃいましたらこちらを閲覧いただければ基本的に読んでいる時にキレていたことがわかると思います。⇒ タイムパラドクスゴーストライターの14話展開の感想 - Togetter

*2:この私の感じた結論がこの真実編の筆を何度も折らせた原因でもある。私は創作者ではない上、1話の佐々木君のホワイトナイト執筆経緯はあまりにもその思考回路がハッピーであるため、こう書くのはある意味で創作をしている人たちをバカにしていると取られそうだと思ったので。

*3:後日談の佐々木君打ち切り三部作に関する描写といい、「分かって」やっているようにしか思えませんよね。

*4:3話時点の藍野伊月の熱量に対して、佐々木君はその勢いに押されて同意していましたが積極的同意をしているようには描写されていませんでした(ほんとかな?)。フューチャー君によるタイムループ時にこの辺りの齟齬を描くためにあやふやにしていたと思えますが、これは幻覚……。

*5:やりたいことがわかったが故に惜しいと悔やむ。ツイッターのTLでよく見た評価でした。

*6:過去編でも触れたように原作者のこれまでの作品では世界改変の権利を持つキャラクターが出てきており、彼らは(意図的か否かは置いておくとして)平凡とされる主人公の物語について介入します。タイパラでもそういった構造は見えますので、物語の構造としては過去作に倣うのは自然だと思われます

*7:10話の作中作にてフューチャー君はフューチャーサンダーを使うことでバクダンの時を戻しています。実際のところ、フューチャー君の能力は「時間を戻す」というものではなく「任意の世界線の任意の時間軸へ介入する」というかなり強い世界へのアクセス権限を持っていますが、その辺りは英霊とかと同じシステムだと思えば良いでしょう。