考の証

要は健忘録

【積読2冊目】ケーキの切れない非行少年たち

 年末は長いこと体調を崩していたが、また今週の初めあたりから体調を崩してしまった。風邪やらなんやらで、免疫力が落ちているんだろうか。しっかり栄養を取って休むことを勧められたが、栄養とか何も考えずにひとまず野菜や果物食べてればいいだろうの精神で自炊しているので、これからは反省したほうが良いのかもしれない。


 さて、今回は去年Twitterで話題になった「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ。本書は児童精神科に勤務していた著者が非行少年たちのことを知るために医療少年院に勤務し、その経験を書いたものである。

 内容に入る前に犯罪を犯した未成年は少年法で守られていることに対して、反感を持っている人も多いのではないだろうか。かくいう私も、そう思っていた。少年法が成立された昭和23年と現代では時代が変わっている。当時は戦後ということもあり、困窮した少年(ここでいう少年は男に限らず女も含まれる)による窃盗や強盗が急増したことから、そういった少年を保護、再教育することが目的であった。それに対して今ではそういった生活が困窮したことが原因であることよりも、他の(「どうしてそんなことをしたんだろう」と首をかしげるような)理由のものも多く見られるように思える。これはそういった犯罪の方がセンセーショナルで報道が盛んにおこなわれることが原因の一つであると思われるが、生活レベルに関しては戦後と比較した場合は圧倒的に良くなっているといえるだろう。そういった理由から、私も少年法は改正、成人と同様にしても良いのではないかと考えていたのだが、本書を読み、その考え方が大きく間違っていることに気付かされた。

 いわゆる非行少年たちはなぜ犯罪に手を出すことになるのか。それは(全員とは言えないが)少年たちの生まれ持った性質に依るところが大きいと本書では述べられている。原因としては最近認知が広まってきている「発達障害」やまだ浸透はしていない「軽度知的障害」といったものと、それを有する少年たちの環境の問題があった。そういった障害を有する子でも、親がそれに気付き、病院へ行くような環境の子であればそういった非行に走ることは少ない。一方で、そういった障害が気付かれなかった少年は、「勉強ができない」「人間関係が上手く築けない」「それらが原因でいじめられる」などといったストレスを受け続ける。更に、学校という環境では(実際に効果があるかは不明だが)教師が面倒を見ようとするが、学校を卒業するとそういった眼からも離れ、孤立化することが非行へとつながる原因として挙げられていた。これらの原因として最も問題であるのは、そういった原因が周りの大人だけでなく本人ですら気付けずに放置され、適切な支援が受けられないことであると本書では述べられていた。

 本書では、そういった少年たちが世界をどう認識している(できていない)のかということを「ケーキが切れない」と具体的な例を挙げつつ紹介している。彼らは(IQ100程度の人と比較して)「見る」「聞く」などといった認知機能が低く、情報を正しく得られていない。そういった認知機能の低さから「勉強ができない」「コミュニケーションがうまく取れない」などの症状として表れるため、そういった子たちの支援ではまず認知機能の向上から取り組む。そうしなければ、そもそも自分の犯した犯罪の重さに気付くことができないそうだ。また犯罪を行った理由として、上記の症状やそれによるいじめなどのストレスをため込むことが原因であることから、被害者が加害者に転ずるが多い。彼らが適切な支援を受けられていれば、(必ず解決するとは言えなくとも)症状の改善傾向が見られ、そもそも彼ら自身が被害者にも加害者にもならずに済む。現在はそういった支援は少年院でしなければならない現状ではあるが、そういったサインは主に小学2年生から表れるため、学校での支援が被害者・加害者を生まないために重要であるとも述べられていた。


 本書を読んで思うことは、私は過去出会ってきた人のことを思い出した。勉強ができずに周りから浮いていた子がいた。話しているところを見たことがなく、何を考えているかわからない人がいた。仕事が不思議なほどできずに嘘をつく人がいた。そういった人たちはもしかしたらそういった支援を受けられなかったのかもしれない、と。
 ただこういった話をするとき、必ずといって差別の問題も出てくるだろう。例えば、Twitterで投稿した実録話に「それは発達障害の症状と思われるから医者に行った方がいいと思います。」のような素人による決めつけ、レッテル貼りが行われるところを見たことがある。それは善意かもしれないが、医者でもなんでもない人間が他人に向けて「あなたは障害を持っているのでは」なんていうのはたとえそれが真実であってもとてつもなく失礼にあたることだろう。似たような話を扱っていた某饅頭のフォローを外したのも、彼の背後にある差別意識がありありと見られたことが原因であった(また資料も正確に引用せずに自分の言いたいことに資料を寄せて使っていたところもどうかと思っていた)。

 ではどうしたらよいのか。正直、素人である自分には直接相手に何かできることはない。一方で、間接的ではあるが本書を紹介し、認知度を上げていくことが時間はかかるが自分にできる精一杯ではないかと思っている。そういった訳で、本書に興味を持った方はぜひ手に取り、読んでもらいたい。

 また、直接本書には関係がないが、そういった生まれ持った性質や環境といった本人にはどうしようもないモノに対して、どう社会は保証していけるのだろうか。これは、IQが低いといったことや家庭環境が悪いといったものだけでなく、その逆の場合でもそうだろう。頭が良かったり家庭環境が良かったりする人は、概して努力をすれば問題は解決できると思っているところがあるが、その努力は本当に当人の意思に依るところなのだろうか。たまたま出来の良い頭に、良い家庭環境のところに生まれたからではないのだろうか。もしそうであれば、今自分が不満ない環境で生きていけていることはただ運が良かっただけではないだろうか。「こうはなりたくない」と思う人は誰にでもいると思うが、あなたはその人に生まれたらそうならない自信がありますか、と。これは答えが何もないし、だからどうかという話でもないし、まとまりもないので今回はここで終わり。