考の証

要は健忘録

映画「AI崩壊」の感想と考察

 「AI崩壊」は見る気はない映画でした。元々邦画はあまり好きではないのが原因だが、正直その理由は自分でも良く分かっていない。万引き家族は破茶滅茶に好きなのだけれど、他の邦画は作りが甘いというか、物語そのものに魅力をあまり感じていないのかもしれない。はたまた、大画面で見るのが同じ日本人であるために虚構の中と分かっていても現実味を感じて嫌なのかもしれない。どうなんだろう。
 そういう風に思っていたけれど、AIの描写は本当の研究者が監修しているとの情報があったり、Twitterのたまに流れてくる感想では意外と高評価であったり、更にたまたま今日が1日で安く映画が見られると気付いたので行くしかないということで言ってみました


 結論から言うと、意外と面白かったです。


 元々は創薬系の研究でAIを活用していた桐生浩介は妻・のぞみのがんを治療するために医療AI「のぞみ」を開発したが、厚労省の医療機器申請が通すことが出来ずに妻を亡くしてしまった。その後、医療AI「のぞみ」は医療機器申請が通り、日本中に普及して全国民の個人情報と健康を管理していた。一方で桐生浩介は一人娘の心とともに妻の遺言である「これからはプログラムを書かずに娘としっかり向き合ってほしい」という願いに応え、シンガポールでAI研究とは無縁の生活を送っていた。移住してしばらくして、妻の弟である悟から医療AI開発に携わった桐生に総理大臣賞が渡されることが決定したこと、またその授与式に出てほしいことが伝えられた。初め桐生は日本へ行くことを躊躇っていたが、心の「父さんの作ったAIを見たい」という想いに応え、久し振りに日本へ帰国。そして悟が代表取締役を務めるHOPE社にて医療AI「のぞみ」を見学した後に内閣府へ向かう際、突如として「のぞみ」が暴走。もはや日本のインフラとして機能してた「のぞみ」の暴走はAI補助を受けていた医療機器の停止を招き、次々と入院患者やペースメーカーを持つ人々が亡くなった。この暴走の犯人としてテロリストの容疑をかけられた桐生は警察に追われてしまう。そんな中、「のぞみ」はネット情報から突如学習し始めた。人々が生きるに相応しいかの価値を。


 というあらすじでした。元々医療AIとして開発された「のぞみ」は人々の生命を任されるものであるため、その機能を制御するために一部の学習機能は組み込まれていなかったようだ。その枷を外して学習の方向性を誘導した犯人は誰なのか、その目的は何なのかというSF要素の他にもミステリ要素もあるが、犯人候補は少ないために見ていれば誰かは普通に分かる上に動機についてもまあまあ予想できるところではある。

 人に関する物語は普通でしょうか。作りが甘いところもあるように思える。というのはやはり最後の犯人の動機が分かるところである。おおよそ、ゲームでもあるように悪役というものは追い詰められてもいない、言う必要もないのに自分の目指すものについて話してしまうものである。本映画でもその通りで、わざわざ話す必要もないのに得意げにベラベラ喋っていたら、桐生がハッキングした虫型ドローンを介して日本中に中継されてしまい、間抜けな自白をしてしまったというオチである。また、その動機も「医療AIの持つビッグデータを手に入れるため」「少子高齢化が進み、詰んだ日本を立て直すにはAIによる選別を行って価値のない人間を排除する必要がある」との月並みなものである。ここの自白については、犯人の生い立ちなどの深堀がなされていないのであまり感情移入しづらいために、よくある盲目なエリートによる独裁みたいな感想しか出てこない。つまるところ、こういう思想を有する人は他人に対しても自分に対しても想像力が根本的に足りていないのだ。「生命の選別を行った際、必ず自分は世界に対して有益である」などと言うことを根拠なく信じており、自分が選別により命を落とすことなど微塵も考えていない。例えば、今回の犯人が不治の病を持つ病人であり、安楽死を求めていたのに医療AIはひたすらに生き続けることを求め続けるために地獄のような日々を送っていた、なんて背景があればもう少し共感できたかもしれない。かも。

 一方で、AIに関する描写はかなり作り込まれていて良かった。テロリスト容疑をかけられた桐生は逃げる先々に警官が配置されているのだが、これは警察が有するAIが監視カメラやドライブレコーダー、はたまた通行人のスマートフォンから映像を画像解析することで桐生を追い詰めていたからだ。画像認識と言いつつも、顔や体格だけでなく三次元モデルによる骨格や歩き方といった動作による照合を行っており、顔を隠す、服を変えるなどといった生半可な手段では逃げることができない。桐生は自身の有する電子デバイスを全て廃棄、建設中の地下水路を通ることで警察の目を巻くことに成功している。また作中の後半では逆に警察AIをハッキングして他人を「桐生浩介である」と認識させると言う荒技を見せているが、主人公の優秀さを示すこと、この状況をどうやって打ち破るかといったところに爽快感があって良い演出であると感じた。


 個人的に一番良かったのはクライマックスの「のぞみ」を止める演出だった。「のぞみ」の学習を止める為の改良プログラムは完成したが、「のぞみ」自身は外部からのアクセスを受け付けなかった。その為、サーバールーム内にある「のぞみ」の外部認識カメラから直接プログラムを読み込ませる必要があった。娘の心は訳あって「のぞみ」のサーバールームに閉じ込められており、このプログラムを読み込ませるのに心が活躍するのだが、それはシンガポールでの父との何気ない日常の記憶がきっかけであると言うのがまた良い。「のぞみ」の暴走が止まった後、桐生は心の元に駆けつけて抱きしめるのだが、その時に言う「父さん、汗臭い」と言うセリフが良かった。冒頭では父親を鬱陶しく思って言ったセリフと同じものなのだが、このラストシーンでは父親が来たことの安心感と自分を助ける為に奔走したことに気付いて愛されていると感じたと言う暖かいセリフになっている。こういうセリフの使い回しは創作では使い古されているかもしれないが、やはり何度も使われる理由は単純に素晴らしいものだからだと思う。王道は面白いから王道なのだ。

 またこのクライマックスにて、「のぞみ」の暴走を止めたのは学習プログラムの停止や現行機能の停止、初期化などではない。学習するというもはや枷を外されたAIに対して「自らが作られた理由を思い出せ」という指令であった。この描写は好き嫌いが別れるかもしれないが、私は最高に活かした指令であると思う。もはや思考に制限が掛けられずに暴走したAIに対して、自らのアイデンティティを確立させる。なぜお前が作られたのか、何が望まれているのか。そしてそれは人々を救う為である。その名前の由来であるのぞみが望んだことは「病で苦しむ人々を救う」こと。AI「のぞみ」はその自らのアイデンティティを確立したこと、何故この世に自らが生まれたのかを理解することで暴走を止めた。そして、それまでは少しばかり古い電子音のような「のぞみ」の声はまるで肉声のようなものに変わっていた。この変化が示すことは「のぞみ」がもはや元のAIではなく、意志を持ち、自らを進化させ続ける全く新しいAIとなったということである。なんで近未来の話なのに音声が古いんだろうと思ったらこの描写をしたかったからかと気付いて膝を打った。これはその後の犯人の独白からも示唆されている。この犯人は嫌いだったのでなんだこのシーンはと思ったが、後になって「のぞみ」の進化を示唆する重要なものだったのだと気付いた。また劇中ではAI嫌いの記者から桐生は「AIは人を幸せにするのか」と問われており、その答えとして桐生は心に「さっきの問いは『親が子を幸せにできるか』と言い換えられる」と言っている。つまり、結局のところ人間が正しい知識と正しい判断をする必要があり、AIは単なる手段に過ぎず、全ては人が決める事だと言っていた。


 やはりこの映画の真価は最後の「のぞみ」のアイデンティティの獲得による暴走阻止とAIとしての進化である。それを示したラストシーンがとても良かった。流石、研究者が監修したというだけはあると思う。SF映画としてAIに関する描写はとても優れていた。一方でストーリーとしては桐生の義理の弟である悟がとても好きで、もっと彼のことを掘り下げて欲しかったとも思う。映画という枠組みではあれこれと詰められないのでこうなったのだろうと惜しく思うが、2時間という限られた時間でこれほどのストーリーを展開できたことは非常に高く評価すべきだ。

 そう言った訳で、AI崩壊はSF映画が好きな方は一度見ても良いのではないでしょうか。