考の証

要は健忘録

【積読日記】インターネットは言葉をどう変えたのか デジタル時代の<言葉>の地図

 本著は去年の9月25日に翻訳版が日本で発売されており、たまたま発売前にTwitterで宣伝ツイートを見たのをきっかけにAmazonで発注をしたものである。忘れた頃に「届くで〜」とAmazonからのメールを受け取り、一体何が届くのかわからないまま受け取った。そこから読むまで2ヶ月、途中で読むのをやめて寝かしたのが1ヶ月半となっており、家の歴代の積読に比べれば比較的早いペースで読んだものではあるが、一般的には積読と言って差し支えないのではないだろうか。


 さて、そんな流れで読んだものであるが、内容は英語話者で(確か)カナダに在住している言語学者がインターネットにおける言語学研究の変遷をまとめたものである。本著では現代は人が最も文章を書く時代と述べられている。これは確かになと思ったもので、昔文章を書くなんてことは基本的に日記や手紙などの類でしかなく、一般人の書いた文章が公衆の目に留まることなどほぼなかっただろう。それに対して、現代では電子メールやチャット、Twitterを初めとしたSNSにどんな人でも文章を書いている。例えばTwitterであれば、1ツイート140字としたときに自分のツイート数を見てちょっとげんなりした気分になった人もいるのではないだろうか。また、そういった背景から現代人の書く文章はインターネット以前の文章とは性格が異なっており、いわば口語的な特徴を有していると言える。なぜなら、インターネット以前の文章は書籍のような文語で十分であった一方、そういった形式の言葉はイントネーションやジェスチャーなどの情報が存在していない。インターネット以降の文章には少なからずコミュニケーションツールとしての役割が期待されている一方、文章だけでのコミュニケーションというのは私たちにとって文字通り両腕をもがれたような制限を課されている。このような制限(他にも理由はあるが)による書き言葉が変化という点に着目、解説したのが本著となっている。

 本著では英語圏、主に北アメリカにおけるインターネットと言葉に関係する内容となっているが、その内容は日本語を話す私にとっても理解できるものが多かった。例えば、英語での(笑)を意味するlol(laughing out loud)は当初は単純に書いている人が笑ったことを意味しているだけであったが、時間が経つにつれてlolは皮肉や冷笑といった別の意味も含むようになったと言われている。これは日本における(笑)と同じような変化を辿っている。勿論、発音に似せるように単語のスペリングを変えるといった英語特有の変化というものもあるが、主に感情を伝える為に発生したスラングについてはおおよそ日本語と同じような変化が起こっていたと思う。私たちは普段話す際、言葉通りの意図を伝えるときと言外の意図を伝えるときがある。そして往々にして大なり小なり言外の意図というものは会話をしていれば発生しているものであり、それを言葉だけで伝えるというのは難しい、というより小っ恥ずかしさが出てくる。例えば、皮肉を言った時に相手にその皮肉が伝わらなかった時に「それは〜」と解説するのは何となく間抜けな感じがして放置してまうこともあるだろう。そういった言葉には表さない意図というものが、いわゆるネットスラングとして集団の共通認識の元に広がっている。言ってしまえば、私たちの話している言葉、口語を如何に意味を削ぎ落とさずに書き言葉に落とし込むかという試行錯誤の場としてインターネットが与えられたとも言えるのだろう。かつて一般人が話していた口語や単語の発音というものは書物に残ることは少ないことから失われてきたが、現代においてはその時代における口語的な遠隔表現や実際の発音というものがインターネットを介して保存されているという意味では、これからの言語学者の仕事が増えたことに間違いはないだろう。

 また、私はこれまで英語といえば教科書や論文、ニュースといったいわゆる文語でしか触れてきていなかったため、Youtube欄の海外コメントがどう見ても英語なのに英語ではないように思えることが多々あったが、本著を読むことであれはやはり英語だったのかと納得することができた。納得したとは言っても彼らが何を書いているのかさっぱりわからないのは変わってはいないが、やはり英語も文法ルールを破ったり、言葉を改変したりできる生きた言語なのだなと実感でき、英語に対する認識を改める機会になり良かったと思っている。