考の証

要は健忘録

【積読日記】2001年宇宙の旅

 最近、週刊少年ジャンプの物語の展開スピードは伊達じゃない。これまでの漫画であったのような展開の速度でも「これ、遅くない?」みたいな感想を抱いてしまう。その象徴が昨年から連載されたアンデッドアンラックである。打ち切り漫画は連載終了したと同時に最後の設定大解放によって読者に「面白いのに終わっちゃうのか」という感想を抱かせるが、アンデッドアンラックは常にその設定大解放をし続けており、最大速度で常に最高の面白さを提供している。


 さて、そんな話を冒頭でしたのは理由がある。今回読んだ「2001年宇宙の旅」はそれと真逆の作品だからである。

 この作品は1968年に出版されたものであるが、これは元々映画と同時並行で作成されていた小説である。物語は人類が月でモノリスを発見したことから地球外知的生命体がいることを知り、その痕跡のある土星の衛星ヤペタス(イアペトゥス)を目指すというものである。ヤペタスを目指す宇宙船にはHAL9000と呼ばれるAIを搭載したコンピュータがいたり、木星の重力を利用したスイングバイを活用した宇宙航行が描かれている。

 この作品はかなり物語がゆっくり進行しており、大きな変化が起こるまでに200ページ程度読まなければならない。そういった意味で、冒頭で述べたようなジャンプを読んでいる身として物語のスピードが遅すぎて退屈さを感じてしまったことは否めない。そもそもジャンプのスピード感自体がおかしく、ガラパゴスを形成しているのであるが、これに慣れ親しんでいたのが悪いと言えるだろう。

 一方で、この作品の醍醐味はスピードや展開の意外さなどではない。重要なのは、この作品が「1968年までに執筆された」ということである。今から53年前である1968年は日本では学生闘争が起こっていたり、アメリカではアポロ8号が月へ行っていた頃である。その頃にこの作品が描かれたということに価値があるということは、おそらくこの本や映画を見た方には理解して頂けるのではないだろうか。まだ人類が月へ足を付けた頃、いかにリアルな宇宙の旅を描くかという壮大な課題へ挑んだのが本作である。実際、物語が動き始めるまでの間では地球から月への移動や木星を介した宇宙航行が克明に描かれている。まだ2021年現在で人類は気軽に宇宙旅行を行ったり、月面基地を建設できてはいないが、これらの描写には大きな間違いはない。また惑星の重力を利用したスイングバイによる宇宙航行は惑星探査機であるボイジャー1号と2号が実際に行ったものである。1968年当時でこの作品に出会っていたならば、今の宇宙開発に対して非常に感慨深いものがあるだろう。またそういったリアルな宇宙の旅を描きつつ、最後の展開は空想や夢を託したSFあることから、本作がSFの代表作として挙げられるのは異論ないだろう。

 2021年から30~40年後の世界はどうなっているだろうか。人類は月面基地を築いているのか。火星へ人類は辿り着けているだろうか。エンケラドゥスエウロパに生命がいるだろうか。そもそも宇宙への進出が続いているかも分からず、もしかしたら虐殺器官からハーモニーへとつながるディストピアの方が今のリアリティに溢れているかもしれない。

【積読日記】新世界より

 数年前、過去の名作と呼ばれる物たちを読んだことがなかったので読もうと思って買いこんだ結果、積読として埃を被っていた書物がいくつかある。貴志祐介の「新世界より」もその中の一つである。おそらく、5年近く本棚に眠っていたはずである。

 本作は1000年後の日本を舞台にしており、呪力(呪いとはあるものの、この力はサイキッカーのようなもの)に目覚めた人類の物語である。この本は渡辺早季が書いた手記という形で描かれており、中央値ではないがおおよそ少年期、青年期、壮年期で上中下巻に別れている。早季を始めとした主人公たちは(意図していたかは別として)自分たちの暮らす世界の真実を解き明かしていくのだが、私たち読者も彼らと共に世界の謎に迫っていけるので、ミステリやSFが好きな人は読んで損はしないだろう。


 中身の話に移ると、この世界は神の力とも称される呪力を持ちながらも慎ましく暮らしている人々が描かれる一方、バケネズミと呼ばれる醜く知能も低い(一部個体人間と意思疎通できる)動物が労働力として使われていたり、不気味な生物たちが日常に溶け込んでいたり、昨日までいたクラスメイトが急にいなくなっても(早季を含めて)気にしなかったり、不穏な雰囲気がそこはかとなく感じられる。早季たち5人の少年少女が世界の謎に触れていく度にヴェールが捲れていき、隠されていたグロテスクな世界が見えてくる。

 序盤がつまらないという話も見るが、ホラー作家らしい不穏な描写を交えながらこのディストピアの真実が露わになっていくストーリーのおかげで個人的には上巻から没入できた。また上巻のバケネズミの抗争も世界の真実に迫る重要なピースであり、中巻の悪鬼や業魔の話を含めたこれまでのピースが当て嵌まり始める下巻までを、本作は文庫本で1300ページほどあるが、一気に読ませる魅力があったと思う。

 特に最悪(褒め言葉)だったのはバケネズミの真実に関連したものである。ミノシロモドキを手にしてそれを知ったスクィーラの屈辱と憎悪は凄まじいものがあり、逆に奇狼丸の崇高さには頭が上がらない。それに比べて何も知らない人間がスクィーラを笑いものにしていたのは滑稽極まりなかった。作中でバケネズミが人間を指して神様と呼ぶが、これに対して違和感を感じず、そして自分たちは力・精神共に優れた種族であると無邪気に信じている人間たちの変わらない愚かさ。彼らは紆余曲折を経た妥協点であり、この世界を形作った人々もそのグロテスクさを理解していたと思うが、それを意図して隠されていたと言え、あのシーンには変わることのできなかった人間たちが描かれていたように思う。本当に性格が悪い(褒め言葉)。

 ところで、本作は冒頭に「人間の記憶はあやふやで都合良く書き換えるものだ」と書かれていたが、これは単なる早季の述懐なのか、何らかのギミックなのだろうか。ところどころ地の文が当時の早季と今の早季で入れ替わっているところがあったので、もしかしたら叙述トリックのようなものが使われていたりするのだろうか。年表のような形で出来事を書き出せば何か見つかるかもしれないとは思ったりしたが、十年以上前の作品ということもあるのでまずはネットの海にでも漂ってみようと思う。

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか 〜真実編〜

 タイパラ2巻が発売されました10月上旬、表紙の七篠先生でまずは盛り上がり、そして番外編で見たことある展開があったり、色々な答えが得られたりして満足して語ることがなくなっていたと油断していたら、なぜかジャンプ+でタイパラ番外編が公開されていました。

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 もはやタイパラについて話すことはない。それがTLの総意であったにもかかわらず、この公開以降もなぜか毎日TLでタイパラの話で盛り上がり、ついにはYahooニュースやYoutube配信などがなされるという異常事態。みなさん落ち着いてください。もう連載は2ヶ月前に終わっているんですよ。

 ということで(?)今回はタイムパラドクスゴーストライターって実際のところ、何だったのかということを考えていきたいと思います。この記事、実はいうと5回程度書こうとして中々筆が進まずに終わっているので、なんとしても今回(11/11に書いてます)で終わらせたいと思います。ちなみにこれまでの記事の振り返りでもそうでしたが、基本的にこれらの記事ではこの漫画の稚拙さなどは取り扱いませんのでご了承のほどよろしくお願いいたします*1

タイムパラドクスゴーストライター とは何だったのか

 そもそもブログで記事を上げ始めたのはこれが目的でした。中々答えが見つからない中、「ぼくらのQ」や「試作神話」という過去作を読むことで本作への理解度や解像度が爆上がりしてから本作への考え方は大きく変わりました。そのため今回の記事は後日談の内容以外にも過去作からの言及が含まれているため、人によっては幻覚と言われてしまうがもしれないがそこは大目に見てください。

 さて、本作について最初の記事では「タイムパラドクスゴーストライター は漫画家漫画ではない」と断じました。これは今でも間違っていないと思いますが、2巻での後日談を見ると違う意味合いでの「漫画家漫画」であるように思えます。タイムパラドクスゴーストライター は他の漫画家漫画のように「漫画家としてのサクセスストーリー」を描きたかったわけではないでしょう。ここからは私の感じたことを書くので異論は大いにアリなのですが、タイムパラドクスゴーストライター は「創作者はそれぞれが唯一無二であり、それだけでこの世界で物語を描き続ける理由となる」といったエールであると感じました*2。これは後日談の師匠とのやり取りや菊瀬編集の「でもその後の3つは全部君にしか描けないね、だから面白かったよ」「君の漫画、誌面に乗ってなきゃ俺は読めないんだからさ」というセリフから、「君の描く物語は君にしか描けない」ということを言いたかったところが根拠となっています。その証左として師匠から「だって『ホワイトナイト』を描いている時のお前はしんどそうだったけど最近は楽しそうだからよ!」というセリフもそれを後押ししているように思えます。また後日談の藍野伊月曰く、変な漫画を描こうとして何度も打ち切りをもらう佐々木君の姿勢は、大衆受けする漫画(菊瀬編集の言う誰にでも描けるから人気の出た漫画)よりも自分の描きたい漫画を描く姿勢もそのような結論と相違ありません。そういった意味ではタイムパラドクスゴーストライター は作者にとってこれからも自分の描きたい物語を描き続けるという宣戦布告と言ってもいいかもしれません*3

佐々木君の評価について

 本作でもっとも誤解を招いたキャラクターである佐々木君。後日談まで通して読むと、彼の漫画家としての実力も(それと菊瀬編集の趣味も)明るみになってきました。佐々木君は1話時点ではストーリーテラーとしての能力以外は遜色なく、ネームを描かないタイプの原作者であっても原作がつけば連載が取れると評しました。半分「ほんとか?」みたいな気持ちで書いていましたが、結局のところタイパラ本編では作品を描く姿勢に関する思いや哲学のみが描かれていましたので、佐々木君の漫画家としての能力の成長を描く気が無かった(言い換えれば基本的な能力は1話時点ですでに持っていた)ということがわかりました。
 作中で描かれていたのは「漫画家としての個性」というところにつきます。タイパラでは「個性のなさ」に苦しむ佐々木君と「個性を殺す」ことで名作を生み出す藍野伊月が対比されていました。この二人は「個性がない」という点では一致していましたが、どのような作品を描くのかという姿勢については一致していませんでした*4。そういった比較もあって、無個性に苦しむ佐々木君に対して「君が描く漫画は君にしか描けないんだ」という答えが得られるのは非常に綺麗な流れでしたね*5

作中で明かされなかったジャンプ妖怪おじさんとフューチャー君に関する仮説

 ついぞ、ジャンプ妖怪おじさんやフューチャー君の正体が明示されることはありませんでした。彼らは何者であったのか。これは過去編でも触れていますが、後日談公開以降に「結局何だったんだ」というツイートを結構な頻度で見ていたので、改めてここで書いていきます。
 彼らは「ぼくらのQ」と「試作神話」から設定を引用すればおおよそどのようなキャラクターであったのかが理解できます*6。「ぼくらのQ」では世界に芽生えた自意識として『世界(作中で自身のことを世界と読んでいるため)』がおり、『世界』はシミュレーションシステムとして地球を幾度も作ってはそこへ『Q』と呼ばれる球体を作り出して送り込むことで「なぜ世界が生まれたのか(なぜ私は生まれたのか)」という問いに答えられる人を探していました。次に「試作神話」では世界改変の権利を持つ存在として榎本さん(試作神話ではヒロインに相当)がいますが、彼女は普通の女子高生として高校へ通いながらも神と呼べるほどの権利を有しています。これらの構造をタイパラに採用すると、『世界』はジャンプ妖怪おじさんに、『Q』はフューチャー君にあたります。また『世界』に対応するジャンプ妖怪おじさんはジャンプ作家として生きてきた経緯が作中描写でなされているため、「試作神話」での榎本さんのように普通に人生を歩んでいたと思われます。
 ここからは直接的な作中描写はありませんが、フューチャー君が現実世界に対して何度もループを行える権限を有していることを考慮すると、それを生み出したジャンプ妖怪おじさんは「漫画に描いたことを現実にできる能力」を持っていたと考えられます。フューチャー君は10話にてジャンプ妖怪おじさんが描いた作中作のキャラクターですが、このフューチャー君はタイパラにおける現実で「時間を元に戻す」という作中作と同じ能力を持って出現しています。*7。12話でフューチャー君が自身のことを「私は人の『想像する力』が生んだ幽霊だ」というセリフとこれらの話は合致します。
 さて、それでは「なぜジャンプ妖怪おじさんはフューチャー君を介して現実世界への介入を行ったのか」ですが、これは藍野伊月に関係します。ジャンプ妖怪おじさんはかつての自分と同じ願いを持った藍野伊月との出会いを経て「全人類が楽しめる漫画を描くこと」を再び目指すことが12話で明かされています。そしてここからは何も作中描写にない(いわゆる幻覚と呼ばれる)ものですが、ジャンプ妖怪おじさんが描いた漫画が現実へ影響を及ぼして藍野伊月の死を誘引したものと思われます。これはジャンプ妖怪おじさんが直接藍野伊月を描いたのか、藍野伊月との出会いをインスピレーションしたキャラクターを描いたのかは不明ですが、この漫画のキャラクターがどうやっても死んでしまうという自体に陥ったのでしょう。作中のキャラクターが勝手に動くという話は作家へのインタビューでよく見るものですし、メタフィクションを若干含むタイパラではそういった描写をしても問題はないでしょう。この藍野伊月の死というのはジャンプ妖怪おじさんにとっては受け入れがたいものであったため、この現実を改変するために時間遡行能力を持つフューチャー君を介して藍野伊月を救うというのが、1話以前にあった話であったと思われます。

 ちなみにこの仮説については以下の謎本TLにて出てきたもの(私だけで考えたものではないです)なので、この記事をわざわざご覧いただいた方にはぜひご一読を。
タイムパラドクスゴーストライターの謎本TL 〜ジャンプ全巻持ってるおじさん編〜 - Togetter

√144の謎

 こちらはTwitterで教えていただいたので、その内容を記載いたします。
 そもそも√144が出てきたのは、佐々木君の「お前は誰だ?」という質問に対する答えとして冷蔵庫に描かれたときです。「これが答えか?」と多くの読者を悩ませてきましたが、英語圏の方が以下の考察をされていました。


・佐々木君の「お前は誰だ?」という回答は「√144=12」から12話に答えがあると示唆されている。

タイパラはメタフィクションを含むので、こういった示唆の仕方もやり方としてあるのでしょう。またTwitterでよく見ていた「自由に自由に(12*12)楽しんで描いてください」というジャンプ妖怪おじさんのセリフとの共通項も示唆されていましたので、これらの意味合いを含むと考えると佐々木君の質問に対する答えとしても、洒落っ気を見せた回答としてもこの考察が最も説得力のあるものになるかと思います。

最後に

 タイパラは連載当初からTLを賑わせ、連載終了後に話すことがなくなった途端に公式がジャンプ+に後日談を公開したり、Yahooニュースに出たり、ラジオで紹介されたり、Youtube配信がされたりとまだまだこの世界にはタイパラが溢れかえっています。そんな話題の絶えない本作の読書体験をリアルタイムでできたというのは二度とはできない非常に幸運(?)な体験であったとも言えます。タイパラとそれを巡る読書体験は2020年の一夏の思い出になった人も多くいると思いますが、これらのブログ記事がそれを追体験できるようなものであれば幸いです。

*1:別にこの宣言はこの漫画に突っ込みどころがないとか、名作であるといったことを言うものではないです。もし私がそう思っていると思っている方がいらっしゃいましたらこちらを閲覧いただければ基本的に読んでいる時にキレていたことがわかると思います。⇒ タイムパラドクスゴーストライターの14話展開の感想 - Togetter

*2:この私の感じた結論がこの真実編の筆を何度も折らせた原因でもある。私は創作者ではない上、1話の佐々木君のホワイトナイト執筆経緯はあまりにもその思考回路がハッピーであるため、こう書くのはある意味で創作をしている人たちをバカにしていると取られそうだと思ったので。

*3:後日談の佐々木君打ち切り三部作に関する描写といい、「分かって」やっているようにしか思えませんよね。

*4:3話時点の藍野伊月の熱量に対して、佐々木君はその勢いに押されて同意していましたが積極的同意をしているようには描写されていませんでした(ほんとかな?)。フューチャー君によるタイムループ時にこの辺りの齟齬を描くためにあやふやにしていたと思えますが、これは幻覚……。

*5:やりたいことがわかったが故に惜しいと悔やむ。ツイッターのTLでよく見た評価でした。

*6:過去編でも触れたように原作者のこれまでの作品では世界改変の権利を持つキャラクターが出てきており、彼らは(意図的か否かは置いておくとして)平凡とされる主人公の物語について介入します。タイパラでもそういった構造は見えますので、物語の構造としては過去作に倣うのは自然だと思われます

*7:10話の作中作にてフューチャー君はフューチャーサンダーを使うことでバクダンの時を戻しています。実際のところ、フューチャー君の能力は「時間を戻す」というものではなく「任意の世界線の任意の時間軸へ介入する」というかなり強い世界へのアクセス権限を持っていますが、その辺りは英霊とかと同じシステムだと思えば良いでしょう。

映画「TENET」の感想

 先週日曜、巷で話題のTENETを見に行った。なんだか面白そうな雰囲気は感じ取れていたので、これまで頑張って感想ツイートなどは避けて前情報ゼロを貫くことができた。映画が始まってからこの作品がクリストファー・ノーラン監督の物であると知り、ちょっと身構えたのは事実である。

 見た最初の感想はこれである。

 本作品の時間軸や設定に関する考察は既に公開からだいぶ経っているので詳細は先人に任せる。ここでは何で難しく思ったのかという感想を綴っていきたい。

 まず、TENETでは登場人物の名前を呼ぶことが非常に少ない。見終わった後に「セイター(結構最初から出ていた悪役の名前)ってあいつであってたか?」とか「そもそも主人公の名前なんだっけ・・・?」と悩んでいた
が、これは今作がいわゆる神視点から描かれておらず、徹頭徹尾主人公視点でしか描かれておらいない。観客は作品の始まりから主人公と同じだけの情報を得てTENETの世界について知っていくように作られていて、その主人公目線で観客が没入できるように作られていたと思う。実際、主人公の名前は一度も劇中では呼ばれておらず、その違和感をなくすために登場人物の名前を呼ぶこと自体を少なくしていたと思われる。この名前呼びの少なさが登場人物の関係性の把握を困難にさせており、それが物語の理解を難しくした一因であろう。

 次に、TENETは未来から送られてきた兵器を中心に、世界を滅ぼそうとする現代人の勢力とそれを阻止する近未来人の勢力が出てくるいわゆるタイムトラベル系のSF映画である。ただこれまでの映画と異なるのは、時間旅行が一瞬で終わるのではなく、普通に生きている時間の流れる順行世界に対して、逆の時間が流れる逆行世界が同時に存在している。そのため、5年前に行くためには5年間逆行にそのまま滞在しないといけない設定となっているが、これにより特定の事象に対して順行時間と逆行時間の両方から攻め立てる「挟撃作戦」が可能となっている。こういった順行時間と逆行時間の両方の視点から特定の事象を描いているため、「今どちらの世界で何が起こっているのか」といったことを考えるのが慣れないと難しいと思われる。


 この2点が理解を難しくした原因であると個人的に思っている。特に前者の「物語の目的は何か」「今主人公は何を思って何をしているのか」と行った情報がその場では得られずに最後にならないと回収できない、また主人公自体が何もわからずに戦っているため混乱を助長させている点は否めない。というかむしろそちらが主因であり、後者は特に関係なさそうであるとも思っている。実際、私もセイターの名前と作中人物がイコールで結ばれなかったり、人妻子持ちヒロインのことを「キャット!」と読んでいるのが名前だと認識できていなかったりしていたが、時系列に関してはちゃんと考えれば答えが得られたものであった。ちなみに他の人の感想など見ていると「2回目の方が楽しめる」というものがちょくちょく見られるが、この物語では開幕から逆行世界の介入(当然初見ではそれが何かを理解できない)があったり色々伏線が張られているのでその通りだなと思う一方、個人的には2回目を見に行くほどでもないかなと思ってしまった。


 一方で本作は映像が凄まじい。先に説明した通り、順行時間の世界から逆行時間にいる人間が出てきたり、その逆もあったりするのだが、「これどうやって撮影したの?」となるようなシーンが盛り盛り出てくる。格闘戦、カーチェイス、銃撃戦。どれも素晴らしい出来であるのは間違いなく、摩訶不思議な映像体験をしたい人はぜひとも劇場に足を運んで良いと思うほどの出来であったと思う。

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか ~未来編~

 これまでタイパラについて振り返ってきました。
 まず初めに、タイムパラドクスゴーストライターについて各話で何を読めばよかったのか、作中描写のみを頼りに読み進めてみました。ここでタイパラ自体の物語についてはおおよそ理解できるかと思います。
qf4149.hatenablog.com
 次に2つの過去作、ぼくらのQと試作神話から作者がこれまでどのような物語を展開してきたのを振り返り、タイパラとの共通項を見出すことが出来ました。
qf4149.hatenablog.com

 そして今回の未来編では「タイムパラドクスゴーストライターは長期連載となった時、どんなストーリーとなったのか?」という難問に取り掛かりたいと思います。というのも、これは連載時から散々言われてきたことですが、タイパラはその物語の性質から長期連載に不向きであり、一体全体どのようなストーリーとするのだろうかと幾度も疑問が投げられかけてきました。そこで今回はこれまでの情報を統合して、私なりのタイムパラドクスゴーストライターを書いてみたいと思います。

物語の前提

①キャラの立ち位置
 主人公  ⇒ 平凡である佐々木君*7
 超越存在 ⇒ フューチャー君
 ヒロイン ⇒ 藍野伊月
②物語
 主人公である佐々木君が非日常的な事態に巻き込まれて超越存在と出会い、理解してヒロインを共に救いに行く
③補足
 フューチャー君は佐々木君、ないしジャンプ妖怪おじさんに関連するキャラクターであり、藍野伊月とは無関係である(試作神話のような「ヒロイン=超越存在」ではない。またフューチャ君の時空間干渉権限はほぼ全能である。

 上記前提はタイパラでの作中描写の他、過去編でまとめたぼくらのQと試作神話での物語から考えています。

物語の分岐点

 打ち切りに入った分岐点は10話です。9話目では佐々木君と編集で「このホワイトナイトならANIMAに勝てるかも」という期待感を持って次回に臨んでいました。ここで打ち切りに入らなかった場合、佐々木君のホワイトナイトは本当に藍野伊月のANIMAに勝ちます。一方でこの方法では藍野伊月の死の源流は遠ざかるどころか、輝きをなお増して藍野伊月を取り込み始めます。なぜなら、ホワイトナイトは10年後のアイノイツキが目指した『透明な傑作』であり、佐々木君がアイノイツキの模倣の精度を上げれば上げるほど藍野伊月の思想をより強固なものとして形作ってしまいます(3話で見ましたよね)。これが本来の10話です。

その後の物語

 それ故にそのまま藍野伊月は死の源流に呑まれて死んでしまいます。それはアシスタント先が佐々木君から藍野伊月へ替わった赤石君から佐々木君は「最近の藍野がおかしい」ということを聞いて「なぜホワイトナイトでANIMAに勝ったのに。」と焦り始めた矢先でした。ここで藍野伊月側の描写は連載10話にあったような詳細な範囲まで描かれず、なぜかは分からないが死んでしまったとしか読者には分かりません。そして佐々木君はフューチャー君に「なんでお前の言った通りにホワイトナイトでANIMAに勝ったのに藍野さんは死んだんだ!」とブチギレます。そして冷蔵庫に呑まれてフューチャー君と対話を始めました。

 フューチャー君は佐々木君に「君は藍野伊月の同類であり、だからこそ君に託した。そしてそれは成功したが、それでは藍野伊月を救うことが出来なかった。」「これまでの世界線で最も上手くいったのは君に託したこの世界線だ。」「藍野伊月は夢を追うが為に死んでしまったが、なぜ彼女が死に至ったのか、同類である君には分かるか。私には心がないから分からないのだ。」とか言います。そして佐々木君は「藍野伊月との同類」というところに引っ掛かりを覚えます。本当に自分は藍野伊月と同類なのか。それを確かめるために佐々木君はもう一度ホワイトナイト読切掲載後に戻してくれとフューチャー君に頼みます。そうして帰還した第3話。改めて藍野伊月との初めての出会いをやり直した佐々木君は同じ問答をして、本当に自分が藍野伊月と同類かを確認しますが、確かな答えが得られませんでした。その後、家に帰らずに公園に立ち寄って「藍野さんはなぜ死んだのだろう」「そもそも夢を追って死んでしまう彼女の夢を奪うことは正しい事なのか」などと悩んでいるとそこに謎の美女が現れました。

 なんと謎の美女は佐々木君の師匠の七篠権兵衛先生(イメージ:ぼくらのQより女刑事・星龍院茉莉花を参照のこと)でした。とりあえず佐々木君は「辛気臭い顔しやがって」という理由で七篠先生にブン投げられます。その後、佐々木君の悩み相談会となって「僕は漫画でみんなを楽しませたいと思ってました。」とかかつての自分の夢を先生に話してみると「お前の描く漫画はつまらんかったけどな、がはは!」とか笑われて地味にダメージを食らっていきます。そして、「夢を追って死ぬのは幸せなんでしょうか。」と藍野伊月を思いながら七篠先生に聞いた瞬間、また佐々木君はブン投げられます。「んなわけねぇだろ!死ぬことが幸せな人間なんてこの世にはいないし、いちゃいけねーよ!」みたいな熱血論を浴びせられた佐々木君は藍野伊月を死なせないことは間違っていないと気付き、必ず救うことを誓います。また七篠先生は「お前の漫画はつまらんかったけど、好きな漫画を描いているときのお前は楽しそうだったよ。」と言葉を残して去っていきます。

 七篠先生に活を入れられた佐々木君。かつての自分は「漫画を描くことが楽しかった」ことを思い出しました。「みんなを楽しませる漫画」を描こうとしていたのは、たくさんの人に楽しんでもらえれば、その声で自分が幸せになれるからでした。昔はその「みんな」が小学校の友達でしたが、いつしか「みんな」は見えない誰かになってしまっていたから何も生み出せませないことに気付いた佐々木君は、まずは目の前にいる編集やアシスタントを楽しめるようにとホワイトナイトのネームを見せてどう物語を作っていくかを相談しながら作品を創り上げていきます。そして2週目の世界線でのホワイトナイトはまた違った面白さを持つ作品として人気連載漫画の地位を築きますが、その一方で藍野伊月は1週目世界よりも佐々木君との距離が開いてしまいました。

 距離が開いてしまったことに焦った佐々木君は距離を詰めようと藍野伊月を映画に誘ってしまいます。ちなみにここで赤石君は滅茶苦茶動揺してしまい、それを見て佐々木君はこれが「デート」であることに気付いてしまいます。お待ちかねのデート回ですね。当日も藍野伊月は制服姿で来ていて何となく気まずい雰囲気で映画を終えてしまいます。これでは何も距離が縮まらないと悩んだところに、七篠先生が颯爽登場。ひとまず佐々木君をブン投げた後に藍野伊月を可愛がって「制服しか持ってないんだったらコイツが買うから好きな服を買え」と言います。着せ替え人形のごとく扱われた藍野伊月ですが、なぜかその親分肌に惹かれて七篠先生に懐きます。その後、3人でご飯を食べているときに、七篠先生は以前佐々木君が悩んでいた原因が目の前の藍野伊月にあると気付きます。余計なおせっかいを焼いていると藍野伊月が透明な傑作の理論について話し始めました。

 透明な傑作について聞いた七篠先生は「そんなもん描いて何が楽しいんだ。自分が楽しくなきゃ意味がないんだよ。」と一蹴します。それを聞いた藍野伊月は涙を流しながら怒って飛び出してしまいます。七篠先生は佐々木君に申し訳なさそうに謝りますが、「それでも自分を押し殺して描く作品なんて描いてはいけない」と藍野伊月に伝えるように言います。そして佐々木君が伝えようとした次の日、藍野伊月はアシスタントを辞めて作家業に専念すると編集から伝えられます。昨日のデートで何かやらかしたんじゃないかと赤石君たちから疑いの目を向けられる佐々木君ですが、そこは深く掘り下げれられません。佐々木君は良い人なので。

 そうして意固地に透明な傑作論を信じる藍野伊月との戦いが始まる…!

幻覚の限界

 これくらいしか今のところ先を見通せませんね。まあこの後の展開はどれくらいアンケ取れるか次第でもう自由にできそうです。
 まあひとまずのところ、1週目世界でホワイトナイトで勝つことが藍野伊月を生かす条件でないことに気付き、その後の2週目で藍野伊月のパーソナリティーを掘り下げていくストーリー展開となっていたんですね。この2週目にて1~7話目までの読者の引っ掛かりや疑問点を回収していくとともに藍野伊月を前面に押し出していくことでアンケを爆取りですよ。
 やり直した世界でも佐々木君はホワイトナイトを描き続けるしかありません。ホワイトナイトだけが佐々木君と藍野伊月を繋げる接点であるからですが、このホワイトナイトでは藍野伊月を救えない。そういった二律背反を解決するために、佐々木君はホワイトナイトを変えて連載していきますが、きっとどこかで限界を感じて新作を描き始めたはずです。それはホワイトナイトの読切掲載後かもしれませんし、ホワイトナイト連載時の同時連載させたりするかもしれません。また時間が足りないのであればフューチャー君に協力してもらえば問題ないでしょう。最終話の形式が変わることはありませんから、そこに着地できるようストーリーを膨らませていけばよさそうです。

 ここで思い出しましたが、フューチャー君の絡みを全然考えていませんでした。こいつを絡ませる方法ってなかなかないので、どうしたらいいのかわかりませんね。それに加えてフューチャー君の先に見えるジャンプ妖怪おじさんをどうやって絡ませるのかは全くもって分かりません。ぼくらのQであったように、藍野伊月を救った先に待っているのがジャンプ妖怪おじさんであり、そこで禅問答するかもしれません。まあ打ち切りになったがために出した特別な存在である可能性も否定できないので何とも言えません。

本当の未来編、2巻のアフターストーリー

 ところで最近2巻にアフターストーリーの描きおろしがあることが分かりました。正直、これ以上どういった物語を展開するのかはわかりませんが、佐々木君や藍野伊月、アシスタント3人衆や菊瀬編集が描かれるかもしれませんね。

 最後のタイパラ予想をしてみます。藍野伊月の結婚相手は赤石君で、物語の最後のコマはこれだと思います。

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか ~過去編~

 こんにちは。前回の記事でタイパラについて十二分に吐き出して満足した*1と思った翌日から再びタイパラについて考え出してしまった悲しい存在が私です。

qf4149.hatenablog.com

 さて、今回の記事はタイムパラドクスゴーストライターを読む上で作者の過去作を読むことで理解度がぐ~んと上がることが分かりましたので早速筆を執っている次第です。今回参照するのは以下の2作品です。ちなみにこの記事を読むときにはできればぼくらのQの1巻だけでも読んでいただけると私と同じ様な衝撃を得られると思うので、時間とお金が余っている方はぜひお願いいたします。

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 この2作品にはタイパラの原型となる要素がふんだんに盛り込まれており、特にぼくらのQを読むとタイパラがなぜあのような構成だったのかを理解するのに非常に役立ちます。今回はこの2作品を通してタイムパラドクスゴーストライターがどういう物語であったのかを解き明かしていきたいと思います。


 ぼくらのQは2017年から裏サンデーで連載された全4巻からなる作品です。この作品の主人公はある日、質問を出す球体、Qに憑りつかれてしまいますが、作中で出てくる主要人物もまたQに憑りつかれています。それぞれの質問の出題テーマは異なっており、「生命のQ」「死のQ」「正義のQ」「自我のQ」の4つの球体が出てきます。この球体の出す答えに『大正解』すると憑りつかれた人間にそれぞれのQに関連した力が与えられます。「生命のQ」には再生の力、「死のQ」には風化の力、「正義のQ」にはベクトル操作の力*2、「自我のQ」には自我を奪う力が与えられます。また質問に答えるごとにその力は強化され、最後の質問*3に答えることが出来るとチートと言える力が手に入ります。物語は生命のQを持つ主人公が正義のQを持つ女刑事とタッグを組んで死のQを持つ連続殺人犯とその仲間である自我のQを持つ者と戦うというものになっています。
 ここまで読んでみなさんは「タイパラに似ているところある?」と思われるかと思いますが、これは主人公サイドの視点の物語であるからです。ぼくらのQにはもう一つの視点、世界自体に芽生えた自我と呼べる超越的な存在が出てきます。この超越存在は女性の容姿をしていますので仮に【彼女】としますが、【彼女】は自らが生まれた理由を知るための手段として地球を幾度も創造してシミュレートをしてきました*4。そのシミュレートのアクセントとして、【彼女】はQを生み出して地球へ送り込み、第1問を答えた者に自らの生まれた意味、第0問を出します。ぼくらのQとは、主人公を初めとする球体に憑りつかれた人々がQを解き明かす物語であると同時に、Qを生み出した【彼女】が答えを見つける物語でもあります。

 これがぼくらのQの物語の概要です。これからはこの漫画におけるキャラやストーリーの関係について考えます。主人公は普通の高校生*5ですが、過去に幼馴染の女の子に命を救われています。この幼馴染の女の子が主人公サイドの物語におけるヒロインですが、Qのアレコレにも関与しないので物語の最初と最後にしかでてきません。そういう意味では超越存在である【彼女】は主人公から第0問の回答を得て未来へ歩み始めますので、Qに関するストーリー上のヒロインは【彼女】と言えるかもしれません。また、ストーリー自体はQを持つ4人がそれぞれ敵対して戦っていく話であり、その中で彼らはそれぞれのQの根源に気付いていくという縦軸があります。これらのことから、以下の様に物語は整理できます。

①主人公サイドの物語では幼馴染がヒロインである。
②Qサイドの物語では超越存在である【彼女】がヒロインである。
③それぞれの物語をくっつける舞台として、Qを持つ4人の戦いが存在する。

 さて、それでは次の試作神話に入りましょう。試作神話は2019年にジャンプ+(ジャンプルーキー?)で掲載された読切作品です。寝癖が個性的な主人公は学校で奇行で有名ではあるものの学業スポーツ万能の美少女である榎本卯月が気になっています。大方の人たちはあまりの奇行ぶりに榎本さんから距離を置きたがっていますが、周りの目を気にせず自分のしたいことを貫く榎本さんに主人公は憧れており、彼女と友達になるために屋上で一人でいるときに話しかけようとすると「アンゴリグリンゴ~」と空に叫んでいるところを目撃します。何をしているのか聞くと先ほどの呪文は「改変後の世界において自分の記憶を引き継ぐコマンド」であり、
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ということから、この世界にも飽きたので次の世界へ向かおうとしているようです*6。その後主人公はせっかく近づけた榎本さんの機嫌を損ねてしまったがために世界改変に巻き込まれていきますが、先ほどの呪文である「アンゴリグリンゴ~」と空に叫んでいたので記憶を引き継いでおり、あらゆる世界線で榎本さんに会いに行きます。田中は死にます。しかし、榎本さんに会いに行く頃には彼女は世界に飽きてしまったのでボツにして次の世界線へ行ってしまうのですが、主人公は懲りずに何度も会いに行きます。田中は何度も死にます。最後に主人公は榎本さんに元の退屈な世界でも毎日好きな人(榎本さん)に学校で会えるだけで幸せなんだという告白をして元の世界に戻ります。この物語は以下の様に整理できます。

①主人公は平凡な男子高校生であり、ヒロインは同じ学校に通う超越存在である。
②物語は主人公とヒロインの関係性で描かれており、特に別れていない。

 みなさんは既にお分りになったのではないでしょうか。そう、試作神話でも世界へのアクセス権限を有する超越的な存在が出てきており、その存在がヒロインでもあります。この作品ではぼくらのQでヒロインの影があまりに薄かったことから、(元からヒロイン味はありましたが)超越存在そのものをヒロインに据えて物語が展開してきたのではないかと考えられます。またこの二作品を通してみると、平凡な主人公が非日常的な存在と遭遇した後にそれを生み出した超越存在と出会って理解し合う・和解する・仲良くなるといった要素が見えてきます。

 ここまでの話を考慮してタイムパラドクスゴーストライターを眺めてみると以下の符号が見えてきます。

①キャラの立ち位置
 主人公  ⇒ 平凡である佐々木君*7
 超越存在 ⇒ フューチャー君
 ヒロイン ⇒ 藍野伊月
②物語
 主人公である佐々木君が非日常的な事態に巻き込まれて超越存在と出会い、理解してヒロインを共に救いに行く

 どうでしょうか。これまでの2作品に共通する要素が見えてきました。その一方で共通しない項目として、タイパラでは超越存在とヒロインは決定的に分かれており、同一存在、もしくはそれに近しい存在としても描かれていません。このことからどちらと言えば、試作神話では超越存在をヒロインに寄せに行きましたが、今回はヒロインを単独で活かす形で物語を描こうとしてことが分かります。

 さて、ここからは私の想像になりますが、タイムパラドクスゴーストライターではこれまでの物語での等号である「超越存在=ヒロイン」という図式が成り立たないことから、「超越存在=主人公」という形で物語を展開していきたかったのではないでしょうか。
 前回の記事でも解説したように、10話に出てきたジャンプ妖怪おじさんがあまりに異彩を放っていたことをみなさん覚えていると思いますが、このおじさんはフューチャー君を除いて作中で唯一藍野伊月を「伊月ちゃん」と呼んだキャラであることから、「フューチャー君(超越存在)=ジャンプ妖怪おじさん」の図式が成り立ちます。一方でこのおじさんは藍野伊月の「世界中のみんなを楽しませる漫画を描く!」という宣言を受けた後に「私も伊月ちゃんと同じ様に新しい道を歩むことにしました」という書置きを残して”どこか”へ去っています。これらを考えると、ジャンプ妖怪おじさんは「全人類を楽しませる漫画を描くために”どこか”へ去っていった」と読めること、そしてこのおじさんは超越存在であるフューチャー君であるとも想定されることから、ジャンプ妖怪おじさんは何らかの手段を使って人生のやり直しを図り、その結果が佐々木君なのではないでしょうか。その証拠にこのおじさんの顔、佐々木君に似てますよね?
 そう、この仮説が成り立つのであれば「フューチャー君(超越存在)」は「ジャンプ妖怪おじさん」であり、また「佐々木君」でもあるということになります。またこれまでの二つの作品でそれぞれ「超越存在」のキャラの位置づけが変わっていることからも、今回は新しい取り組みとしての「超越存在=主人公」という物語を描きたかったのではないでしょうか。

 この仮説、結構個人的には有力ではないかと考えていますが、「だったらどういう物語にする予定だったの?」という答えはまだ見つけられそうにありません。それは未来編として次回のネタに取っておきましょう。それでは今回はこれにて終わります。

⇒to be continued...
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*1:当然全ての要素について言及することはできていません。枝葉末節、骨までしゃぶり尽そうとすればおそらく2倍くらいの文量になったことでしょう。それほどタイムパラドクスゴーストライターは読み尽せるんです。多分、2巻が出たらまた話してるんじゃないですかね…。

*2:なぜ正義がベクトルになるのか、と不思議がると思います。正義とは「人の信念」というスカラー量が「特定の対象に向く」ことからベクトル操作に繋がります。作中では人の正義以外にも雪が降る、地球は回るといった世界に流れる様々な力にそれぞれの正義が宿るという回答が得られます。こういう捻りを加えた表現って私は好きです。

*3:最初の質問は「第【4桁】問、~~~」と大きな数字から始まり、最後の質問となる第四問目は「第1問、何故人は生きる?」といった生命、死、正義、自我がなぜそのように存在するのかといった根源に近いものとなる。そのためQが進むごとに難易度は高くなっていくが、そこに比例して能力も強くなっていきます。ちなみに主人公は最初の方で第三問をクリアして能力的な伸び幅は小さくなりますがその再生力を活かす方向で物語は進みます。

*4:某作品の人力スーパーコンピュータを思い出しますが、そういう訳ではないです。

*5:多分高校生です。結構細かいセリフとか描写を見落とす自信があるので言い切れないんですけど、主人公が通う学校も学校としか表記されていないので…。

*6:みなさんも”分かり”ましたか?

*7:能力値としては平凡かもしれないが、徹夜を繰り返したりキャベツやカップ麺で生活しても体を壊さなかったり、ホワイトナイト連載という重責に潰れないメンタルを持つという意味では平凡と呼べない。

タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか

 タイムパラドクスゴーストライターとは、週刊少年ジャンプで2020年24号から39号まで連載された全14話のジャンル不明な概念漫画です*1。本漫画は連載1話目から読者各位に困惑を呼ぶとともに、連載期間中Twitterで最も言及された作品と言っても過言ではないでしょう。

 「これだけ主人公である佐々木君に対して憎悪とも呼べる反感があるのは作者が伝えたい事と読者に伝わっている事に乖離があるのではないか。」

 連載4話目にして未だに1話目の話を擦られ続ける佐々木君の話を見てそう思ってしまったが為に、私はタイムパラドクスゴーストライターという正体不明の沼に足をとられて沈んでしまいました。それからというもの、月曜0時からジャンプを読んでタイパラについて考え、起きてからもあらゆる空いた時間があるとタイパラについて考える生活を3ヶ月近くしていた。リアルタイムで読んでいた時の感想については下記リンクから辿れるので笑いながらでも読んでほしい。
togetter.com
 そして連載の終わったはずの今週でさえもタイパラについて考えてしまっている。シャワーを浴びながらタイパラについて考えていたので、もはやシャワーを浴びるとタイパラのことを考えるようになってしまった。辛い。

 そういう訳で『タイムパラドクスゴーストライターとは何だったのか』というテーマでブログを書き進めているところである。とは言っても、本当に何だったのかということを語るのは非常に難しいので、ひとまずは各話を振り返っていきたい。

タイパラを読む心構え

 タイムパラドクスゴーストライターとは、やがてその意味に気付く物語である。各話の展開について、後から振り返った時にその真の意味を知ることになる。真の意味、といっても書いてある通りであるのがタイパラの凄いところだ*2。そう、タイパラは全てが明確に描写されている一方で描写されたときにその意味を理解することが非常に困難なのである。
 そこで役に立つのがセンター試験での現代文を解く読解力である。センター試験の現代文で満点を取る方法は「書かれていることを正確に読み解くこと」である。書かれていることを読み落としてはいけないのは当然であるが、それ以上に書かれている以上に深く考えることも厳禁である。タイパラでは深く考えた瞬間に色々な描写に躓いて先に進めなくなる。というのも、物語のストーリー及び伏線がそのまま描かれる一方、それを彩るフレーバーやノイズが非常に多い*3。また、佐々木君や藍野伊月に対する自分自身の感情すらも読み込むうえでは邪魔になってしまう。つまり、タイパラを読むときには自らの感情をフラットにした上で的確にノイズを削ぎ落としてストーリーの本質を掴まなければならない。このことから私は「タイパラの読解=化石掘り」という概念を提唱している。余分な場所を削ぎ落として物語の骨格を見出すのがタイパラの読み方なのだ*4

 そういう訳で、今回は各話で何を読めていればよいのか(何を読まなくてよかったのか)という観点で綴っていく。

第1話 週刊時空をジャンプ!

 伝説の1話。最初にジャンプという雑誌や漫画家になる方法の説明がありますが、特に読む必要はありません。なぜならタイパラは漫画家漫画ではないからです。これは非常に重要な概念なので覚えておいてください。まず初めに菊瀬編集とのやり取りから未来のジャンプが届くまでに理解すべき情報は以下のみです。他の事も気になると思います、気にしないで下さい。

 1.佐々木君には作家性がなくて空っぽなので話は面白くない*5が、他の能力は批判されていない。
 2.佐々木君はみんなが楽しめる王道漫画を描きたい。
 3.菊瀬編集の言っていることは正しい(が、覚えていなくてもよい)*6

 さて、夢を諦めかけた佐々木君の下に雷と共に未来のジャンプが送られてきます。そこに載っていたホワイトナイトを読んで感銘を受け外に駆け出しますが、もう一度読もうと部屋に戻ると置いた場所からジャンプは冷蔵庫の横へ落ちてしまい、佐々木君はジャンプを見つけられませんでした。徹夜していたので仕方ないですね。そのため、彼は未来のジャンプを自らの頭の中からあふれ出た白昼夢であると思ってしまい、ホワイトナイトを描いてしまいます。ここで佐々木君は一度だけ読んだ連載1話を読切版へと大胆に変換しますが、これは佐々木君が前述1で批判されなかった能力、つまり話を構築する力や絵、コマ割りなどの能力に申し分ないことを証明しています*7。ちなみに佐々木君はこの時点で二徹してますが、佐々木君はこれから努力の方向や効率ではなく時間でのみ勝負を仕掛けています。これは佐々木君が漫画家としての能力を十二分に持っていることから成長という縦軸が取れなかったことの裏返しであると言えます*8

 また少し話は変わりますが、作品を通してホワイトナイトに関する描写が薄くなっています。作中で読んだ人が面白くて泣くという意味の分からないふわふわした描写しかされませんが、これはタイパラが漫画家漫画ではないからですホワイトナイトとはマクガフィン*9であり、タイパラにおいては佐々木君が藍野伊月と交流する為に出てきただけの存在です*10。それ以上でも以下でもないので「ホワイトナイトはみんなが楽しんで読める超人気漫画なんだな」っていうことを分かっていれば問題ありません。

 まだ1話で語るべきことは多くありますが、終わる気がしないので一旦ここで締めます。 

第2話 始まってしまった物語

 後戻りできないポイントである回。ここで佐々木は未来のジャンプが本当に届いており、ホワイトナイトを盗作してしまったことに気付きます*11。ちなみにSFの説明も入りますが特に読まなくてもいいです。タイパラはSF漫画でもないので…。

 そして「後戻りできないポイントはここ」「今なら引き返せる」として電子レンジのコードを切ろうとした佐々木君は編集からの電話に出て連載ネームの打合せを優先してしまいました。この打合せにて佐々木君は編集の説得とファンレターによってホワイトナイトの連載をすることを初めて考えます。ここで佐々木君が人気漫画家の座にしがみついたなどと非難されていましたが、佐々木哲平の名で世に出してしまったので現実的に佐々木君が描くしか選択肢がないこと、またホワイトナイトの続きを読んで名作であることを再認識したことから、この名作を読者に届けないのは裏切りであると考えた末の選択と言えます*12。この辺りは1話の「みんなが楽しめる漫画を描きたい」という佐々木君の意思が捻じれて発露しているようにも思えます。

第3話 同類

 ホワイトナイトの作者である藍野伊月が現れた回*13。ここでの藍野伊月の「あなたにしか描けない、伝えられないもの。そんなものはない空っぽな人間ですか」という問答は佐々木君にとってはそれはマイナスなことである一方で、藍野伊月にとっては圧倒的なまでにプラスであり、藍野伊月はそれこそを信念にしている作家です。だから佐々木君は自分が空っぽな人間であることに苦しみ、せめてと張った虚勢こそが藍野伊月の求めていた答えに結びついてしまいます。その後佐々木君は釈然としないまま会話を続けていきますが、それはその答えが本気で正しいとまでは思っていない、もしくは藍野伊月のことを正しく理解できていないためです。二人は同じ場所に立ちながら全く逆の向きに立っていたんですね。今でこそそう読めますが、当時その読み方が出来るかと言われれば無理です。お分りでしょうか、これがやがてその意味を知る物語です。
 ちなみに藍野伊月は佐々木君が同類であると確信して、ホワイトナイトを託す宣言をしてそのまま一人満足して帰っていきます。藍野伊月はちょっと変な天才なのでいいんです、可愛いですしね。

第4話 贋作

 ホワイトナイト連載のため体制を整えたところ、アシスタントとして藍野伊月が現れる回。藍野伊月以外の3人はフェードアウトするので覚えなくていいです*14。また、4話冒頭の佐々木君の気付いた「あること」は「真相を伝えると藍野伊月を傷付け、最悪の場合漫画を描くのをやめてしまう」ということであることが示されていますが、これについては明確な気付く描写がない事、また特に進展ないまま延々と引っ張られるために本気でうんざりするので考えない方が良いです*15
 4話の本題として漫画家漫画のような連載システムの紹介、アシスタントのデジタル作画などの話がありますが、タイパラは漫画家漫画ではないので意味はありません。更に佐々木君はホワイトナイトの絵について悩んでいますが、この絵に対する悩みも意味はありません。強いて言えば、佐々木君がホワイトナイトを描くに辺りまだ心の奥底では納得できていないことが絵への違和感として表れており、この違和感を解消するために本当の作者である藍野伊月から禊を受ける必要な工程というのが相応しいでしょう*16。未来の作者である藍野伊月が原稿に満足していないことに気付いた佐々木君はこのままでは出せないと原稿を素手で引きちぎりますが、彼の腱鞘炎が酷くならないかが私は心配です*17。腱鞘炎が酷いときは字を書くのすら無理なので、その状態で50ページ近い紙をぶち破る佐々木君は凄いんだよな。

 ちなみにタイパラではセリフの吹き出しの特殊効果がつけられることが多々あり、よくあるのはセリフに対してフキダシの縁が筆で不穏なテイストなものが主です。他には、3話の藍野伊月の「空っぽな人間ですか?」ではフキダシが完全透明に、4話の「完璧ですねこりゃ!」はフキダシが半透明になっており、前者は空っぽを強調して後者では見え透いた嘘という意味を持っていますが、フキダシを透明にする手法はこれ以降出てきてはいません。

第5話 本物の偽物

 佐々木君の禊が行われる回。引き続き絵について悩む佐々木君ですが、入稿とかトレースとかを理解する必要はないです。そして現れる藍野伊月は謎なセリフを吐いてきますが*18、重要なのは藍野伊月からホワイトナイトを自由に描いて下さいと言われたことです。それによって佐々木君は雑念を払ってただ「みんなを楽しませたい」という思いが詰まったホワイトナイトをその思想に則って描けるようになります。なので本質としては「誰の絵でもよい」んです。「本物を真似する」という考えそのものが「みんなを楽しませたい」という思いを汚してしまうから佐々木君は自然に描ける自分の絵で描くだけなんです*19
 ちなみに、この話で編集はキャラ書き直しについて「締め切りまで9日間しかない」と猛反対しており、佐々木君の熱意に押されて朝までに書き上げることを条件として提示していますが、次に編集が原稿を見る描写が描かれるのは9日後の朝なので、正直ここのやり取りはあまり意味が分かりません。次の日の朝に何らかの気付きがなければもう1回目の原稿で行くよって話かと思ってたんですが、9日後…?ってなるのは私が漫画家に詳しくないからかもしれません。この後も編集の挙動はよく分からないものになっていますが、タイパラは漫画家漫画ではないので…。

第6話 ストップ!

 ホワイトナイトの連載が始まる回*20。この回は佐々木君は自分の絵をアイノイツキのホワイトナイトと比較して下に見ているんですが、そうなるとなぜ佐々木君がトレースしていないかと躓くかもしれませんが、それは前話の禊と思想の話が答えになりますのでご容赦ください。
 この回では他に、藍野伊月が手塚賞入選を果たしてみんなで焼き肉を食べに行きます。ここでアシスタントの一人である五十嵐から身の上話を伝えられますが、特にこれ以降言及されることはないので放置して大丈夫です*21。そして佐々木君は藍野伊月から「連載って大変ですか?」と聞かれてから連載作家にマイナス印象を与えないよう「楽しいよ」と伝えるとともに正月、節分、花見とイベントを楽しむ描写が続きます。漫画は?だから漫画家漫画ではないので。
 そして未来のジャンプが届き始めて1年が経ったとき、佐々木君の電子レンジに届くはずのジャンプが届かないのでした。

第7話 タイムパラドックスゴーストライター

 「まさか絵だけじゃなく…物語の続きも俺が描くしかないのか!?」「せやで、それが普通や。」となる回です。1号分飛ばして届いたジャンプに載っていたのはホワイトナイトではなく、作者であるアイノイツキの訃報。色々考える佐々木君に「ダッダッダダッフューチャーサンダー!」とか言って届くジャンプの贈り主、フューチャー君のメッセージ。そして読者は1話エピローグは佐々木君ではなく藍野伊月のためにあったものなのだと、その真の意味を知ることになります。
 7話でも色々情報が明かされていますが、この辺りの話は次回にも続くのでそちらで整理をしましょう。ちなみにこの話の最後は「継続」の鏡文字で1話とは白黒が反転しています。後ほど分かりますが、この継続は「(フューチャー君が)この世界線を継続するか否か」、鏡文字は「佐々木君を見つめる存在(つまりフューチャー君)がいること」を示していると考えられます。

第8話 メッセージ

 √144とは何か、何もわからない回。扉絵はいい感じですよね。この話でフューチャー君が佐々木君に色々指示を出してきてますが、フューチャー君はオリジナルの世界線(フューチャー君介入前の世界)で知りえるはずのない情報(藍野伊月の新連載、富くじ)について知っていることから、フューチャー君は世界を何回かやり直していることが分かります*22。これまでの話を考えると、フューチャー君が佐々木君に未来のジャンプを送っていたのは、佐々木君にホワイトナイトを描いてもらうためであり、つまりこのホワイトナイト盗作劇はフューチャー君によるものであることが明かされました。
 その一方で、このときフューチャー君は佐々木君のあらゆる質問に対してまともに答えずに自らの願いのみを伝えています。それでも佐々木君は勝手に頑張ってくれるんだから良い操り人形なんですよね。選ばれるのも納得。ちなみに話に出てきた佐々木君の借金問題はこれ以降全く出てこないので考えないでください*23。タイパラを読むとはそういうことです。

第9話 白紙の続き

 突然人相が変わる回。あまりに隈がはっきりしているのでスポーツ選手のアイブラックのように思えてします。ちなみにこの回はホワイトナイトを一言一句、コマ割りすら変えずに連載するうえで最も強敵となる編集は全く仕事していなかったことが分かる回でもあります*24。ただそんな編集でも佐々木君オリジナルの46話についてはコメントをするようで、佐々木君の実力がまだまだなことが分かります。まだ46話に至るまでには9~10話ほどかかりますので、締め切りも考慮して2ヶ月間でどうにかするのでしょう。そして地味に佐々木君の作画技術が褒められた後に佐々木君の師匠の話が出てきますが、一体どんな人物で、どうかかわる予定だったんでしょうか。2巻を待ちましょう。
 ブラック佐々木君との葛藤に苛まれながらも徹夜で頑張る佐々木君、46話どうなるの?って思っていると半年経ってスルーされます。おおよそ佐々木君オリジナルになって5~6話くらい過ぎているはずですが、その評価は全く出てこないまま藍野伊月が新連載を開始して勝負するぞ!って感じで次回へ続きます。困惑しかない。

第10話 藍野伊月

 唯一佐々木君視点ではない回。46話だけでなく勝負の行く末すらもお預けを食らいながら、ジャンプ妖怪おじさんを眺める回でもある。「面白漫画を描いて世界中のみんなを楽しませるの!」と明るく宣言する藍野伊月に対して妖怪は自分もそう願いつつ漫画を描いていたけど叶わなかったこと、それでも幸せであり楽しんで描いてほしいという言葉を藍野伊月に残して去ってしまいます。この妖怪が何者であるのかは全くわかりません*25が、このやり取りは藍野伊月のオリジンとなります。
 そして作中で1話の次に擦られた「透明な傑作」。これもホワイトナイトと同様でそれ自体を深く掘り下げることはありません。藍野伊月は「全人類が楽しめる漫画」として「誰にも嫌われない漫画」を目指しています。そしてそれを実現したホワイトナイトを描いた佐々木君と話すことで目指していた方向性が正しいことを確信してしまいました。だから3話は藍野伊月にとってのイベントであり、佐々木君にとってのイベントは4話以降に尺を改めて取ることになったんですね。このように改めて読み返すと意味合いが変わるのがタイムパラドクスゴーストライターです。こういうストーリーに関する書き込みは緻密に敷かれていますので無限に発見があります。
 そうして現在に戻ると藍野伊月のANIMAは30話連続1位であることが明かされ、ホワイトナイトは完膚なきまでに負けていることがさらっと流されます。また編集は藍野伊月のアシスタントの状況等も知らないようでほんと何も仕事していないんだなって思う一方、佐々木君と藍野伊月の担当という事実に可哀想だなって思ってしまいます。
 そしてそのまま藍野伊月は死の源流に捉えられました。藍野伊月は自らの居場所を世界に見出せなかった少女であり、居場所を見つける方法として全人類が楽しめる漫画を描いています。しかし、「透明な傑作」を描く過程で己を完全に殺してしまった結果、彼女は自らの存在意義すらも消してしまったのです。これは「過労死」とかではない「概念死」であり、最近のジャンプ流に言えば「散体」です。周りから見たら死んでしまったようにしか見えませんが、「透明な傑作」を実現したことによる昇天なのでそのあたりも「散体」にそっくりです。こうして藍野伊月の死の源流、そしてそれを導いた「透明な傑作」が明かされました。佐々木君は…?

第11話 勝敗

 佐々木君視点の回。46話以降も地味に順位を落としているといいつつ、2ヶ月後のANIMA連載あたりではまだ2位を保つ。もうここまで来ると慣れたもので、描写がないのは漫画家漫画だからということで納得できますね。そしてANIMAに勝てるネームができた頃に藍野伊月の状態を知って電話をする佐々木君。この辺りでも藍野伊月は佐々木君よりも健康そうに見えますし、やはり過労死ではなくて散体なんだなと実感できます。
 そして藍野伊月の死を聞いてフューチャー君にキレ散らかす佐々木君。そりゃ周りから見たら過労死にしか見えませんので仕方がありません。そうすると佐々木君は冷蔵庫の中に消えていきました。

第12話 未完の世界

 「時空の狭間」或いは「物語の空白のページ」の回。フューチャー君はここで佐々木君に真実を伝えますが、ここのセリフからフューチャー君の世界介入の権限と自由度が恐ろしく高いことが分かります。藍野伊月の死を止める為に取った手段は、入院やカウンセリング、他の人間を使った説得や漫画を描けない環境へ閉じ込めるなどなど。「しかし止められなかった」のシーンでは佐々木君と共に藍野伊月の死亡時の姿を確認しています。そのため、フューチャー君はいわゆる世界ループではなく、任意の時点からの【運命拒絶(セーブ&リセット)】を使える上に様々な事象への介入手段を持っていると考える方が良いでしょう。つまり、1つの世界線を最後までこなさずとも気に入らない展開になったらすぐ戻ってやり直せばいいんです。実際、フューチャー君の中で佐々木君にホワイトナイトを描かせることは絶対事項であり、懸念されるあらゆる事象を排除して行われた劇がこの1話から11話の物語ということになります。2話目にして佐々木君が嘆いていた「後戻りできないポイントはどこだ!?」というセリフが意味深ですね。佐々木君が後戻りするためのあらゆるポイントはフューチャー君によって丁寧につぶされたと言ってもいいでしょう。佐々木君に対して感じていた私たちの違和感もこの際全てフューチャー君に投げてしまいたくなります。また、佐々木君が選ばれた理由は2029年に週刊少年ジャンプに読切を掲載させ、藍野伊月のスランプを克服させる原因を作ったためとされてます。佐々木君は藍野伊月と同類であるとフューチャー君は考えていますが、この辺りは3話でも述べたように佐々木君と藍野伊月では同じ場所に立ちながら見ている景色が違うことが示されていましたので、連載が続けばその違いも描かれたかもしれません*26
 さて、このフューチャー君の盗作による藍野伊月の挫折は目論見を外し、ホワイトナイトによるANIMAの敗北は佐々木君の力不足であることにより失敗に終わりました。自身の力も残り僅かとなってしまった為にフューチャー君は世界を停止させることで物語を未完とし、藍野伊月を保存する手段を取ろうとします。それに「やめろ!それじゃ死んでいるのと同じだ!」と反対する佐々木君のセリフはタイパラ中で最も共感できるものとなっています。そんなこんなで最後の選択を託された佐々木君は元の世界へと帰還するのでした。

 ちなみにこのフューチャー君、「それが親心なのだ」と言っている辺り、やはりジャンプ妖怪おじさんと関連していることが示唆されています*27。元から劇中作の登場人物であるせいか、フューチャー君はメタ的な発言が多い。「人の『想像する力』が生んだ幽霊だ」「とある作家によって生み出された物語に必要だったキャラクターに過ぎない」などという発言に連なっているため「君に理解してもらうためには少々時間が足りない」というのはタイパラが打ち切りに遭うこと言っているのかと思ってしまう。なんにせよ、妖怪とフューチャー君、√144などは2巻にて解説が待たれている。

第13話 Writer

 止まった時の中で藍野伊月を越える漫画を描く佐々木君を見る回。今読み返して気付いたが、46話以降を描き直すとなるとANIMAまだ連載してないな…?
 796日目までホワイトナイトを描き続けた佐々木君。これまでインプットしていなかったことに恐怖を覚える。2411目で完成したホワイトナイトを持って時を動かそうとするが、佐々木君は「まだやれるのでは?」と描き続けることを選択する。3175日目にして5回目のホワイトナイト完結を迎えてから、佐々木君は「ホワイトナイト」を超える作品を描くためにオリジナル長編を描き始めました。そして12472日目には18作目を完結させる。この前後にて佐々木君の目の描き方が違うため、この間に何も伝えることのない空っぽな作家が藍野伊月へ届けたいメッセージを見つけたのでしょう。
 つまり、ここで佐々木君はもう自らを「空っぽではない」と宣言している訳です。3話目の藍野伊月とのやり取りの中、藍野伊月は自らの言説の証明を夢見ましたが、佐々木君は藍野伊月に同調しつつも完全についていくことはできていませんでした。これは佐々木君が自ら空っぽであることや作家性やメッセージが必要なのかと悩んでいた答えとして、「透明な傑作」は相応しくなかったということでしょう。佐々木君はアイノイツキと同じ高みに達した時、佐々木君は「透明な傑作」に別れを告げて自らの答えへ歩き出していきます。

最終話 あの頃

 時を戻した佐々木君が藍野伊月に会いに行く回。佐々木君はホワイトナイトの46話以前の世界に来ているかと思いきや、そのあと藍野伊月が「最近のホワイトナイトは面白くない」というため、一体どの時間軸に戻ってきたのかさっぱりわからない。もし46話以前の世界なら連載始まる前に「これならANIMAに勝てる」と勝負を仕掛ける佐々木君は大人げない。
 そして佐々木君は読んでほしいネームを藍野伊月に託します*28。それを読んだ藍野伊月は「あれこそ「全人類が楽しめる漫画」ですよ!」と褒めたたえ、その領域には至れないと諦めて「透明な傑作」を目指すことをやめると言います。そして藍野伊月は「透明な傑作」を求めていたのは自分が嫌われるのが怖かったからであると認識し、純粋に漫画を描くことを楽しんでいた原点を思い出し、楽しんで描くことを夢とすることとしました*29。一方で、そんな藍野伊月に佐々木君は「あれは全人類が楽しめる漫画ではない」ではなく*30、誰からも愛せる漫画を作ることはできないと言います。そして描いた漫画はたった一人の誰かに届くだけでもよくて、自分がまず楽しんで描く幸せを持つことが大事なんだと言って藍野伊月も同意します。そうして二人はそれぞれ10年後も漫画家を続けているところで終わりを迎えます。藍野伊月は可愛いですね。

 さて、ここまで読んで皆さん気付いたでしょうか。そう、菊瀬編集の言葉は絶対的に正しかったのです。佐々木君は地元に帰って漫画を描き続けることで読切掲載までに至り、その作品は藍野伊月のスランプを克服するきっかけとなります。また結局のところ、佐々木君のいう「みんなの楽しめる王道漫画」というのは「透明な傑作」を否定する上で間接的に否定された結果となります。佐々木君の思い描いていた「みんなの楽しめる王道漫画」なんてなかったんですよね。悲しい。
 一方で「自分が楽しんで描く」「誰か一人に届いたらいい」ということからも読者という存在を意識せずに自分が描きたいものを描き続けることが大切という結論となっています。それは商業誌に連載する作家としてどうなの?タイパラとは、読者のための漫画家漫画ではなく、漫画家のための漫画家漫画だったのでしょうか。私は漫画家でも編集者でもないのでわかりません。


 ひとまずタイパラ全話を振り返ってみました。自分でも読み返してみると色々発見がありましたので本当に無限に発見のある漫画です。さて、全話を振り返ったのは「タイパラとは何なのか」ということを考える為でしたが、私には全然分かりません。全編通して漫画家漫画を装い、概念について語られていたように思えます。

 疲れたので今回はここまでで終わらせていただきます。まだ来週何かしらタイパラに頭が縛られてしまっていたらまた何か書きます。この記事が皆様のタイパラへの理解に役立てば嬉しいです。それでは。


⇒to be continued...
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*1:号数と話数が合わないのは合併号のため。

*2:この技術は普通に凄いと思うので次回作期待してます。頼むから普通の漫画を描いてくれ。

*3:例えば第8話の佐々木君の借金問題。

*4:しかしセンター試験とは違って設問はないため、まず読んだときに「なぜ?」という問いかけを自ら思いつき、それを解決するために読み込むという作業が必要です。

*5:佐々木金は4年間持ち込みをしていますが、この期間は夢を諦めるために妥当な期間として設定されたのでしょう。しかし、4年間持ち込んだ佐々木君のストーリーテラーとしての能力がこの程度であるという描写は佐々木君に過剰なヘイトを呼ぶ原因になってしまった。

*6:作中最も正しかった菊瀬編集はこの作中唯一と言っていい被害者です。可哀想。

*7:佐々木君はネームを描けない原作者が相方であっても作画担当としてやっていける実力を持っていることが示されています。しかし、あらゆる擁護も4年間という虚無の時間に呑まれて消えて行ってしまいました。

*8:本当にそう思うか?

*9:東京喰種で知った人も多いと思いますが、キャラを動かす動機や話を転がすための設定のことを指します。ルパン三世が狙う財宝とタイパラにおけるホワイトナイトは等価です。

*10:まあそれも最後の最後で捨てられてしまうのですが…。

*11:本当にこの頃の佐々木君のギャグテイストな顔がキツイ。1話の展開自体がかなり荒れていた上にこの表情であったことが更に油を注いだのではないかと思っています。手癖で白目ハワワを描くのをやめろ。

*12:未来のジャンプが送られてきてホワイトナイトを盗作してしまったについて、「でもきっとこれは義務だ」というのはちょっと勘違いが激しいのは同意しますが、そこから佐々木君がジャンプ連載作家の座にしがみついたとまでは言えません。せめて都合よくこの現状を解釈して罪悪感を軽減させようとしたくらいが限界です。佐々木君の好感度が著しく低いのでそう思ってしまうのも仕方ないかもしれませんが、そこはフラットになりましょう。。

*13:白目ハワワはマジでやめろ、手癖で描くな。

*14:きっと連載がもう少し長かった場合、赤石君あたりが藍野伊月のアシスタントとして働いていて、様子がおかしくなるところを見てアシスタントを追われたときに佐々木君へ話に行く話があったんじゃないかな。藍野伊月の結婚相手候補No.1は彼だと思っています。

*15:3話にて藍野伊月は佐々木君も同じ答えに至って非常に完成度の高い作品として昇華させたと思っています。この同類に出会えたという藍野伊月の思い込みは非常に重要であることが後に描かれますので、真実を明かす行為はせっかく出会えた同類がいないことを藍野伊月へ突きつけ、その気付きを否定するためにショックを受けるのは妥当ではあります。一方で当時の困惑度合も含めて佐々木君が藍野伊月のその辺りの心境までを気付けていたとは到底思えませんし、そこから筆を折ると思い込んだ理由も不明です。第一、藍野伊月は狂人なのでその程度で筆を折ることはないと後で読者は知ることになります。

*16:3話で託す発言されていますが、前注釈にある通りこれは藍野伊月にとってのイベントであり佐々木君イベントではありません。

*17:佐々木君の右手のテーピングは手首の動きを固定するためのものです。私も過去に腱鞘炎が酷かった時にこのようなテーピングをしていました。腱鞘炎のように関節を痛めると一生治らない(寛解はします)ので、みなさんは関節を大事にしてください。

*18:そういえば「佐々木先生は!!鳥です!!」の考察を見た記憶があまりないんですが、もしかしてここで出てきた「何物にも縛られず『自由』気ままに大空を舞う鳥なのです」の自由が√144に繋がるんでしょうか。間違った道を歩む藍野伊月から正解が与えられるとは何たる皮肉か。

*19:みんなを楽しませたい、という割には佐々木君自身は楽しくありません。1話の佐々木君の「みんなを楽しませたい」には菊瀬編集も含まれていませんでしたし、「みんな」って難しいですね。

*20:「代筆」という謎ワードが出てきた回で盗作でやんや言ってた人たちも、そうじゃない人たちも荒れた回でした。まだ話の方向性が全く見えていない状況でどっちのはしごも外してるんだからそうなる。

*21:五十嵐の状況は佐々木君と似ているという言説もよく見ます。おそらく「何が面白いか分からない」というスランプは「楽しんで描く」というテーマの裏返しなのでしょう。でも佐々木君は賞をとっても読切デビューすらしていない子な上に自分は面白いと思ったものを面白くないと一蹴されているので全く似てはいないですよね。

*22:少なくとも佐々木君にホワイトナイトを描かせた後、藍野伊月は新連載を描き上げて死の源流に捕まって死んだという最低1回の試行は行われているはずです。

*23:佐々木君がお金や連載作家というポジションを目当てにしてホワイトナイトを連載していないこと、また次週富くじが当選していたことからフューチャー君が真実を伝えていることの描写として考えるのが妥当です。そのため、どう借金をしたのかや借金の用途、現在の佐々木君の生活がどのように成り立っているのかを考えてはいけません。ちなみに最後まで読んでも佐々木君は借金を返済したのか、そもそも藍野伊月にホワイトナイトの収益を余さず渡せたのかは分かりません。

*24:8話にて急に佐々木君がホワイトナイトについて研究しだしてましたが、本来であればホワイトナイトをそのまま現代で描くのであれば佐々木君はホワイトナイトへの理解を深め、担当編集の疑問や指摘について躱していかなければなりませんでしたが、そんなことしていません。そうした描写があれば急な覚醒とならずに納得して読めていけそうでしたが、この辺りは8話の展開をしたかったからかもしれません。まあ、編集仕事してない問題についてはホワイトナイトは全人類が楽しめる超人気漫画なので、そのままネームを出しても指摘があること自体ありえないと考える方が良いでしょう。

*25:佐々木君か?と思いつつもそうするとフューチャー君を連載していたと思われる妖怪とのタイムパラドックスが生まれてしまう。一方で、この妖怪は作中で藍野伊月を「伊月ちゃん」と呼称した唯一のキャラであるため、時空へ干渉しているフューチャー君と何らかの関係があることは確実です。また「私も伊月ちゃんと同じように新しい道に歩むことにしました」という書き置きから、やはり佐々木君では…?と思ってしまう。ほんとなんなんだこいつ。そもそも創刊号から全部のジャンプ持っているってその頃から時空渡り歩いていたのか。フューチャー君と佐々木君に割れたの?はよ誰かこいつの正体について教えてくれ。

*26:ちなみにフューチャー君はこれを「君は真に受けなかったようだが」と言っているため、なぜ佐々木君を選んだのかを説明した世界線も経験済みであり、そちらもうまくいかなかったようですね。「君に伝えても余計な思いを与えるだけだからだ」というセリフはそういった経緯を踏まえてのセリフでしょう。分かりにくい。

*27:元から妖怪の描いた作品中のキャラクターですしね。「私に人の心はなく…」という割にそういった親心を見せたり、佐々木君に迷惑をかけた償いをしようとしたりしているところを見ると、これは彼自身が人ではなくなったことに対する自嘲なのかもしれない。佐々木君に歩ませた道程や行く末の選択肢の意味のなさを見るに、本当に人の心はなさそうですが…。

*28:無限の時間があったのに何で描き上げていないのか?それは話そのものが重要であり、絵はどうだっていいと解釈するしかありません。ホワイトナイトの連載でも佐々木君は絵に悩みますが、結局は絵の上手さなどではなくホワイトナイトを描く上で「みんなを楽しませたい」という思想を純化する方向に舵を切っています。

*29:ジャンプ妖怪おじさんの「楽しんで描いて下さいね」に帰結する恐怖。そして最近の編集インタビューがまさかタイパラ番外編であった恐怖。あらゆる意味で怖い。

*30:このまま彼らは話し続けるのでさっぱりわからない方もいらっしゃると思いますが、藍野伊月は「透明な傑作」を信じていた漫画家ですから彼女が本当に面白い漫画と思うのは「全人類が楽しめる漫画」であるはずです。しかし、佐々木君が描いたものは藍野伊月だけに向けた新編漫画です。つまり、そういう思想を持つ藍野伊月にだけ響く漫画を描いたので、佐々木君は「全人類が楽しめる漫画ではない」と言っているんですね。だからこそ、佐々木君はアイノイツキが描いたホワイトナイトではなく、新編の漫画を描かなければならなかったということでもあります。それにしても概念の話をスムーズに進めるんじゃない。