考の証

要は健忘録

「体験」を作るというデザインのお話

 最近は比較的暖かい日が続いている。コートを羽織る程度で丁度良いような、気持ちの良い日差しが射す小春日和であった。今年の冬は暖冬傾向にあるというが、去年よりもその傾向は強いように思える。その証拠にスキー場の雪が少ないというニュースを見た。確かに例年行くスキー場は雪が少なくそもそも開いていないようだ。これはスキーやスノーボードをするには新潟といった北陸や北海道に行くしかないのだろうか。一方で北海道でも雪が降らずに土埃が舞うといったニュースも見ているので、今年は滑れないと思ったほうが良いかもしれない。

 この三連休はふと見た駅の広告にあった建築系のデザイン展に行ってきた。
www.nmao.go.jp

 建築系には教養がないが、特に予習もせずに興味を惹かれたという理由で行ってきた。そもそも美術館で開かれる催事に対して教養なんてなにも持っていないのだが。
 これは「Impossible Architecture」 という、実現しなかった建築物に関する展示会である。最初はソビエト連邦にて技術的に当時作ることのできなかった建築物に始まり、コンペで選べれなかったが話題を呼んだ建築物、果てには記憶に新しい新国立競技場のザハ案などがあった。他にはこれまでの無機的な建築物に代わり、有機的な建築物を目指すといったものもあった。
 すべての建築物デザインにも言えるが、あくまで建築物は手段であり、それにより達成したい目的がある。例えば、ソビエト連邦のものでは自国の技術や社会主義を優れたものであるというプロパガンダがそれにあたる。有機的な建築物は今でいうSDGsの考え方に近いものが感じられた。

 これは以前の「デザイン思考」のセミナーの受け売りであるが、デザインとは外観のことではない。デザインとはそれがどのように使われるのか、使うことでどのような効果が得られるのか、といった「体験」を想像してそれに適した物を設計することであるといえる。それで初めて目に入る情報が外観なのであり、それは体験の入り口に過ぎない。この前行ったデザインの原画展でも思ったが、彼らは外観をデザインしているように見えがちだが、その裏には成果物がどのような体験を与えられるかまで細かなところまで気を配られている。

 職業柄、素材を作って売る仕事をしていることもあり、いわゆる「イイモノ」を作ることが求められている。一方で、モノの機能や性能などは上限に達し始めていることにも薄々気づいており、これまで通りのモノづくりでは成長できないであろうことも想像に難くない。そういったこともあり、これからはデザイン思考を取り入れて仕事をした方が良いかもしれないと思うところもあり、こういった展示会へ顔を出しているが、勉強の入り口として本を読むのも良いかもしれない。そう思って今日は帰りに本屋によってデザイン思考の本と、ほかに惹かれた本を2冊程度買った。積読が捗る日々であるが、しっかり消費せねば。