考の証

要は健忘録

【積読日記】みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト

 最近、みずほ銀行で大規模障害が起こっていたなと思い出して、積読としてため込んでいた本作を読むことにした。それにしても、最近だと思った大規模障害も3ヶ月以上前だったのはちょっとビックリした。

 本著では2011年の東日本大震災で起こった大規模障害を発端としたプロジェクト、あまりに終わらない為にIT業界のサグラダ・ファミリアと揶揄された銀行の基幹システムの開発話が1章、2011年の東日本大震災での大規模障害の実態を2章で、最後にはそもそもなぜこのようなプロジェクトが必要になったのかを第一勧業、富士銀、興銀の合併当時から最初の大規模障害である2002年までを振り返る3章で構成されている。

 私はIT畑の人間ではないため、1章の話は半分も理解できていないので割愛したいと思う。ちょっと驚いたのは2011年当時のみずほ銀行のシステムのプログラムは1億行あるというところだ。確かにメガバンクを支えるシステムのプログラムは膨大だというのは分かるが、流石にその分量には驚かされた。ちなみに2章の話もシステム関連だったので、どういう障害がなぜ起こったのかの解説をただ「へ~」と読んでいるだけだった。日経コンピュータの内容をまとめたものであったおかげか、素人にも分かりやすく書かれていたので面白く読むことは出来ていた。

 2章までの内容であれば特に書く感想もないためにブログに書くか迷っていたところであったが、3章の内容を読んでこれで感想が書けそうだと思った。結局、これらシステムの大規模障害の原因は三銀行の統合のときにリーダーシップ、統合方針の不在によって迷走したことが原因であった。まったく別の業種ではあるが、会社統合を経験した方曰く、統合時にはどちらの会社出身かという雰囲気があった一方、十年ほど経つと統合後に入社した社員も増えるためにそういった垣根もなくなると聞いた。規模は違えど銀行でもそうなんだろうと思っていたが、「統合の際にどの銀行のシステムを中心に据えるのか」という問題に対して、経営陣の中では決めていた一方、それを伝えずに各銀行のシステム担当にどのような方向で統合を進めていくのかを丸投げしてしまったために、各行のマウント合戦になり、当初経営陣で決めていたもので方向を固めた頃には各行の間には大きな溝が生まれていたと本著では述べられている。以降のシステム関連の問題はこの頃の溝が発端になったと言ってもよく、それを作り出したのはITやシステムのことを理解していない、そのうえリーダーシップを発揮できなかった経営陣にあると感じた。本著ではそれを克服した(例えば大規模障害が起こった際、CIOや頭取にすぐに連絡が入るようなシステムを構築したと記載されていた)としていたが、実際は今回の大規模障害ではインターネットニュース経由で頭取は知るというお粗末さを露呈し、その上に18年(本著で扱っているシステム導入時期と重なる)にも大規模障害を起こしており、それを公表していなかったと報道されている。リーダーシップの不在、経営陣の知識不足、事なかれ主義。そういったものは大きな組織であればあるほど社風を変えるのは困難なのだろうか。最近の日経新聞では政府に近く、新しいことに挑戦せずに株価が下がった企業として東芝と同様に扱われていたのも印象に残っている。

 企業の統合に限らず、より小さい規模で言えば部署の統廃合や他部門間でのプロジェクトなど、そういった仕事においても上記の問題というのは起こりうる。他山の石として覚えておきたいものである。