考の証

要は健忘録

【読書日記】三体Ⅲ 死神永生 上下巻

 この週末はウマ娘を絶ち、25日に発売した三体Ⅲを読んだ。

 三体ⅠとⅡを読んだとき、この物語はこれで終わっていても満点であると感じた。一方で、三体は世界的の評価されている作品であり、この二作の続編を更に書いたという点でⅢの死神永生は首を長くして待っていた一作である。


 これまでの三体ⅠとⅡでは「困難な状況に対して正解を引き当てる」物語であった一方、Ⅲでは「全ての物事に対して失敗を引き続ける」物語で読んでいる最中は結構ストレスのある話運び(ここでいうストレスは面白い、つまらないの軸ではない)であった。それこそ階梯計画は唯一の成功したものといえるが、今作の主人公である程心にとってはこの計画こそが全ての失敗の始まりとも言える。この計画から共に関わっていたトマス・ウェイドは常に正解を引く人物であった一方で、おそらく劇中でも述べられていたように彼が主導したとしても結果は変わらなかったと思われる。それは時代時代における人類の選択が成した結果であり、程心はただその結果を背負わされただけであると言えるからだ。彼女が成した選択は人類がこれまで築いてきた価値観によるもので、大多数の人間は「自分の母親を売春宿に売り払う」ことはできないし、それによって助かることを理解していたとしても受け入れられなかっただろう。そしてそのことを本当に理解した人類とは違い、その選択を成した大多数の人類が終末において取った行動の愚かさは見ていられないものがあるが、こういった感想を抱けるのは当事者ではない読者であるからというのは覚えておく必要があるだろう。この短期間的な視点での選択が長期間的には間違っているという話は最近読んだホモ・サピエンス全史に通ずるものを感じる。その日をよりよく生きていくことを是としたとしてもよくなるとは限らない。ベストな選択肢はベターな選択肢だけを選ぶだけでは決しては辿り着けない。その一方、そういった愚かさの積み重ねを描いた劉慈欣が選んだ結末がその人類の成長を否定せず、それこそが正しい選択であるとしたことも重要だと思う。例え愚かであろうと、失敗を積み重ねようと、他者を想い愛することは決して間違いではない。


 ところで三体はハードSFであるが、その一方でエンタメ的な側面も強く出ている。Ⅰのナノマテリアルによる巨大タンカー切断というのはその象徴である。三体は物語が進むにつれてSFとしての要素が強く反映されている(私は最終的にインターステラーを思い出した)が、それはそれとしてⅢではSF劇の合間にトンデモエンタメが入っていた。智子の日本刀による戦闘描写などその最たる例だろう。智子はアンドロイドであり、レーザー銃などの未来的な武装を使用して良いし、なんなら小型の水滴を出しても良かったはずだ。それなのに智子は2本の日本刀を使って人体解体ショーを行ったが、これは思わず笑ってしまった。何ヶ月かしたらツイッターで智子与太をしていてもおかしくない。忍者的な容姿をしていたこともある上に最後までその姿勢を貫き通していたところを見るに、おそらくこの要素は三体人が人類文化の中でも特にお気に入りだったに違いない。


 さて、今作でも三体人についてはあまり描かれなかった上に、彼らは人類文化を摂取することで嘘や策略を覚えたと言われている。実際に三体人は執剣者変更に伴い暗黒森林抑制のための重力波装置破壊や物理学の基礎理論に関して間違いを含めて伝えたことが描かれている。そのためⅢにおける三体人について知ることは難しく、かなりの領分で読者の想像に委ねられていると思われる。例えば、母星座標送信以降の三体人に関してはかなり不明な点が多い。曲率推進による空間歪みは光速航行が可能であることを全宇宙に知らしめる痕跡である一方、この空間歪みこそが暗黒領域を形成するために必要な要素であることがわかっている。三体人の技術力は地球人類との遭遇以降、線型的な成長速度から指数的なものに変化したと言われていた。また智子と羅輯の問答から三体人はその頃から暗黒領域による全宇宙への安全通知を理論的に理解していたことがわかる。だが彼らは母星や太陽系を支配して暗黒領域に閉ざすことはしなかった。これは推測ではあるが、座標通知時に三体人は理論こそ持っていてもそれを実現するリソースを持っていなかったと思われる。そもそも三体人は母星が三体問題に起因する乱期が外宇宙への進出の動機になっているため、母星を暗黒領域に閉じ込めることはできなかったのだろう。また座標通知以前の記録を辿れば太陽系も暗黒森林攻撃に曝されることが確定しており、暗黒領域形成完了までに暗黒森林攻撃が来ないように祈るのは不確定要素が強く、それを彼らは良しとしなかったとも捉えられる。三体人が曲率推進による外宇宙への進出を第一艦隊、第二艦隊でしていないところを見るに、おそらく大多数の三体人が母星で命を落としたと思われるが、これは地球人類とはかなり異なっている。太陽系侵略という大義名分があったとしても全ての三体人が光速航行の恩恵に与る数は限りがある。それは地球人類のような政治体制では許容できないと思われるため、三体人が人類文化によって価値観や政治体制まで変貌させたというのはおそらく過大に伝えていたのだろう。
 雲天明の3つの物語の意味に関しても、おそらく三体人は理解していたのではないかと思う。暗黒森林理論に基づく暗黒領域は狩人だけでなく他の知的生命体に対する安全通知である。光速航行技術が確立される頃には人類は暗黒領域について理解している。またこれらの技術に対して既に母星を失った三体人にとって何らデメリットを受けない(人類が生き残るという点に対して三体人の思うところはあるかもしれないが)。雲天明が直接的に程心へ話すことは流石に止めるであろうが、物語に紛れて伝えるのは見逃したと捉えれば、それは三体人の羅輯に対する敬意と同じ理解ができると思われる。三体人、実は言うとかなりお人好しな種族として私の中で認知されているのでちょっとこの解釈は歪んでるかもしれない。


 それにしても、本作でⅡのにおいて<自然選択>とともに未来への逃亡をした<藍色空間>が物語において重要な役割を果たしたのは章北海が好きな私にとってとても嬉しい展開であった。<万有引力>よりも劣った戦艦であるにもかかわらず、あの無敵と思われた水滴を打ち破ったのは本当に良かった。四次元空間からの三次元空間への干渉攻撃は反則もいいところで、魔法というよりも神法と呼ぶべきものだろう。この辺りの描写やそれに引き続く二次元化の描写、その後の小宇宙などはインターステラーブラックホールの中を思い起こさせるようなものだった。よくこれを文章に起こそうと思ったなと感心している。



 時間も遅くなってきたので、感想を書くのを打ち切りたいと思う。こう感想を書いていると最初から読みたく直したくなってきた。積んでいる本がたくさんある中、既に読んだ本を読み返すというのはちょっと罪悪感があるが、まあ数年単位で眠っている本もある中で1ヶ月くらい積んでいる時間が伸びるのは大した差はないかもしれない。