考の証

要は健忘録

【積読5冊目】時間は存在しない

 積読と言いつつ最近買った本しか読んでない。仕方ないよね、最近の方がまだ興味薄れてないから。次は1年以上買って放置している本でも読もうかしら。

 5冊目は「時間は存在しない」。大きなジュンク堂の近くまで行ったときに平積みされていて表紙買いした本の1冊である。

時間は存在しない

時間は存在しない

 本書は現役の物理学者が一般向けに今まで時間についてわかっていること、わからないこと、著者の仮説などをまとめて一冊であり、小難しい数式は1つ、それもクラウジスの不等式と呼ばれる熱力学第二法則を表す、物理化学を勉強し始めてすぐ出てくる式しか出てこない。それが逆に直感的な理解を妨げている気がするが、微分方程式が出てきても正直分からないと思うので、これでよかったのかもしれない。
 構成としては、まず私たちが思う「時間」とはこの宇宙において普遍的なものではないことを示される。その後、なぜ「時間」が普遍的ではないのかを著者の「ループ量子重力理論」から説明され、「時間」というものは物理の基本法則にはないことが示される。そして最後の章では「そんなこと言っても時間はあるよね?」という読者のために、なぜ私たちが「時間」を感じるのか。過去の哲学者たちの言葉を引用しながら著者は私たちが感じる「時間」に関して考察をして本書は〆られる。

 読んで自分なりに理解したのは、私たちの感じる「時間」は普遍的な概念ではなく、かなり特殊な概念であり、なぜそうであるかといえば私たちが存在する(感じる)宇宙が「特殊」であるからといったところだろうか。
 普遍的な「時間」がない、というのはアインシュタイン相対性理論でも示されている。同じ地球上でも海底と上空では地球の重心からの距離の差によって海底の方が時間の進みが遅い。これは時間が重力場によって生み出されているからに他ならない。また、時間は速度にも依存する。これは恒星間旅行を行うようなSF(インターステラーはよくできた映画だと思う)ではよくある描写である。そういった事実より、地球上を生きる私たちでさえ同じ「時間」を共有していない。ただそれを感じられないのは、私たちの持つ質量があまりに小さく、動ける速度もあまりに遅いからである。もしそうでないとすれば、きっと体を大きくして新幹線に乗ることが流行っていることだろう。より大きな視点に立てば、地球と夜空に見える星々が同じ「現在」を刻んでいるかなどというのは議論できない。先ほど書いたように星の質量も違えば公転速度も違うために時間の流れも違うだろう。そもそも光ですら何万年とかかるほど遠くにある星の「現在」を観測することなどできやしないのだ。そういう意味で、私たちの「時間」という概念がこの宇宙で普遍であるということは言えないだろう。
 では「時間」とは何なのか。それは著者によれば私たちの視点がマクロなものであるが故の「ぼやけ」であり、視点を量子単位にまで落とし込めば素粒子の位置と速度の「非可換性」こそがその正体であるそうだ。量子力学などは大学で習って大半の人が理解できずに脱落していく学問なので言及を避けたいところである。本書によれば、ニュートン力学では状態を表すための変数として必ず「時間」が入り込むが、この素粒子のレベルまで落とし込むと状態を表す変数に「時間」は存在しない。

存在するのは、出来事と関係だけ。これが、基本的な物理学における時間のない世界なのである。(P.147)

 ではこういった「出来事」と「関係」だけが物理学の基本法則であるのに、なぜ私たちは時間を感じるのか。物理学の法則の中で、時間の方向性を唯一示すものは熱力学第二法則だけだそうだ。これはエントロピーは必ず増大する方向に向かうという法則だが、つまるところ、綺麗に配列した状態から変化するときは同じ配列もしくはそれよりも煩雑になった状態にしかならないことを示している。本書ではトランプのシャッフルで説明される。例えば、12枚のトランプで上に赤6枚、下に黒6枚の状態のものをシャッフルすれば、必ずトランプは赤と黒が入り混じった状態になるが、これがエントロピーの増大を示している。宇宙は過去から現在に至るまでエントロピーが増大する方向に動いているそうだが、これが普遍的な時間を信じさせている。が、本書で上手いと思うのは発想の転換の仕方だ。先ほどの例で言えば、12枚ランダムに並べたトランプをシャッフルした後、トランプの配列はランダムのままなのでエントロピーは増大していないように思える。だが、初めの配列から確実に変化しており、私たちがエントロピーが増大していないように見えるのは「私たちがその配列の意味を知りえないから」ということ。逆に言えば、最初の例を挙げれば「赤と黒に意味を見出している」のは私たちに他ならない。もしかしたら、私たちに見えていない配列を含めれば、エントロピーは増大していないかもしれない。そういった意味で、物理学の基本法則にはない「時間」という概念を私たちは特殊な立場に立っているからこそ感じているのだ。


 なんて内容でした。いや、正確に理解できているかはわからない。読んでから感想を書こうと思っていたら麒麟がくるが始まってしまい、義輝様が格好良すぎてブログに書く内容が飛んでしまったからだ。罪な男だ。
 そんな話はさておき、本書では上記に述べたような発想の転換が非常に上手いと感じた。初めの部では以下のように物体の落下を説明している。

物体が下に落ちるのは、下の方が地球による時間の減速の度合が大きいからなのだ。(P.18)

普通、物体が落下するのは重力に引っ張られるからだという説明になる。だが、この重力は「時間」という言葉で言い換えても問題ない。なぜなら、重力場で発生するのは「時間」と「空間」の歪みであるからだ。本書ではこういったこれまで常識であると考えていたことを違った視点で見ると新しい発見があることを沢山教えてくれる。

 他に印象に残っていたのは、ニュートンの話である。ニュートン万有引力の法則で有名だが、彼は「絶対的な時間」や「絶対的な空間」なるものを信じていたようだ。この話を読んで、私は大学で受けた科学史の授業を思い出し、ニュートンらしいと思った。
 万有引力の逸話でよく知られているのは「ニュートンは木からリンゴが落ちるところを見て万有引力の法則をひらめいた」というものである。実際はそうではない。当時の人でもリンゴが地球に引っ張られて落ちていくことは知っていた。重要なのは「地球上の物体だけでなく、リンゴと同じように月すらも地球に落ちている」ということである。ニュートンは当時地球と神が住むと考えられていた空では違った法則が流れていると信じられていた中、地球だけでなく空の領域でも同じ法則が流れていることを発見したのだ。だからこそ「万有引力」なのだ。そんな発見をしたニュートンだが、この法則から彼は神の存在証明をしようとしていたと授業で習ったのを覚えている。彼は神学者でもあり、この世の全てのものに働く美しい法則を作れるのは神だけだと信じていた。そういったエピソードを知っていると、おそらくその「絶対的な」時空間も神がこの世を設計したら全てを美しく設計していると考えてもおかしくないだろう。そういった意味でニュートンらしいと思った。

 また関係ない話をすれば、どうしてヨーロッパの人々は物事を説明するためにわざわざ哲学者の言葉やシェイクスピアを引用するのだろうか。単なる比喩なのだろうが、むしろ説明が冗長となってしまい言いたいことがぼやけているように思える。これは私がそういった知識に疎いせいなのかもしれないが、明らかに翻訳者あとがきの方が本書を理解するうえで役に立つはずだ。

 と、テレビを見ながら感想を書いているとどうしても書く内容に筋を通すのが難しい。初見のテレビを見ながら原稿を書く小説家もいるらしいが、どういう頭をしているんだろうか。気になって仕方がない。