考の証

要は健忘録

続「万引き家族」

  色々思う事がまた新しく出てきたので筆を取る。あらすじとは言えない物語のネタバレもあるので、見たくない人は戻ってね。

 

  万引き家族は万引きもテーマではあるが、家族もテーマであると思う。万引き家族では虐待されていた子を保護(ただしくは誘拐)する。その後、元の家庭に戻るか尋ねるとゆりは今の家が良いと選ぶ。その後、母親の信子は「選んだ方が良い、そっちの方が絆が強い気がする」といったことを言う。まあそのときの話し相手の祖母である演技が良いんだ。良いシーンには祖母が常にいたというのは個人的な主観であるが、やっぱり樹木希林は偉大である。

  そんな家族も離散するのだが、そのとき出てくる刑事役(高良健吾は良い役だったけど、今話しているのは池脇千鶴の方)が非常にイラッとくるような事ばかり言うのである。例えば万引きをして捕まり、足の折れた息子の祥太を置いて家族は家から逃げようとするが、そのことについて刑事は祥太に対して

  「本当の家族ならそんなことしないでしょう?」

とか言ってくるのである。実は万引き家族は全員血が繋がっていないのだが、息子の祥太は記憶もない幼い頃に車上荒らしにきた(と示唆されている)父親の治がパチ屋の車の中から連れ出したのである。そういう捕まる前までの万引き家族を見てきた私たちにとっては、

  「本当の家族でも娘を虐待するし、パチ屋の車に放置するんだからそこは関係ないだろ」

と思うのである。さらに言えば私は

  「うるせぇ物事を最初から決め付け、何も知ろうとしない外野が正論ぶってんじゃねぇ」

とか思っていた。

  そんな風に思っていたが、あの刑事は現実でいう私たちのことを指しているんだろうことに気づくとあの役の意味にも納得できる。おそらく、わざと煽るようにしたんだろうと思う。何も知らない、知ろうとしない外野が自分の価値を絶対として正論を押し付ける。ネットであれば、どこでもいつでも見れそうな話である。前のブログでも書いたが、そこには実際に生きる人間がいるにもかかわらず、表面的な事実だけをなぞって断罪することは正しいことなのか。このストーリーでこの役があったからこそ、私はそう思ったんだと気付いた。