考の証

要は健忘録

呪いの話

 つい前、オバさんを笑う若い女性に「自分に呪いをかけるな」というお話が盛り上がっていたのを覚えている。この呪いというものはとても厄介なもので、その存在に気づいてしまったが最後、ずっと人生につきまとっていく。まさに呪いとしか言い様のないものだ。

 初めて自分に呪いを掛けたのはいつだろうか。きっと、中学生の頃だろう。あの頃、自分は虐められていて、気持ち悪いだのブサイクだの、性根の腐った奴らに言いたい放題されていた。ただ、そいつらに負けるのは悔しかったから学校を休まなかった自分は本当にアホなんだと思う。何が皆勤賞だ糞食らえと今は思える。ネタツイートだけれど、虐めに耐えられる精神なんて本当にまともじゃない。嫌なことからは逃げないとろくなことにならない。

 その時の後遺症として、自分の存在を肯定できなくなった。自分は気持ち悪いものだとか思う。例えば、顔について言えば今でも眼鏡をかけないと鏡を直視するのが難しい。一度、コンタクトに変えてみようと思ったこともあるけど、鏡を見た時、ああなんて気持ち悪い顔をしているんだろうと思ってしまったのは本当に救いようがない。それでも他人からの目線が気になるため、鏡を見て自分の身なりが変じゃないかを確かめたく仕方がない。他には本当はもっと人に話しかけて色々聞く性格だったけど、「お前は詮索が過ぎる」なんて一言をもらったために他人に無関心を貫くようになった。結局、他人からの肯定的な評価を何も受け入れることができず、否定的な評価だけが心に刺さりながら生きていくのは針の筵に座っているかの様に少しずつ私を蝕んでいく。きっと、言った本人にとっては他人の人生を狂わせているなんて自覚はないし、まったくその通りなのだけれど、それに自分という人間性を狂わされた自分というものには吐き気を覚える。

 でも、他人から貰った呪いなんかよりも、自分で掛けた呪いの方が何万倍もタチが悪い。あいつはダメだ、そういうやつにはなりたくない。そんな思いがいつの間にか、全て自分に跳ね返ってくる。そして、昔の自分を思い出しては、ああはなりたくないと思いだけが募っていく。いつの間にか、数え切れないほどの呪いが自分の背に乗っていた。雁字搦めに縛られた私は、もう動けないんです。誰かに助けを求めたい気持ちもあるけど、どう救われたらいいのかもわからない。自分に救われる価値があるのかすらわからない。そもそも自分の価値を信じられる人が信じられない。他人の人生に深く関わる資格があると思うことすら傲慢ではないかと思う。もう、私は人を好きになることも、好かれることすら怖いんだ。

 全てを投げ出し、誰も知らないところで生きていたけれど、なまじ能力があったせいか。大企業に就職してしまい、生活にはまったく困っていないために今の状況から抜け出せない。そもそも、今の生活ですら誰も知らないところから始まったはずなのに、今そう思っているということが示す事実から、私の逃げ場なんてもはやどこにもないことを嫌でも思い知らせてくれる。もう人と関わって生きて行きたくない。そんな思いだけが募っていった末、たどり着くのは一体どこなんだろう。

 生きていればいいなんて無責任な言葉を吐くのであれば、お願いだからそう思うわせてくれ。