考の証

要は健忘録

仕事と私

 電通の自殺が労災になってからだろうか。今までは最速で結果が出るようなスケジュールを立て、それを上司に見せて仕事をしてきたが、最近は少し毛色が変わってきた。

 「ずっとトップスピードでかけ続けると、いつか倒れる。だからもっと余裕を持って仕事をしよう。」

 そんな言葉が聞けるとは正直思っていなかった。

 「意味の確認ですが、余裕というのは日程の後ろですか、それとも一日でのことですか。」

 なので、こんなことを聞いてしまった。もちろん、一日一日できる範囲で仕事をしていこうということで、今週はかなりゆっくりとしたペースで仕事ができた。また、人員を一人借りれたのと、10月から部署に来た先輩の3人がかりで進めたというのもあり、スケジュール的にも精神的にも余裕を持って仕事ができた。ただ金曜日に出てきたデータの整理をほとんどしていないので、月曜は色々することがあり大変だ。今になってほとんど準備できていないことにも気付いたので、少し早めに会社に行って仕事を始めなければならなさそうだ。


 そんなことを考えていると、今の生活は完璧に仕事を中心にしていると感じた。実際、自分の交友関係を広げたり、趣味に時間を費やしたりということはほとんどしていない。交友関係については、ここ数年深い仲になるような人付き合いを意識的にしていなかったので、しようとしてもすることがないというのが実情だ。趣味についても、頻繁に長期出張があると本格的に何かを始める気にもならない。ただ、仕事もお盆明けから先週までかなり忙しい日々が続き、最後の方は精神的に参った状態で仕事をしていた。もしかしたらそんな空気を上司は感じ取って、仕事のペースを落とすように言っていたのかもしれない。申し訳ない気もするが、正直人員不足を承知で、結果として補充できていない現状を見ると、管理職の職務怠慢な気もするのでここは傲慢な態度で行こうと決めた。

 仕事詰めの生活をしていると、仕事での充実度が日々の精神状態に効いてくる。間違いなく、他人から指示をもらい仕事をするよりも、多少きつくとも、自分でスケジュールを立て人に仕事を割り振っていく方が楽しい。それに対して能力の低い人の元で働くのは辛い。他にも仕事があり、忙しい状態でちんぷんかんぷんな指示をもらい、結果がでないと知りつつもそれをこなせる人間など、この世にどれだけいるのだろうか。少なくとも、自分はそんな健気な人間ではないことは確実なので、噛み付いていると他の人に諌められ、さらにストレスが溜まるという悪循環に陥る。今まではそんなことを思わなかったが、旧帝大の人間は優秀であったのだと今更実感してしまう。


 そんな生活をしていると、先輩や上司からは恋人を作らないのかという話をたくさんもらう。同期が見かけによらず肉食系なことや部署の人の大半が結婚しているからか、その話題は飲み会の度にでてくる。誰かと付き合うという行為は、ここ数年親しい友人を作ろうとしてこなかった自分にとってはかなりハードルが高い。自分の内面に踏み込まれることに抵抗感を覚え、それが親しい友人を作るのにすら忌避的になっていると思えば、これも悪循環に陥っていると言える。それに、他人の人生に一生関わる価値が自分という人間にあるのかと問われれば、そうだと即答できないことを思えば、誰かと付き合うというのは難しいように思える。結婚している人たちは、自分にそんな価値があるのだと思っているのだろうか。おそらくはそんなことを考えていないし、むしろ自分という人間を他人に捧げているという感覚に近いのかもしれない。その考えでも、捧げる価値があるのかなどと問いたくなるのは無粋なのだろう。そんなこと、普通の人はきっと考えていない。


 何者を今日見てきた。その感想でも書こうかと思ったけれど、眠くなってきたので諦めた。

 最近左目だけ視力が落ちたみたいだ。と思ったら去年の健康診断でも似たようなものだった。たまに視界がぼやけたりしてしまう。でも、今ぼやけているのはきっと眠いからだ。もう布団に入ろう。



 それでは、おやすみなさい。