考の証

要は健忘録

逃避

 延びに延びた出張は、ついに明日からとなった。これまでもそうだが、出張という現実を拒むように私は何の準備もしていない。それどころか、酒を飲んでいる。まだ洗濯もしていないし、明日の切符の予約すらしていないというのだから、これからどうなるかが全く心配である。まあ、私自身は何も憂いてはいないのだが・・・。

 最近は出世欲というものが徐々に湧いてきた。それはこの組織は私が変えてみせる、変えることができるという私の傲慢さであり、面の皮が厚くなってきたことを指しているのだろう。だが、まだ出世したからどうなのだという思いも断ち切れずにいる。今は仕事で平日はもちろんのこと、土曜日も出勤している有様であり、正直なところライフワークバランスなど糞食らえという生活を送っている。平日も休日も、仕事している時以外は寝ているだけだ。そうでなければ体が持たない。そういう生活であるのに、友人に会うだとか、はたまた恋人を作るなどというライフを充実させるためのバイタリティーなどが存在できるわけがない。あわよくば友人や恋人と会うにしても、構ってやれる自信がない。そういう生活を送っているため、仕事にどんどん傾倒していくスパイラルが生じるのは当然なのかもしれない。果たして、このまま人生を過ごしていった結果がどうなるのかというのは考えたくもない。


 そんな生活をしているせいか、徐々に体が不調を訴えてきた気がする。胃が重い、朝が起きれない、頭が重い、気力が湧かない、etc. そういう体の不調を感じるたびに、
  「ああ、この体、この細胞の異変をなんらかの不調という形でしか私という意識は認識できていない。体は私という意識に従属しているのではなく、体が私の意識そのものを従属させているのだ。」
などということを考えてしまう。体を動かすことができるが、そのとき何が起きているのかを私は理解できない。体が痛みを出したとき、私という意識は痛みこそ認識すれど、その原因を認識することはできない。・・・この思考をうまく人に伝えられる自信はないが、最近はやはり私という意識は魂というスピリチュアルなものなのでは決してなく、化学反応の賜物であり、脳が見せる私という幻影なのだろうと考えてしまう。


 缶の酒を二本空けただけで完璧に酔いが回ってしまった。自宅で酒を飲むとよく酔うのはわかりきったことではあるが、ここまで自分が酒に弱かったかと実感すると少し自信をなくしてしまう。


 そういえば、先日23時過ぎに友人から電話がかかってきた。声のその先の喧騒から、どうやら飲み会であることは察せたし、私に電話が飛んできたことからどういう集まりかも理解できた。その場にいる人についても、私はだいたい予想ができた。そのとき、私はちょうど仕事の移動中であり、電話に出ることができてしまったのだが、とても電話で話す気分になれなかった。その理由は、電話の向こうにいる人だったのは、十二分に、嫌という程のそのとき理解してしまっていた。私のエゴに付き合わせた人、私がいいように手元に置いておきたかった人、私の都合のいい人でおいて欲しかった人、そしてもうこの関係性が相手のためにならないと私が縁を切ろうとした人。こう書くと私が最低なように思えるが、まあ実際その通りで、最低な人間なのでいいとしよう。実際、縁を切ろうと何度も考え、実行しようとしても、私は縁を切ることができなかったのだから。縁を切ることができないのに、それ以上の関係を求めることができなかったのだから。ああ、なんて面倒な人間になってしまったのだろうかと、常に自問自答する日々であるが、その答えは未だに出てくる気配などない。それは私が考えないようにしているのだから当然ではあるのだが、その根本がわかれば私は変われるのだろうか。


 私にできる選択は、ここで現状維持に甘んじるか、後退を続けるか、終わらせるかである。