考の証

要は健忘録

憂鬱の始まり

 久し振りの更新。以前の記事を見ると、出張帰りのことが長々と書かれていたが、またこれからその生活が始まるのかと思うと憂鬱な気分になる。


 この一月、いろいろなことがあった。本社に戻ると新入社員が研修に勤しみ、彼らを歓迎する会が幾度も開かれていた。私も2回ほどそこに顔を出したが、やはり本社の人は安心する。この会社に対して安心できるかということはまた別ではあるが・・・。一応、名目は新人の歓迎ではあるのだが、私は新人と話すというより、多くの時間は先輩と話していた気がする。その場では、労働組合の上の人に自部署の勤務体系について改善できないかということを話したり、違う部署ではあるが激務に追われる先輩と愚痴を言い合ったりしていた。きっと、この会話を聞いていた新人はこの会社にあまり希望が見出せないのではないだろうか、なんて考えもしたが隠していても仕方ない。
  「うちの部署は忙しいけど、その分お金はもらえるよ。」
なんて言って見せたが、正直金よりも休みが欲しいのが本音である。最近では、金曜の夕方に土日に出張して働いてこい、なんて理不尽を押し付けられた。そこで驚いたことだが、土日に出勤した際、1日の間で8時間分働かないと代休が取得できないということだ。おかしいな、土日で10時間以上は働いたのに、その補填がないだなんて・・・。

 そういうことが続いたので、もう転職しようかと本気で悩んでいる。ひとまず、土日しっかり休める企業であればそれでいいかもしれない。ただ、正直なところ今の会社よりも給料・福利厚生面で良い、もしくはそれを維持できる会社に入れるかと問われるとかなり微妙である。趣味としての仕事ではなく、生きる上での仕事と割り切っていても、待遇面の変化というものは受け入れがたい。いや、生きる上であるからこそこの変化が受け入れがたい。このまま働いていても、正直体力と精神を削り取られていくのは目に見えてはいるのだが、この天秤はなかなか傾けられない。
 それに転職を考えた時、自分には特別なスキルというものがないということに直面する。これまでの人生では、人より優れた頭を持っていただけであり、それは相対的な価値でしかなかった。絶対的な価値を持たない人間など、組織の外に出てしまえばこれほど脆いものはないだろう。私の人生で後悔するとしたら、そういう一人で生きていけるほどの絶対的な価値やスキルを身に付けなかったことだろう。一人で生きていきたいのに、それを実現する手立てがない。あったとしても、今の安定した企業戦士の身分を捨てられるのか。この天秤もなかなか傾けられないだろう。

 そんなことを考えたとき、大体の終着点は「今の会社で待遇を改善してもらう」という一番確実で姑息な手段に手を伸ばしてしまいたくなる。それなら早く出世していきたい。今の仕事に対するモチベーションなど、その程度のものである。