考の証

要は健忘録

久々の更新

  仕事が変わって以来、ほとんどツイッターもせずに過ごしていたせいか、このブログの更新もだいぶサボってしまった。最近はスプラトゥーン2にはまっていて時間がそれで溶けているのも問題だ。なにかもっと有意義な時間の使い方はないかと思いはしても、なかなかこの生活は変えられない。

 

  先日、転勤で来た同期と飲んでいた。もちろん二人ではなく、他の同期も何人かいた。そのうちの一人は入社当初から何故か仕事をしないだとか適当な事を言って突っかかってくる面倒なやつだったが、いざ仕事が進むと私は死ぬほど働いて彼はそうでもないようになって突っかかって来なくなった。だが最近は仕事が変わったおかげか、また突っかかってくることが増え、やっぱ人間は変わらないなと諦念を持ってしまった。他の話題でもその場にいない仲の良い同期を貶めるような発言をしていたことから、彼は常に誰かを貶したい気持ちがあるようだ。そうすることで自分の強さや優秀さを誇示しているのかと思うとつい憐れみを感じてしまう。まるで猿山のボスみたいだなと思ってしまったが、話が通じる相手でもないようなので距離を置くことが最良の手のようだ。願わくば、私が行く道に割り込んで来ないように祈ろう。

 

  見ている人は見ている。そう思えば大抵のことはどうとも思わないようになった。どんな悪口を言われようが、やる事をやっていれば評価される。そういうことを体験してきたが、それはきっと優秀な人が上に立っていたからだろう。どうやら、この世で組織の上に立つには思ったより人徳や能力が必要そうだ。

今年見た映画を振り返ってみる

 今日は久し振りに映画2本見てきた。今年はたくさん映画を見てるなと気づいた。
 というわけで、今日は見た映画を一つ一つ振り返っていきたい。中には去年公開したけど、今年見たものもあるのでご容赦を。


傷物語Ⅲ冷血編
 傷物語の最終編。鉄血編は暦がキスショットと出会い、吸血鬼化するところを一つ一つ丁寧に描いていた。熱血編はいつも通りのシャフトに戻り、暦が三人のヴァンパイアハンターとの戦いを描いた。そして冷血編。今でも覚えているのは羽川のおっぱいである。この映画を見た人は男女問わず、思わずにやけてしまっただろう。小説で読んだ以上の感動をありがとう。声優って大変なお仕事だなと思いました。もう満足です。
 キスショットとの戦いも迫力があったが、なにより羽川の印象が残った話である。正直、傷物語は暦とキスショットの話というより、暦と羽川の話だと思う。この物語の始まりは間違いなくキスショットにあるけど、ここでの話の中心はやっぱり暦と羽川、そして忍野との出会いの話なんだと思う。キスショットの話は後でも出てくるしね。

ドント・ブリーズ
 頭のイカれたおっさんの家に強盗に入ってしまった運のない3人の若者のお話。狩る側から狩られる側に回った瞬間の絶望は凄まじい。そして逃げた先で見た若い女性。このおっさん、娘を交通事故で殺した女性を監禁していたのだが、強盗を殺そうとして間違えてこちらの女性を殺してしまった。そのときに「my baby...」とか言ってたときは女性を娘に見立てていたのかと思い、クレイジーだなと思ってたけど、本当はもっとクレイジーでしたね。どうクレイジーだったかは是非映画を見て確認してほしい。とても気持ち悪い感想しか出てこないです。そしてこのおっさん、絶対目見えとるやろというシーンがいくつかあるけど、それが更に異常さを見せつけてくる。どうしたらそんな音だけで的確に人を見つけて銃撃できるんだ。
 良い子のみんなは強盗なんてしちゃダメだぞ。入った家にこんなおっさんがいるかもしれないのだから。

ザ・コンサルタント
 発達障害を抱えた主人公の話。母親は言った通りにできない息子に耐えられず、施設に預けようとしたが、軍人である父親は将来辛いことが起きても耐えられるよう自分の元で育てる。そして母親は息子を捨て家を出てしまうが、父親と弟との愛情を受けながら真っ直ぐ(?)育った結果がこれだよ!
 主人公と不正会計を見つけた女性のぎこちない関係。関係を持とうとしても築くことができないという苦悩を抱える主人公だけど、このいい感じになりそうになりつつもなれないもどかしさがとても良かった。とりあえず抱き合えばいいとか思っている映画監督は死ね。それは置いといて、発達障害という障害を抱えつつも主人公は自分の適性を見て会計士となって仕事をしており、その仕事ぶりはとても優秀だった。やり出したらやりきるまでできないと不安定になったりしちゃうけど、襲撃を受けた分はきっちり返す姿勢がとてもいい。ジョン・ウィック並みの徹底した殺しっぷりを今作でも見れてとても満足した。これを見た後では他の映画のアクションシーンがお遊びに見えてしまう。おい、腹に一発銃弾を当ててお前は安心するのか、頭にもう一発撃ち込んで確実に殺せ、ってね。そして襲撃先で出会う弟。弟は普通じゃない兄を嫌っているんじゃないかと思っていたが、蓋を開けてしまえばお兄ちゃん子だった。可愛すぎかよ。
 ラストシーンでは会計士の仕事で出会った女性へ素敵な贈り物をしたり、主人公の不器用さがとても良かった。そして相棒の正体も明かされるが、これがまたcoolで良い。どうやら次回作が作られるというお話を聞いたので、首を長くして待っております。そしてこの映画でベン・アフレックが好きになりました。

虐殺器官
 Project Itohの最後の作品。他の二作にはがっかりしていたが、今作はどうだろうと思って見た。感想としては、これはジョン・ポールの話であって、クラヴィス・シェパードの話ではなかった。この話は先進国で自由と安全を謳歌していた人々の罪とその罰という面もあるが、クラヴィスやジョンの個人的な罪と罰の物語でもある。それぞれのキャラクターに罪と罰がある。その中で、話の時間制限もあるとは思うが、クラヴィスの話がごっそり抜けていた。死の国の夢の話。クラヴィスは今まで殺してきた罪は自分にあると思っていたが、母親の延命治療を拒否したときにそれに疑問を思う。薬やカウンセリングで任務に支障をきたすような感情を排除している暗殺部隊。本当に自分は自分の意思で人間を殺してきたのか。そんなちょっと暗めな感情を底にしまっていたクラヴィスは映画にはいなかった。
 このクラヴィスの点を除けば結構よかった。少年兵を的確にヘッドショットをキメるシーンでは、確実に残酷で罪悪感に苛まれるようなシーンであるのにもかかわらず、もやがかかりどこか現実感を感じさせない。まるで映画を見ている私たちにも薬やカウンセリングの影響が出ているようだった。敵に襲われ、腹から下を吹き飛ばされても戦う同僚に対して、足を差し出して「これで今は我慢してくれ」みたいなことを言うクラヴィスは、この世界は確実に狂っている。クラヴィスとウィリアムズの最後の応酬もよかった。
 何回も読んだけど、もう一回原作を読み返そうと思う。

マグニフィセント・セブン
 荒くれ共が正義のために立ち上がり、戦う話。イーサン・ホークがかっこいい。めっちゃかっこいい。他の6人?知らんな。結構面白かったのは覚えているが、やはりジョン・ウィックザ・コンサルタントを見た後ではアクションシーンがお遊びにしか見えない。矢を肩に受けてそのまま戦線に出て来ない敵兵とか甘えてんのか。この西部劇は、こんな人たちかっこいいやろという監督の声が聞こえてくるような映画だったと思う。
 でも、一度は逃げたイーサン・ホークが帰ってきて戦うシーンはめっちゃかっこよかった。こういうかっこいいおじさんになりたい。

ドクター・ストレンジ
 話はあんま興味なかったけど、映像に興味があって見た映画。ちょっと遅かったから3Dやっている映画館があんまりなかったので遠出したのを覚えている。
 高飛車な外科医の主人公とヒロインである同僚のクリスティーン・パーマー。クリスティーンがめっちゃ美人やった、めっちゃ可愛い。ドクター・ストレンジがフォース、じゃなくて魔術の力を習得してシス卿、じゃなくてカエシリウスと戦うけど、そのときに死にかけてクリスティーンの病院に行くんだけど、そのときの手術シーンがコメディチックで面白いし、なによりクリスティーンがめっちゃ可愛い。良い。話そのものはスターウォーズみたいな感じ。ストレンジは高飛車だけど、それは能力の高さと臆病さの証明。能力があるから魔術を習得してからの能力の伸び方も早いし、なんでか禁術も使えちゃう。なんだそれって感じだけど、主人公補正だよね。
 お目当の映像はすごかった。日常がいきなり魔術に侵されて非日常に変わり、ぐるぐる回ったり上下が変わったり忙しい。これは苦手な人が見たら気持ち悪くなるだろうなっていう3D映画だった。

ミスペレグリンと奇妙なこどもたち
 祖父のおとぎ話を真実だと信じて育った孫のジェイク。そのせいで周りにバカにされ、ジェイクは友達もいなかったけど、旅行先でループに入り、ペレグリンと会い、エマたちと出会う。そこには普通はない能力を持った子供たちを保護する施設だった。
 物語自体はジェイクの成長譚として面白かった。ところどころ敵のホローがアホだったのが気になったけど、そこは仕方ないかなぁって思う。ただ、ジェイクの能力である、本来見えないはずのホローを見ることのできる異能ってどう生まれたんだろうか。ホローが存在しなければその能力に意味ないところを思えば、そもそもこの能力はあり得ないんじゃないかと思う。だから、本来のジェイクの異能はホローを見るためのものじゃなくて、人が感知できないものを見るためのものじゃないかなって思う。まあ、そんな矛盾をついても仕方ない。他にもループの設定とか色々気になることがたくさんあった。
 けれど、物語の最後にエマたちと別れたジェイクはついに祖父と出会い、おとぎ話に実際に自分が関わったことを伝えられた。そこでジェイクは祖父に説得され、エマに出会うために祖父と同じように世界を旅をし、最後にエマと出会うというのがとても素敵でよかった。やっぱり、王道っていうのは面白いから王道だよね。

トリプル・エックス 再起動
 シリーズ物だけど、前作も前々作も見ずに行った。サミュエル・L・ジャクソンは悪役もいいけど、やっぱりこういうおちゃらけた役が良い。話自体は普通だったし、アクションシーンはジョ(略。
 でもドニー・イェンがかっこよくてよかった。ローグワンで初めて認知したけど、ドニーさんめっちゃかっこいい。あとギークベッキーもよかった。可愛い。

デジモンアドベンチャー tri. 第4章「喪失」
 デジモンの第4章。3章はパタモンに感動で殺されるかと思った。4章はリブート後、デジタルワールドに太一たちは向かい、アグモンたちにもう一度会いに行く。絆をつなごうとして、上手くいくパートナーと上手くいかないパートナー。そこに記憶を持ったままのメイクーモンが現れ、太一たちは戸惑いつづも助けるための旅をする。
 懐かしさに溢れるいい映画。もはや進化の音楽を聴くだけで涙が出そうになる。めっちゃ良い。リブート前は進化前に出てくる数字が0,1,2と二進数じゃなかったけど、リブート後は0,1に戻っていたところをみると、やっぱりリブート前後で何かしら変わってるんだね。感染がなくなったとか、そういうところなんだろうか。にしても、姫川さんが選ばれし子供たちで、過去にデジモンを失ったことが原因で今回のリブートをしているなんてね。そしてバクモンに会った時の姫川さん。もう病んでますやん。西島先生、彼女を救ってあげてください。


哭声
 國村隼が怖い、怖いよ。なんでふんどし一丁で鹿の生肉を這って食べてるんだよ。本当に人間かよ。

 とある辺鄙な村を舞台に村で起こった事件をどこか憎めないやる気のない警官が追っていく話。こう書くと怖くないけど、めっちゃ怖い。というか疲れる。いったいどこが休憩ポイントなのだろうかと思うけど、そんなものはない。ひたすらに追いつめ、見ているものを混乱させてくる。地獄and地獄。村に来た日本人のよそ者として國村隼が出演するけど、本当に國村は日本語しか喋らず、多分韓国の役者と意思疎通が本当にできていない。それがまた不気味な雰囲気を醸し出す。映画を見ていると、はじめは怪しいんだけど、見ていくと「あれ、もしかして悪いやつじゃない・・・?」と思うんだけど、「どう見ても悪者です。本当にありがとうございました。」という感じに話が二転三転する。もう一人謎の女性が現れるけど、この人も善人か悪人か最後までわからない。惑わされる。本当に國村隼は悪者だったのか、謎の女性が善人だったのか。私たちがそう望んだから、そういう役に見えてるだけなんじゃないか。
 というか、すごいよ韓国映画。本当面白かった。今まで見たことなかったけど、邦画よりも良い。まず、映像のクオリティが違う。祈祷師の悪魔払いのシーンには、そこにそんな力入れるんかってぐらい映像も音楽もすごかった。祈祷師の祈祷バトルはずっと見ていてもいい。むしろずっと見させてくれ。そして演技も違う。主人公の娘の演技すごいよ。子役とは思えない。普通に娘として過ごしている時と取り憑かれた後の演技の違いがめちゃくちゃあって、本当に同じ人物で、しかも子供かと疑ってしまう。なにより脚本が良い。こんな脚本の映画、なかなかないよ。
 ただ、韓国語がわからないので、字幕で見るのが少し疲れた。やっぱり、耳に馴染む言葉じゃないとあんま見ていても理解できないというのは負担になるみたい。ちょっと韓国語勉強しようかなって思うぐらいに面白かった。ぜひ見てくれ、疲れるけど。

キングコング 髑髏島の巨神
 でかい!すごい!っていう怪獣映画を期待した結果、半分は叶って、半分は叶わなかった。この映画、人間の話いります?ってぐらいそこに面白みを感じなかった。正直、ガンペイとマーロウの二人を人間側の主人公に置いた方が絶対面白かったと思うんだよね。サミュエルと学者はまだしも、なんで傭兵と反戦カメラマンを入れたの?反戦のメッセージがこの映画に必要?とか思っていまった。
 ただ、キングコングの戦闘シーンは本当によかった。ヤシの木をぶん投げてヘリコプターを落とすとことか、機関銃をモノともせず人間を圧倒するのはまさしく巨神だった。そしてコングを襲う巨大ダコ。結局コングが買ったけど、ちょっと足を食べて放り出したところを見ると、やっぱあのタコまずいんだろうか。人間側が襲われるところもよくて、森を歩いていて、ふと後ろを見ると何かでかい棒が口から突き刺さって死んでいる隊員。見上げると巨大蜘蛛が襲いかかってききていた。このシーンもこの島では人間が最も弱いというのを示してくれる良いシーンだった。木に化けた巨大バッタも良い。強いて言えば、鳥の鳴き真似をして油断させてくるアリも見てみたかった。
 そしてなによりコングと戦うスカル・クローラーですよ!頭は骨で覆われて、前足しかないという巨大トカゲ。全くもって生存に有利でない姿だけど、その禍々しさを強烈に印象づけるいい姿。コングと全力バトルするそのシーンは大迫力でよかった。途中、反戦カメラマンが邪魔しちゃうけど、まあいいでしょうというぐらいにはよかった。
 最後は壁画に記されたゴジラモスラキングギドラの絵。もしかして、ハリウッドでこいつら戦ってくれるの?絶対見るわ。

ゴースト・イン・ザ・シェル
 攻殻機動隊は見たことないけど、興味があったので見てみた。多分、攻殻機動隊を知っている人が見たらあんまり面白くないんだろうなっていうのはわかったけど、普通のSF作品として見てみると普通に面白いんじゃないかなって思う。ごちゃごちゃしてるけど、未来やってる感じが伝わってくるけど、やっぱりスラム街での技術レベルは現代とそんなに変わらないというところがポイント高い。やっぱり、技術が進んだとしてもそれが世界を覆えるわけではない。
 話自体は主人公である少佐が自らの出生を知り、自分を取り戻す話だけれど、まあ普通な話。ネットへのダイブシーンもあるけど、なんか思ってたのと違う。こう、凄いことやってまっせっていうのを伝えたいんだろうけど、多分設定を詰めきれていないのか、いまいち何を示したいのかがわからないところが多かった。そこを除いたらまあいいんじゃないかなって思う。

グレート・ウォール
 リン将軍、一生ついていきますよ・・・!この映画、万里の長城を守る各軍団はそれぞれの役割を持っていて、それぞれのイメージカラーで統一されている。これ、もう三国無双やん。そしてリン将軍の顔。えっと、Koeiがスポンサーでもしてるのかな?ってぐらい無双の香りがする。
 今作では敵として怪物の饕餮がおり、対抗するために万里の長城が築かれている。この万里の長城の性能の高さが良い。投石機でボンボン火炙りされた岩が飛んでいくし、ハサミみたいにスライサーが出てきて饕餮をちょっきんちょっきん斬っていく。そして壁から槍を持って飛び降りる女性。間違いなく一番危険なポジションで死亡率が高いだろうに誰も踏みとどまらず、饕餮に向かっていく。もちろん、何人も食われるんだけど、それでも攻撃をやめない彼女らの勇敢さは凄い。そして壁を登られた後は重歩兵の出番。なのだけれど、彼女らの勇敢さに比べて彼らの頼りなさと言ったら。
 主人公は黒色火薬を求めて西から旅をしてきた私兵みたいなやつら。主人公は誰も信じずに生き残ってきた人間、それに対してリン将軍は仲間を信頼して戦う人間。そんなリン将軍に感化され、汚れた過去と決別するかのように、主人公はリン将軍と一緒に戦う。まあよくある話ですね。そんな中、主人公に救われたまだ若い兵士が、最後の方に主人公とリン将軍を守るために饕餮たちを道連れに自爆するシーンがあるんだけど、ああいう若い子が主人公からの好意を受け、そういう行動に出るシーンっていうのはなんとも言えない良さがある。主人公たちはそんなこと、望んでないのにね。
 こういう映画の皇帝陛下は役立たずと相場が決まっているけど、やっぱり役立たずでなんで生き残ってるんだろうなって思う。そこに関しては人一倍敏感なのかな。

 圧倒的物量に押されながらも、あらゆる攻城兵器を用い、撃滅せんとする熱い軍人の戦い。面白いから見た方がいいよ。

メッセージ
 純粋なSF映画をしていて、とても好感が持てた。だいたいSF映画なんていうと設定が近未来なだけで中身はただのアクション映画みたいなのが結構あるけど、これは終始徹底してSF映画だった。
 ストーリーというか、ところどころの演出がトップクラスによかった。主人公である言語学者はばかうけみたいな船に乗ってやってきた異星人であるヘプタポッドの言葉を理解しようとするんだけど、その中で夢を見る。それは自分の子供の夢なんだけど、終盤種明かしされたときに「そういうことね」ってなる。それに、中国の将軍のばかうけへの攻撃を防ぐべく行動を起こすシーンとかはただ感心するとともに、こういう物語めっちゃ好きだなって改めて実感した。
 ただ、やっぱり気になるのは、ヘプタポッドは武器を与えに12隻でやってきたにもかかわらず、主人公は1隻だけの情報で完璧に武器を使いこなしていたのをみると、これ12隻必要?って思う。12隻の情報を一つにまとめて初めて効果の出るものじゃないの、そうじゃないと全然人類一つにならんやないかと。それにヘプタポッドが人類に接触してきた理由は示されたけど、その理由が後付けみたいなやつであんまり納得出来るものじゃなかったのも微妙だった。
 とまあ、色々気になる点はあるんだけど、ところどころの演出が凄い好みに合っていたので好きな映画になりました。こういうSF映画がもっとたくさん作られたら嬉しいな。

キング・アーサー
 予告を見てハチャメチャアクション映画をやるのか!と期待していたんだけど、アクションシーンはそんなに多くなかった。がっかり。正直、最初の15分ぐらいのアクションシーンが一番面白かったんじゃないかって思う。話もなんだかまとまらないかんじで、なんとなく流れていってしまうかんじ。でも、演出がとてもよかった。これからの行動を話すときには、実際の未来の映像を流しつつその解説をするみたいなやり方は見ている方としても話の繰り返しを見なくて済むし、オサレな演出だなって思った。これ、伝わってるかな?
 そして期待していたエクスカリバーを振るうシーン。これは短かったけど、めっちゃよかった。力を出した瞬間にスローモーションとなり、バキバキと敵をなぎ倒していく。斬りかかってきた敵兵も一瞬で吹っ飛ばしていくし、遠くから矢を射ってくる弓兵に対しても剣を振るえば、あら不思議。衝撃波で建物ごと吹っ飛ぶ。ただ、西洋の剣っていうのは叩き切るものというけれど、今作のエクスカリバーは全く斬っていない。めっちゃ吹き飛ばしてる。お前、伝説の剣じゃなくて伝説の棍棒だろ。でもそんなお前も好きだよ。そんな映画です。

魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女
 春休み、バカンスに訪れていた達也一行は九亜という少女を助ける。彼女は海軍基地で極秘に研究されていた戦略級魔法のための調整体で、そこから逃げてきたという。この少女を助けたいという一行の望みを達也が叶えるというお話。
 ばっかじゃねーの?まあ逃げてきた少女を助けるのはいいだろう。でも、その少女に請われて他の調整体も海軍基地から救い出すって、君らただの高校生だよ?ばかなの?死ぬの?一般人が責任も取れないことをやろうとするもんじゃないよ?
 でも、一行のそんな荒唐無稽な願いを叶えてくれるお兄様。お兄様、いくら友人の頼みだからって、軍内部の軋轢を生むような行動は避けるべきなんじゃ・・・。あ、ごめんなさい、お兄様にそんな心配はご無用ですよね。知ってます。でもお兄様、そのダースベイダーみたいなスーツは正直どうかと思います。かっこよくないですし、著作権的に怖くないですか。あと、上空140kmに上がる際にトランスフォームしたお姿、トランセルみたいで吹き出してしまいました。

 とまあ、色々突っ込みどころはある。見ながら、これはもはやセカイ系だなと思ってしまった。いや、セカイ系というか、中学生の落書き帳というか、おれのかんがえたさいきょーのまじゅつしすごいだろ、というか。これを大真面目に書いた人は恥ずかしくないのかななんて心配をしてしまうぐらいの映画でした。でもいいんです。知ってます、この作品はお兄様を褒めたたえるためだけに他のものが存在しているセカイなのだと。

 今日もさすがです、お兄様。



 16本の映画の感想でした。あんま覚えていない映画もあったので、これからはちゃんと見た日に感想を書こうと思いました。ちなみに今年見た映画で面白かったのはこんな順番かな。

3.メッセージ

2.ザ・コンサルタント

1.哭声

 それでは。皆さんも映画見ましょうね。

春は遠い

  過去の記事を振り返ってみると、去年の今頃も出張だったのは当然として、3月でも暖かい日があったようだ。確かに去年は桜が咲くのも早かった。出張が終わって京都に戻ってきた頃には桜は散ってしまっていたのを覚えている。今年はまだ寒い日が続いていて桜の咲く気配はまだないが、それと同じく出張の時期もずれ込んでしまったので、どうやら今年も桜を見る機会には恵まれなさそうだ。

 

 

   ツイッターの眺めているとある記事が目に飛び込んだ。

https://am-our.com/love/465/14032/

  そこには解決しない相談所で若い女性が恋愛を諦めるべきかとの問いへの答えがあった。その問いやら答えやらにはあまり興味は惹かれなかったが、ある一文に深い共感を覚えた。

 

   「幸福だと思うことに人は、努力できる。」

 

  どんなに辛くても、自分がしたいことにはどんな労力でも割ける。苦痛を感じ、辛い思いをすることがあっても、決してそこから逃げる選択を選ばない。そんなものに出会えたのなら、それはむしろ幸福だと言える。

  そんなものをまた見つけたいと思いつつも、私は今を変える勇気を持てずに、ただ立ち竦んでいる。だから、世間の新生活へ向けて浮き足立った雰囲気に取り残され、また暗い底へ引き摺り込まれていく。次こそはと意気込みがあっても、今を努力できない私には次なんて言葉は存在しなかった。

Death Note : Light up the NEW worldの唯一良かったところ。

 めっちゃネタバレするよ。

 と始めようかと思ったけど、あれだね。ツイッターに投稿しちゃうと初めの文章結構みれるのね。これじゃネタバレ回避のためにブログで書いている意味がない。ので、近況を話しますと、今日だけで15万円ぐらい服や時計に使ってしまいました。こう、大金を気にせず使えるようになったのが大人になった証拠なのかなと思いました。


 昨日のブログに書き忘れていたけど、デスノートの唯一良かったところは弥海砂の最期。

弥海砂 心臓麻痺 午後14時40分 夜神月の腕の中で死ぬ」

 という言葉を見た時に、多分見た人は「ん?」って思うはず。デスノートのルール上、操れるのは死ぬ人間だけであり、その死因に他の人の名前を出してもそれは実現せず、その場合は二人とも心臓麻痺で死ぬ。そしてこのシーンでは、夜神月が死から蘇ると言われていた(そんなわけないけど)。このルールは海砂も知っていて当然で、もし本当に夜神月が復活するのであれば、この書き方は非常に不味い。
 しかし、この時に海砂は死神の目を取引して手に入れおり、夜神月の写真を見ることで月が本当に死んでいることを再確認している。つまり、海砂は月が死んでいて蘇らないと理解しており、だからこそデスノートにこの書き方が出来た。でも、この書き方をしても海砂の望みがノートのルールの面でも、夜神月が蘇ることはないという現実的な面でも、決して叶わないことを海砂は知っているのに、それでもこの死因で死ぬと決めた。このときの海砂のことを考えると、凄くくるものがある。あのラストから10年経った海砂は可愛いから美しいにチェンジしたけれど、それは外面だけでなく内面でも成長していたけれど、それがこの結末を迎えるという、こう、言葉に出来ない良さがある。


 まあ、他の面について言えば、デスノート所持者の青山さくら(だっけ?)が死んで警察にノートが渡った際、初めに素手で触り死神を見た竜崎に、つまり所有権は竜崎にあるのだけれど、そのノートを落としたベポが憑かないというのはルール上あり得ない。また6冊のデスノートがあるはずなのに、本作に出てくる死神はリューク、アーマとベポのみ。そりゃ紫苑に4人も死神が憑いている図というのは非常にシュールなのだけれど、ルール上はそうなるはず。それにアーマが砂になるときにノートまで砂になるのは、7冊目のノートが持ち込まれたから無効化の証とも言えるのだけど、ここはそのまま残ってスペア的存在になるのが筋なのじゃないかとも思う。それにしてもデスノートを6冊移動させるときに死神6人がひょこひょこついていくという図は非常にシュールだけれど、その場で反省会をしているのならそれはそれで面白いので是非映像化していただきたかった。


 そういうわけで、デスノートのルールを守る気のさらさらない脚本を思えば、この弥海砂の死因というのは実はそこまで考えていない偶然の賜物かもしれないけど、とても良いと思いました。

帰ってきたら冬になっていた。

 先日ミュージアムを、今日はデスノートを見てきた。

 ミュージアムはニュースでカエル男の正体を知らされて萎えてしまったが、時間があったので見に行ってみた。
 これは終始気分の悪くなるような映画で、あまり好みではなかった。ただ、原作を読んでから思い返すと、この映画は原作を越えたいい映画であったと思う。カエル男の犯行は、それはそれは見てたら気分の悪くなるようなものであったけど、原作はそこまでの描写ではなかった。一つ一つの犯行にしっかり情熱を注いでいたことがわかる。そしてカエル男の演技の良さ。主人公の小栗旬も中々気迫に満ちた演技で、クライマックスは良かった。
 気持ち悪い、グロいという意味では見る人を選ぶであろうが、これは良き実写化映画の一本だと思う。


 そして今日見たデスノート。これはひどかった。ストーリーは2時間という短い時間に収めようと、上手く凝縮してまとめきれていたとは思う。だが、肝心の中身がない。ほぼ原作のオマージュで終わる。本作での新要素は、デスノートが6冊あるというだけ。役者の演技も癇癪持ちかよっていうぐらい、キレまくるばかりで冷静さのれの字もなかった。脚本なのかもしれないけれど、もっと落ち着いた心理戦を見せて欲しかった。
 この映画に関して言えば、原作という名の親の脛を齧るだけの映画だったと思う。良かったのは年齢を重ね美人になったミサミサだけだった。



 と、しばらくの出張が明けてから暇を持て余している私です。出張に行く前には少し暑い日もあったというのに、帰って来れば息も白い冬に変わっていた。今回の出張は凄まじい連勤であったことを除けば、まあ人道的な範囲の勤務であった。だが作業量が尋常なく増えたこと、異動等もあり初めての出張者が居たこともあり、私には凄まじいストレスがかかってきた。目の前にはこなさなければならない仕事があるというのに、それを自分では扱わず他人に任せなければならなかったこと。そして予定が過ぎてもその仕事が終わらない。そんなことも気にせずに仕事は次々降り注いでくる。
 そんな中思ったことは、やはり人間は容易く変わることができないのだという実感。しばらく鳴りを潜めていた人格が目覚めたような感覚。上昇志向のない、やらなければならないことに対する執着心のない人に対する苛立ち。これは自分の歪んだ性格に起因した、自己肯定を得るための行為をいつの間にか他人にも求め、その行為をしないことが理解できないという理不尽な思考に根付いたものであることは理解している。多分、自分が求めているレベルに達していない人は、それが自分であろうと他人であろうと許せないのだろう。なんて面倒な人間だろうかと、今これを書きながら思っている。

 そして帰ってきた。何もすることがない。急に束縛から解放されても、その時間を持て余してしまう。こんな時、大多数の人は何をしているのだろうかとぼんやり考えていた。そして、みんな友人や恋人とこの暇な時間を過ごして潰しているのかと思い、納得してしまった。不定期に長い出張がある身としては、まともな交友関係を築こうとは思えない。これは言い訳になるんだろうか。元々基盤のある人間が関係を広げるのは楽だが、その基盤を持たない人間であれば、この出張というのは重い枷になる。

 ああ、早くこの呪縛から解放されたいと切に願う11月であった。

「何者」見た。

 洗濯していて寝られないので、先日見た「何者」についてネタバレ前提でつらつら書いていこうかと思う。




 役名を対して覚えていないので、役者名で書いていく。



 まず、二階堂ふみが怖い。その怖さが発揮された後のシーンにでてくる有村架純には本当に癒された。有村架純は大学一年生(?)から就活時までの姿で出てくるが、一年生であろうときの姿は、垢抜けない田舎娘っぽい雰囲気が出ていた。これはメイクさんがすごいのか、ただただ感心した。アイアムアヒーローではあんなに美人だったのに、こう映るとは。


 ・・・結論から言うと、佐藤健が最後にクズとして明かされるのだけれど、それに私は安心した。本作では彼の内面や性格はあまり描写されていない。そのため、受けた印象は「なんだか周りに馴染めていない」「キョロ充」「斜に構えてなにもしない人間」という感じであった。そんな彼だが、最後に匿名のツイッターアカウントで就職活動をするための5人のうち3人(自分と有村架純を除く)を、本人は客観的かつ冷静的に分析していると思っているのだが、馬鹿にしている内容のツイートをしていた。顔には出さず、影で人を馬鹿にしていた彼を見たとき、私はよかったと思った。それまでの彼は演劇の夢を諦め、就職活動も上手くいかない、何者にすらなれないよう描かれていた。これで彼が影で悪口を言っていなかったら、彼はクズにすらなれていない。彼はこの世で何者にすらなれない。誰かの、何かになる権利すら得られていなかった。そんな彼に「クズ」という称号が与えられたことは、この世界の中における佐藤健が得た居場所そのものといっても過言ではないと思った。これが安心できた理由だろう。

 そんな彼だが、就職活動に演劇関連の企業を選ばなかったのが不思議だった。というよりも、演劇サークルで台本や演出を烏丸ギンジと共に担当し、演劇に熱を込めていた彼が、「何者」かであったであろう彼が、徹底して「何者でもない」姿として描かれていたことに疑問を持った。こういうクズの役割というのは、何に対しても本気になれない、もしくは自分を現実で順位づけしたくないがために何かにつけ言い訳をして本気にやらない人間が選ばれるものだろう。これについては特に原作でも描かれていないようだ。
 これは私の推測であるが、就活が上手くいかずに留年した佐藤健が、初めの1年目に受けたのが演劇関連の企業だったのではないだろうか。今までの自分の努力、かけてきた時間といった諸々を懸けて挑んだ就活に、一度彼が負けたのではないだろうか。だからこそ、今でも演劇に対して全力を尽くす烏丸ギンジが無視できなかったのではないだろうか。

 作中で菅田大輝は、内定を得た後に佐藤健に確かこんなことを言っていた。
 「内定って言葉、不思議だよな。それをもらうだけで自分が全肯定された気がする。」
 「足が速いことと一緒で、俺はただ就職活動が上手かっただけなんだよな。」
 「俺、なんで拓人(佐藤健)に内定が出ないのかわからない、嫌味じゃなくて。」
 逆を言えば、内定を取れないということは自分が全否定されたように感じる。自分のしてきたことを認めてもらえなかった。そんな思いが佐藤健の中にあったのなら、就活1年目には「何者」かであった彼は、「何者」になれなくなったのではないか。


眠くなってきたので、続きは後日更新。

始まり

 某社畜アカウントに触発されてブログを開設した。以前から日頃から文章を綴っていきたいと考えていたが、こういうきっかけがないと始める気にすらない。この辺りは怠惰な人間性が現れている。そしてこのブログがいつまで続くかというのも気になるところである。そんなこのブログは単なる日記として自らの生活を、そしてそこで考えたことを綴っていくつもりである。「生の証、考の跡」というタイトルはその意味でつけた。何と読めばいいのか、本人もよく考えずにつけたのでいい案があれば今後変えるつもりである。


 最近は仕事が忙しくなってきた。私が配属された部署は社内でも有名なブラックな部署として名を馳せており、今はその意味を噛み締めるばかりである。仕事をしている人にも目をくれず、容赦なく定時で帰っていた頃がもはや懐かしい。平日は仕事に追われ、家に帰れば食欲と睡眠欲を満たすだけの生活である。そして休日は平日の疲れをなくすという名目のため、部屋にこもってダラダラと過ごすだけの生活である。正直、休日に何をやっているのか記憶があまりない。一体、何のために生きているのかと問われれば、「生きているから。」としか返せない大変残念な生活だと心底思う。大学生のときは部活、大学院生のときは研究に明け暮れていたことを考えれば、社会人のときは仕事をしているのが正解ではある。だが、そんな生活は御免である。つまり、働いてから休日にすることがないのは、これまでの人生を振り返れば当然なのである。

 最近、夢をみた。昔付き合っていた彼女に再会し、昔のように話しながらデートする夢だ。全くもって虚しい夢である。現実に再会したとしても、嫌悪感などよりもまず申し訳なさが前に立ち、昔のように振る舞うなど絶対に無理だろう。そもそも彼女と別れて以来、他人に対して期待せず、自らの心を開かず、表面上は良好な関係を築いてきた私にとって、そのような振る舞いはもはや誰に対しても無理なのである。気付けば、私は最もなりたくないと思った人間になってしまった。全くもって笑えない話である。そしてそんな夢を見たせいだろうか。心から一緒にいたい人と過ごす日々は幸せなのだろうという思いが私の中で生まれる。他の人はみんな、そんな生活をしているのだろうと少し羨ましく思う。だが、それは私がそう願い、行動すれば叶えられる類のものだ。甘いと知っている葡萄に手を伸ばせないでいる私は、手を伸ばさない理由を必死に探している。きっかけがないと嘆きつつ、何も行動せずに済む現状に安堵している。


ここまで書き、自分の文章力や展開力のなさに呆れてしまった。だが、これから少しずつ改善されていくだろうことを祈りつつ、この日記を始める。