考の証

要は健忘録

「コードギアス 復活のルルーシュ」二週目の感想と疑問点、その考察

 コードギアスを見てきて興奮のあまりに感想を書いたのが先週。今日もまた映画館に足を運んで2週目してきました。ちなみに先週見たときの感想はこちらです。ぜひご査収ください。

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 ちなみに今回はギアスの前に幼女戦記を見に行ったけど、意外と同じことしている人がいてまあ同じこと考える人はいるよねって思いました。


 さて、今回は2週目を見てきたんですけど、先週の感想でちょこちょこ間違えてるとこありましたね。神楽耶、最初の方に扇に対して話しかけた。一瞬で玉城に邪魔されてたけど。あと、EDの絵を見て思うのはアーニャ可愛すぎか。それにジェレミアのことジェミーって呼んでたし仲良しか、末長く幸せにな。そして咲世子さんの謎変装はなんだ。あと、ロリコン南は早く捕まってください。それとナナリーと天子と一緒にいた子 is だれ。


 2週目も楽しかったし、ラストシーン見れてほんとこのために何度も見に行きたいくらいなんだけど、落ち着いて考えていくと疑問点て湧いてきますよね。


 まずコードの継承権と発現条件だけど、アニメ版だと下ぐらいのことがわかってたはず。

【継承権】
 コードの継承権を手に入れるにはギアスの両目発現(達成者であること)が必要。達成者であればコードの奪取も可能(V.V.→シャルル)
 ただし、両目の常時発現の状態でもコードを持つ側から譲渡を行うことが可能(ざぁんねんでした、アナタ騙されちゃったの!→C.C.)

【発現条件】
 コードを継承した後、死ぬことによってコードが発現する(1期エンディングのC.C.の絵、シャルルがルルーシュのギアスを受けて自殺してから復活したことから推定)
 初めて死んだ時に付いた傷跡は残るが、コード発現後に死んだ時の傷跡は残らない(C.C.の心臓の傷から推定)
 またコードを発現することでギアスは使用できなくなる(C.C.のギアスからの解放、シャルルのギアス使用がなかったことからほぼ事実)


 じゃあ、ルルーシュの場合は?ってなった時、シャルルからルルーシュがコードを継承したのは間違いなくCの世界で神にギアスを掛けた後。ルルーシュはギアスを両目に発現しており、その後の描写的にも両目発現をコントロール出来ていたことからあの時点で達成者になっていてコード奪取の条件は満たしていたはず。もしくは両目常時発現タイプでもシャルルからコードを押し付けることはできるので条件はクリアされている。ただ、この辺りの解釈が微妙で、ルルーシュはコードの奪取なんて考えていなかったが、コードはCの世界へ同化しない(推定)ため、近くの継承権持ちに宿らざるを得なかったって言うのが一番ありえる話で、だからこそルルーシュがゼロ・レクイエムで死ぬつもりだったのに生き返ったんだと思う。

 でだよ、そこでコードの継承がされていても、死んでいないからコードは発現せずにギアスを使用できていた。という風に思っていたけど、映画を見てみるとこのコードの発現条件って間違ってたのかな。そうなるとシャルルはわざわざルルーシュのギアスに従ったふりしてたのか、意外と演技派なのか親父殿は。そうなるとコードは継承と同時に発現するものになるけど、そうするとルルーシュがゼロ・レクイエムで死んでも生き返ることを分かっていたことになるはずだけど、どうなんだろう。それにC.C.がコードを継承した時に殺された理由ってなんだ。

 コードは継承した時から発現すると言うのを前提にすると、シャルルからルルーシュへはコードの不完全な譲渡が発生していて、だからこそルルーシュはその事実に気付かず、またギアスは使用できていたのか。コードの発現は、C.C.の時はシスターが死に、C.C.が死ぬことで為されてたっぽい描写があるし、シャルルの時はV.V.からコードを奪い、ルルーシュのギアスで死んだ頃にはV.V.も死んでたから、前保持者の死と現保持者の死によって発現が起こるのが一番妥当だと思うんだけど、シャルルのあの状態を「死んだ」とは確かに言えないし、そうなると不完全な継承に当たるのかもしれないね。

 もしそうだとしても、ルルーシュがコードを発現した後でもギアスを使えていた理由はなんだろうか。しかも、ルルーシュの絶対遵守のギアスはコード発現後は目線を合わせるだけで影響下におけるほど強くなっているし、そもそもギアス使用時の映像からして別物の力にまでなっていそう。映画だから新しい映像かとも思っていたけど、クジャパットは従来のままだったから、おそらくこれはルルーシュだけなんだろうな。ん〜、それにルルーシュはコード発現後も自分にギアスが効く前提で動いてたから、ルルーシュは実はコードを発現できていないのか。でも、そうなると不老不死にはならないけど、でも一度生き返ってることを考えればC.C.と同様にCの世界から肉体をダウンロードできるはずだし、よく分かんない。それとも、もしかしてC.C.はギアスが使えるのに使ってないだけだなのか。確かに愛されるギアスなんて使いどころ早々ないけど。マオにコードを押し付けて死ねなかったあたり、ギアスを使ってコードを押し付けるなんてこともC.C.はできなさそうだしなぁ。V.V.もギアスを使っている様子はなさそうだったし、おそらくコード発現とギアス喪失は同時に起こるとは思うんだけどな。あと、C.C.がルルーシュがコード継承後もギアスを使用していたことが問題っぽいことを言っていたけど、その真意はなんだろうか。別にそこにデメリットがあるとは思えないしな。もしかして、コード発現後から一度死ぬまでに時間が掛かり過ぎるとCの世界にあるバックアップとの乖離が大きくなるとかあるんだろうか。


 それにこの話に関わることだけど、代替わりに関しては今回出てきたシャムナさんも変だよね。代替わりが失敗したってあったけど、シャムナの代替わりは一体いつ起きたのか。シャムナにコードを譲渡した相手がそもそも誰かって話だし、C.C.が来たときに教主様として迎えようとしてたから、コード持ちが元々ジルクスタン王国にいたとは考えてにくいよな。それと、コードの発現は見られたのにルルーシュのギアスが効いていたのは代替わりが不完全だったから?そもそも代替わりが不完全とはどう言うことなのか。アニメ放映時には達成者が死ぬことでコードが発現するんじゃないかって説もあったけど、シャムナはそれに当たるのか。そうではないとすると、コード保持者はC.C.とV.V.の他にもう一人いたことになるけど、そんな話は全くアニメでは出てなかったしな。そもそもシャムナとシャリオは姉弟でそんな歳が離れてないように思えるし、コードの発現は少なくともつい最近のはず。そうなると、シャルルからルルーシュへのコード継承の際に(達成者であったであろう)シャムナへも不完全な代替わりが発生したのかな。達成者であればコードの譲渡も奪取も可能だし、シャムナの望み的にシャルル(元はV.V.)からコードの奪取を考えていただろうし、その辺りが関連しているのか。シャルルに波長の近いナナリーを使ってCの世界にアクセスしようとしていたことを考えると、やっぱりあのコードはシャルルのコードの片割れっぽい気がするね。それに先読みのギアスから時間遡行のギアスへの変化という意味では、ルルーシュのそれと似ているし、映像描写も通常ギアスとは異なっていたからありえそうなストーリー。だけどルルーシュの変化とは性質が異なりすぎてるのが気になるところ。

 ところでシャムナの先読みのギアス、元々はどんな能力だったのか。ルルーシュのように目線の合った人の思考を読み取る?でもそれはマオに近いから、おそらくそれなら目線の合った人の先の未来が見えるのかな。でもそれだとブリタニアには勝てないし、そうなるとロロみたいな範囲型発動で一定範囲内の未来が見えるのか。それとも目線とか合わせずに、その人を見るだけで未来が読めるのか。それとも宣託のように未来に起こりうることを予想できるのか。どんな物を考えても、このギアス、すぐに常時発動に入って発狂しそうな能力だな。ブリタニアの侵攻を防ぐにしてもかなりの使用回数が見込まれそうだし、これはシャムナさん達成者間違いないと思うわ。


 あと、シャリオのあのドーピングってなんだろう。それに顔の頬にあるあの電気回路みたいな跡はなんだ。それに民に犠牲を強いて、ってあるけどそれは字面通りの意味合いなんだろうか。この辺りもCの世界に付随する話なのか。シャリオとスザクの初戦を見たときには「お、ワイアード設定きた?」とか思ったけどそんな会話は一切ないし、パンフレットにも詳細はなかったし、これは追加情報待ちなんだろうか。




 まあ、そんな疑問点はあるけれど、復活のルルーシュをなぜあんな長ったらしい感想文が書けるほど絶賛していたかっていうと、それはC.C.の願いが叶ったからですよ。ギアスはそれぞれの深層心理にある願いから発現する。それでC.C.に発現したギアスは何か、「愛される」ギアスですよ?C.C.は人間で合ったときは孤児であったから愛された経験がなかったんでしょう。で、ギアスを手に入れてからは幸せにも思えたけど、結局ギアスで愛されることに疑問を思い、常時発動なため普通に話せるのはシスターだけだったのにそのシスターにも裏切られる始末。あ、シスターがC.C.を継承後に殺したのはせめてこれ以上ギアスが発動しないようにコードを発現させるためか、アリエル。そんな誰かに愛されることを望んでいた少女がですよ、やっと心を開ける相手を見つけて約束までしてくれたんですよ。そりゃ、世界のこととか物語の整合性とかでルルーシュは死ななければならなかったでしょうけど、それでもC.C.の約束を果たせるのはルルーシュしかいなかった訳ですよ。だからこそ、シャルルのコード継承説なんてものが飛び交っていた訳で。

 それで10年経ったら、まさかの復活のルルーシュって。そりゃ期待するし、復活したなら約束に向き合わないとなぁ?って思ってたらこれだよ。最高ですってなるに決まってるじゃん!ラストシーンの魔王・魔女のラストとか最高すぎるでしょ。C.C.のセリフをルルーシュが言うのもいいし、「王の力はお前を孤独にするかもしれない」とか惚気かよ、幸せにな!


 今回もね、こんなに新要素出してきたしコードとギアスの謎は深まるばかりだし、C.C.のシャムナのギアスの欠片を回収する発言、ルルーシュのギアスを奪う発言。これはあの流星に起因するギアス持ちがいることを暗示してるよね。つまりは、続編か新作、期待して待ってていいよね!楽しみにしてますから。

「劇場版 幼女戦記」の感想

 幼女戦記は、小説のオーバーロードの最後に挿入されていた広告を見て初めて知った。サラリーマンが幼女に転生して戦争に行くとはどういう話だ?と気になっていた時、暇であったのとネットに原文が投稿されているとのことで読み始めたのがハマった原因である。そのネット小説では、小説やアニメと同様に、ターニャは戦争を嫌う描写があるのだが、どう見ても戦闘狂です本当にありがとうございました。という感じであったが、小説やアニメ、漫画ではその戦闘狂描写がちょっと薄くなり、文明的であることを喜ぶような姿が見えてよかったと思う。それにしても、小説・アニメ・漫画の全てでキャラデザが異なる作品というのも珍しい。ちなみに基本は漫画のキャラデザが好きです。ただし、レルゲンはアニメ版が一番好きです。


 さて、実は言うと小説の幼女戦記は2巻までしか読んでいないので、アニメ時点ですでに原作がどのような方向に進んでいるのかは分かっていない。なので、この新編である劇場版ではどのようなストーリーになるか楽しみだった。のだが、南方大陸戦はすぐに終わってしまった。ローメル将軍は中々のお気に入りのキャラだったし、ここでの活躍があってこそのノルマルディア上陸作戦でのターニャへの信頼っぷりがあるのになって。まあ小説でどういう展開になっているのか知らないのでわからんけど。でもそれ以外ではめちゃくちゃ良かった。何よりも効果音と音楽がよかった。幼女戦記の銃撃や爆発だとかの効果音はTVの頃からよかったけど、劇場版では更に良くなってた。あと音楽もアニメ版から少しアレンジを掛けていたけれど、「これこそ幼女戦記!」って言う感じでちょっと鳥肌が立った。砂漠戦から一転して連邦戦になり、同志ロリヤの【検閲済】趣味は本当に気持ち悪かったし、清く正しい人民の指導者【内務人民委員部検閲済】のヨセフと言い、本当に原作者はコミー嫌いなんだなって思った。そう言えば、モスコー襲撃に関するターニャへの詰問はなかったけど、そこも少し見たかったな。これは流石に配慮とかあったのか、それとも尺の問題だったのか分からんけど、惜しいなぁ。


 にしても、一番良かったのは戦闘シーンだよね。特にメアリー・スーの光学系術式はヤバ過ぎて笑ってしまった。アニメ版の術式は漫画版と違ってかなり現実味に近い設定で必ず銃弾に術式を付与する形であったから、手から魔導刃出したり銃口からビームが出たりすることは無いと思ってたのにいい意味で裏切られた。初撃の打つ前のあの魔力が滾ってる演出、めちゃくちゃ好き、ああいう演出にめちゃくちゃ弱い。つか、光学系術式が出てくるとか本当思わなかったし、ターニャとヴィーシャのリアクションを見ると本当に魔力消費が激しい術式なんだろうな。じゃなかったら二人とも絶対ぶっぱしてる。あの攻撃力に加えて防殻もめちゃくちゃ分厚いし、あの威力のビームが連続で打てるとか、今までのターニャなんて可愛く映る無茶苦茶っぷりだった。その内ターニャもビームで敵軍を薙ぎ払ったりするんだろうか。今回のティゲンホーフ防衛戦の連邦師団とかも対地戦力としてあの火力が出せるなら今以上に活躍できるな。

 そしてメアリー・スーのキャラは幼女戦記にやっぱり必須だよね。合理性と規律を重んじ、軍人を体現するターニャに対して、ネット小説では神の信仰を、アニメ版では人間を体現するメアリー・スーは本当にいい対比。エンターテイメントとして、娯楽として幼女戦記を消化する上では合理性もクソも無く、個人の感情を中心に動いて仲間を危険に晒すメアリーは本当にクソだけど、それは前提として虚構であるからそう言えるだけ。もしこれが現実であったりしたら、多分ターニャよりもメアリーの方に感情移入できると思う。だって、本当にメアリーの方が主人公してるもんね。それに対してターニャは本当に悪役です、本当にありがとうございました。自分の父親に渡した武器を敵の兵が持ってるとか、確実に悪役のすることだよ。まあそんな悪役であっても悪い感情を抱かれないのがターニャで、主人公ポジションにいても悪い感情を抱かれるのがメアリーな訳なんですけど。ここでメアリーを出してきたけど、これから先ことあるごとにメアリー出てくるとなると確実にアンチが出るな。本当にドレイクの胃には穴が空きそうだね。


 と、コードギアスに比べてたくさん感想は書けないけど、とても面白かったです。

『コードギアス 復活のルルーシュ』の感想

 『コードギアス 復活のルルーシュ』を見ました。映画館から出て色々な用事をほっぽり出して直帰して今PCの前で感想を書いています。早く感想を書きたいのだけれど、このブログは確かツイートすると最初の方がツイートに表示されてしまうので、まあ今日の朝のことから話しましょう。その前に、まだ映画を見てないのにこのブログを開いた人。ブラウザバックして早く映画を見にいけ。いいか、全力で映画を見に行くんだ!!!!


 今日、実は言うとギアスの映画を見に行く気がそんなになかったんですよね。午前中にそこそこ真面目な用事があって、外出るしついでに観に行こっかなって言う軽いノリで映画館に足を運んだんです。午前中に良い話が聞けて、これからの自分の人生について真面目に考えていた私、グッバイ。そんな気持ちです。もうこれくらいで良いよね。




 さてやっとコードギアスの話ですが、映画の感想を言う前にアニメ版の話からしないと何も始まらない。コードギアスのアニメを観た時、まだ私は子供だったんですが、どハマりしてしまいました。アニメなんて日曜夕方にやってるガンダムSEEDを観て、「今週もニコル死んどるやん笑」みたいな感想しか持てなかった私にとっては、コードギアスこそがオタクの道に誘った主犯なわけです。それほどハマりました。毎話、何回も見直して見直して、セリフも諳んじれるくらいには見直してました。一話の「魔神 が 生まれた 日」なんて何回も見ましたよね、ね?見たよね?R2終わってからも一話だけ何回も見た人たち、きっと他にもいると思います。他にも12話の「キョウト から の 使者」とか最&高で「行くか、修羅の道を」「それが、我が運命なら」なんてもう良すぎでは???それに、22話「血染め の ユフィ」からの23話「せめて哀しみとともに」は涙無しでは見られない。「さようなら、ユフィ。多分、初恋だった。」とか言った後にあの合衆国宣言ですよ。あの時、ゼロの仮面の下でルルーシュどんな顔してたのか。想像するだけで泣けてるくる。その頃あたりからジェレミア・ゴッドバルドとか言う奇跡の復活を成し遂げた彼が出てくるんだけど、コーネリアと仮面を取って対峙していたルルーシュの前に現れたり、当時はなんと言うネタキャラかと話題になっていましたね。

 R2も当時は中弛みが酷いとか散々言われてましたが、大人になってから連続で見返して行くと、決してそう言う訳じゃないんだなって思いました。いや、だってR2一話の「魔神 が 目覚める 日」とか、最高すぎるじゃないですか。「良いだろう。なぜならば我が名はゼロ、世界を壊し、世界を創造する男だ!」とかセリフカッコ良すぎでは?だいたい、天井が崩落して紅蓮と月下が現れて傅くシーンとか良すぎじゃない???やばすぎでしょ。そのとき出てきた卜部は次の話で死んでしまったけど。本当に惜しい人物を亡くした。そんな卜部を殺したロロは順調にヘイトを貯めて行くけど、ルルーシュのボロ雑巾扱いは本当に主人公のする顔じゃなかった。そんな彼もシャーリーを殺してヘイト溜まりきったところであの死に方でしょ。挿入歌がズルすぎる。決して許されるべきじゃないとみんな思ってたはずなのに、あの話の後ロロの評価手のひら返ししたよね。そのあと、皇帝とマリアンヌのくそ親っぷりを眺めてからの「皇帝 ルルーシュ」、制服と征服かけてんのかよ笑とか思ったし、第一上から回転蹴りして落ちてきたスザク。お前槍をへし折るとかやっぱり人間卒業してるよな。ナナナ版のゼロほどじゃないけど、お前も十分人間離れしとるで。そしてシュナイゼルの強よっぷりからの「だからこそ、あなたに俺は、ゼロに遣えよという言葉をプレゼントしよう」とか、思考読んで録画した映像で騙すとかそんな策見たこともやろうとしたことも君が最初で最後だよルルーシュ。そしてそれを一瞬で看破したディートハルトも中々の逸材だった。ゼロの正体に一番最初に気付いたのは多分、こいつだよね。


 と、ギアスを語らせると止まらない訳ですが、当時はルルーシュが好きで、スザクとかウザクとまでは呼ばなかったけど、そんなに好きなキャラじゃなかった。でも大人になって見直すと、不思議とスザクの方に感情移入しちゃうんですよね。彼の、例え死ぬとしても正しく生きたいというのは、まあ何が正しいかは置いといて、とても共感できるものだって分かった。その反面、ルルーシュはそんなに好きじゃなくなったんですよね。あの独善っぷり、どこかの月ほどではないけど、もっとお前やり方あるやろって。まあ、そんな彼らよりもC.C.が一番好きなんですけど、C.C.が幸せに生きて行くためには、やっぱりルルーシュが必要なんだよね。当時からルルC派だったので。いや、だって一期の共犯者、魔王になる宣言やばいでしょ。「一度しか言わないぞ、ありがとう」ってほんとに一度しか言ってないじゃん!もっと言ってあげて!!!

 とか、当時は思ってた訳ですが、ここから少し映画にも関わるところなんですけど、当時からルルーシュは皇帝のコードを受け継いでL.L.として生きているとか、C.C.がラストに乗っていた馬車の御者がルルーシュだとか、色々な考察飛び交ってたじゃないですか。あれ、ルルーシュは死んでいないといけない派がいて、確かに分かるんですけど、でもルルC派の自分としては、じゃああの約束はどうすんだよ!カレンが突入してきて良い雰囲気だったルルーシュとC.C.を引き裂いてたのにすらイラっときたのにこのまま満足して死ねると思うなよ?みたいな感情渦巻いてた訳です。ナナリーが泣き叫ぶときにルルーシュと思われる鼓動が仕込まれていたり、最後にルルーシュは目を瞑ったけど、一期の初めで目を開けたのはルルーシュで、ループ説が出たとか、まあ色々ありましたよね。ルルーシュが皇帝を殺した後のシーンから、ルルーシュは首元が見える服を来ていなかった。首元を隠していたのは発現していたコードがあったためだ。とか色々情報があって、ぜっっっっっったいにルルーシュはコードを継いでいるはずだとは思っていたけど、こう、すんなり人混みに紛れて生きていて欲しくはないから、こう、アーカーシャの剣みたいな空間でCの世界の番人してて欲しいとか思ってました。



 そんな折、コードギアス続編が出ます!からの「復活のルルーシュ」とか、え、ほんとにやるの?嬉しいんだけど、こう、自分が思ってたのと違ってたらどうしようって葛藤あるじゃないですか。メチャクチャ好きだけど、話綺麗にまとまったじゃないですか。いやいや、どうやって話作るんですかと。こう、蛇足みたいになるんじゃないかと思って、正直怖かった。でも、アニメではなくて劇場版(総集編と思ってたら新編だったの巻)の続きとしてやるということで、ちょっとしたシーン変わってたじゃないですか。ロロがシャーリー殺してないとか、そんな因果を捻じ曲げてるとか誰か魔法少女になったんかいなとか思うレベルで。で、劇場版の最後はC.C.が一人で旅しているように見えたので、ルルーシュはそこにはいないって分かってた。でさ、どうやってルルーシュが復活するのか期待していた訳です。死んだ後にCの世界の集合無意識に溶け込んだけれど、世界に何らかの危機が来たとき、「明日が欲しい」というギアスによって、世界の明日のためにルルーシュがCの世界から復活するとかね。

 で、個人的にすごく楽しみにしていたので、映画の前情報とか何にも見なかったんです。


 そしたらさ、映画始まってすぐルルーシュいるやん?




 は?まじで?ルルーシュそんな早く出して良いの?復活してるやん?




 って思うよね。いや、これ映画館にいた人みんな思ったと思う。「ルルーシュもう復活してる」って。ただ、目が死んでて抜け殻見たいなルルーシュを見て、ああ、ここからルルーシュの意識が戻るんやなって。いつ頃戻るんだろう、やっぱ最後の方でC.C.とか黒の騎士団が危険に迫ったらかなって思いながら見てた。で、最初の襲撃でC.C.がカレン、咲世子、ロイドたちと合流したとき、C.C.がバツが悪そうにしていたのはみんなにルルーシュが生きてるってことを知られたくなかったっていうのが分かったけど、そりゃそうよね、と。ルルーシュ自身が生贄になることで話を丸くしたし、死んでいたからこそ周りが納得して綺麗に終わらせたのに、当の本人生きてるんだもん。そりゃ隠したくなるわ。でも、C.C.がルルーシュを生き返すのが個人的な約束のためって聞いたとき、カレンが激昂するけど、歯切れが悪かったのは、やっぱりルルーシュが生きていたことに対して裏切りの感情とともに嬉しさがあったんだよなって思うと、ルルーシュ愛されすぎてる。ラノベの主人公できるよ。結構フラグ立ててたし、いこうと思えば多分全員いけた気がする。


 その後、ジルクスタン王国にある扉に行く訳だけど、そこでシャルルとマリアンヌの幻影が出てくるとか、お前ら死んだ後も面倒なことしすぎだろ。好感度上げるイベントが何もなさすぎる。マリアンヌとか出てくるまではすごい良い人っぽかったのに。そしてルルーシュだけCの世界に飲まれていってC.C.だけが扉から出て来たとき、「お、ルルーシュ闇落ちかな」って期待してたんだけど、


 あいつ、あっさり戻って来やがったな???


 違うだろ!!!もっと、こう、盛り上がるところで復活しろよ!まだ序盤もいいところだし、お前いま起承転結の起の終わりぐらいだぞ!こんなところで復活していいのか!!!!


と思う訳だけど、ここで「ナリタを思い出す、かばうのはいいが血を流し過ぎだ」って言うセリフ。とても好き。ナリタだよ、「ルルーシュ、雪がどうして白いか知っているか。自分がどんな色か忘れてしまったからさ。」のナリタ、「一度しか言わないぞ。ありがとう。」のナリタだよ???



 はあああああ、最高かよ。復活するの早すぎるとか思ってたけど。けど、けどね?



 でも!私は!!!!!この瞬間を!!!!!!10年間待ってたんだよ!!!!!!!!!!!



 でもそう言う風に感動してたけど、いやいやいや、何かあるかもしれない。こんな王道でいいのか。コードギアスだぞ。また復活してから意識が飛ぶとかありえる。あり得るからな。ってめちゃくちゃ不安になってた。で、なんか復活しちゃったルルーシュと怪我から復帰したスザク。お前、一期でも銃で撃たれて気絶してたし、普段は人間離れし過ぎなのに人間アピールすんなよって感じなんだけど、目が覚めたところにルルーシュがいる。幻かと思って手を伸ばしたら触れる。ああ、これは現実なんだなって思った瞬間。


 殴りかかるスザク。


 そうだよ!!そうだよね!!!いいぞ、もっとやれ!!!もっと殴れ!!!!!お前にはその資格がある!!!!!!



 そうだよ、ルルーシュが死ぬ、生贄になると言うゼロレクイエムのために、死んだユフィの願いを叶えるために、その仇であるルルーシュと協力したのにその本人が生きてたらそうなるよな、な!めっちゃ分かるわ。ここ、最初から殴り飛ばさずにおかえりとか言ってたら、ちょっと席立ってたかもしれない。で、その後C.C.がスザクを止めに入るんだけど「ルルーシュは悪くない、全ては私の個人的な理由のためだ」ってルルーシュを庇うC.C.。



 いやいやいやいやいやいや、10年待ってたとはいえ、いいのか。この展開。


 その後は一期・二期の一話を思い出させる逆転劇。ルルーシュが名実ともに帰って来たと思わせるシーン。いいねぇ、やっぱりコードギアスはこうでないと!そして、からのナナリーが拐われてることを知ったルルーシュは、最短最速でナナリーを救うために動き出すんだけど、こいつ、例え死んで別の人間に生まれ変わってもナナリーのこと守りそうだなってくらい妹愛に溢れてた。何も軸がぶれていない。ブレブレ人間なのは扇だけだよ本当。


 で、そのあと色々あったんだけど、咲世子とロイドがルルーシュのことを「陛下」って呼んでたのを「これからは呼び方を考えないと」って言ってたの、本当嬉しくなるよね。彼らがルルーシュを受け容れてくれるって言うのは、まあ自分でも矛盾してるとは思うんだけど、すごく救いになってる。そして彼らのいう「陛下」って言うのはシャルルとかナナリーとかじゃなくて、ルルーシュであるって言う意味もあったと思うんだけど、



 やばくないですか。



彼らにとって「陛下」って「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」だけなんですよ。いや、そんな風に制作側が思っているかとか知らないけど、個人的な妄想かもしれないけど、やばくないですか???いや、やばいよね。もう世界で皇帝陛下っていうのは彼のことなんだよね。いや、悪逆皇帝として唯一無二かもしれないけど。


 そんなヤバイ展開達を終えたんだけど、ジルクスタン王国に囚われていたナナリーを救うべくルルーシュが動くまでの間、カレンがルルーシュの元に行かないところをC.C.が先延ばしにするのは良くないと諭すけど、そのまま言い返されて何も言えないC.C.。この魔女め。なんでこういうところだけ我儘になれないんだろうな。そんなこんなの間にルルーシュは秘密の合図をしてスザクと会うけど、お前ら本当に仲良しだな。一度殺し合いの果てに出世の贄にされて(して)、一度は本当に殺された(殺した)仲とは思えんぞ。でも、きっとユフィはその状況見て喜んでそうだよなぁ。



 ま、そんな中ルルーシュは神楽耶から送られたデータに目を通していると、そこには扇の結婚式の時の映像データが入っていた訳で、ルルーシュが見ることのできなかった未来を教えてくれる訳ですよ。この映画、神楽耶のセリフ、一回もなかったと思うし、ちょっと絵が出ただけなんだけど、


 神楽耶、本当にいい女だな。R2で黒の騎士団がゼロから離反したときにも思ったけど。


 最初出て来たときは、なんだこのちんちくりんとか思ってごめんなさい。めちゃくちゃ能力高くてコミュ力あるし、他の世界行ったら主人公張れるスペック持ってるよ、神楽耶。



 でまぁ、夜が明けてからジルクスタン王国へナナリー救出に向かい、スザクとカレンが無双し、ルルーシュの策がバチこり決まってもう話が終わりかと思ったその瞬間。王国の王女であるシャムナのギアス発動。ところどころ彼女が予言者であることが示唆されていたけど、その正体はまさかの死に戻り。


 いやいやいやいや、そんなチート性能を敵で出しちゃダメでしょ。


 死に戻りって、死んだときに過去に戻ってやり直すという意味では、過去の時点で未来が見える未来予知の能力と似てるんだけど、全然違うんだよね。だって、未来予知は失敗して死んだら終わりだけど、死に戻りは死ぬことで戻れるんだからゲームオーバーする条件がないんだよ。そして死に戻りであることを他人に言わなければ、どういう策を弄しても絶対に勝つことはできない。だって、自分の打つ手打つ手全てに対策されてこっちが先に詰まれるんだから。神視点で物語を見ている私たちと違って、物語の中の登場人物達は死に戻りしてる敵なんて最悪中の最悪だよ。マオどころじゃない。あんなのめちゃくちゃ優しいよね。直接対峙しない限り心読まれないんだから。死ねば死ぬし(ここ大切)。


 そうして死に戻りの能力の前になすすべなく、ルルーシュが諦めかけたとき、C.C.の叱責が飛んで来た訳ですよ。自分は諦めなかったって。私が取り戻そうとした男は、そんなやつじゃなかったって。彼女は、ルルーシュを取り戻すために、たった一人で世界を周り、遺跡に残された扉を使い続け、やっと、最後に、ついにルルーシュの意識をCの世界から引き上げて来たんですよ。わかります?あの、自分のことを魔女といい、何もかもを諦めて死ぬことを選ぼうとした魔女がですよ??たった、ルルーシュが死ぬ前にした口約束だけを支えにして、やっとの思いでルルーシュを取り戻せたって言うんですよ???



 めちゃくちゃ、本当にめちゃくちゃ、叫び出したくなるくらいあのシーン良かった。本当に良かった。




 そしてその想いを聞いたルルーシュは、あいかわらずのナナリー愛だけは変わらずに諦めずに敵を攻略しようとするんだけど、いや、でも相手は死に戻りですよ?こちらの策略は読まれてるとか言う次元じゃなくて、何をどうするか完全に後手を取れる相手に対して、どうやって戦うんだよっていうレベルだよ。無理無理。これ、ここは一回退却するのかなとか思ってたんだけど、どこの誰かもわからない相手をギアスユーザーとして認定し、ギアスのかからないC.C.を介して作戦を実行。敵が誰で、どの能力を持つかを確かめていく訳なんだけど、そんなことできるんか?って思ってたらできちゃうんですねぇこれが。ただし、最後は直接対峙からの「私はお前と同じギアスを持っている」というブラフ、そこから能力の確定して「永遠に眠れ」というギアスによる封印という勝利。対峙する前までに何時間の時間遡行ができるかまでも把握し、それ以上の時間が経ったら殺すという完全勝利。


 っていうか、ルルーシュがシャムナにギアスをかけたとき、水面の反射を使って絶対遵守の力を押し付けていたけど、まだ何も命令してなかったよね。ということはよ、ルルーシュのギアス強くなってない?もともと絶対遵守の力だってチート能力なのに、これからは命令せずに目線を交わらせるだけで支配下におけるのとか、やばすぎでは?


 まあそして、色々あって戦いは終わってナナリーを救出できたんだけど、ナナリーが「私は何も要りません、お兄様と一緒に暮らします」宣言。そりゃあんな別れ方したらもう離したくないわな。ルルーシュのナナリー過保護っぷりはもうこの救出作戦で再確認したし、これはナナリーとの隠居生活ありうるのでは?と思った矢先。荷物を持って一人去ろうとするC.C.。カレンが呼び止めるけれど、自分は一箇所にいられるものではないと言って去ろうとするところに、なんと、ルルーシュが走って追いつく訳です。すごい息を乱していて、相変わらず体力ないなこいつとか思ってた。そして、ナナリーに俺は必要ない、あいつは一人でしっかり生きていけて、自分がいては邪魔になるだけ、という妹離れ宣言。思えばR2の時にこいつ妹離れしてたけど、ナナリーはまだ兄離れできてなかったんだよね。この映画でナナリーの兄離れもできて、ただの仲良い兄妹になれてよかったよ(?)。


 そしてC.C.の旅について行くというルルーシュ。最初はC.C.は断るけど、ルルーシュは引き下がらない。C.C.は色々断る理由をいうけど、「名前はどうするんだ」という返しに「ルルーシュランペルージ(Lelouche Lamperouge)から取ってL.L.でどうだ」というと、C.C.が振り返る。時が止まったように動かないC.C.、だけど、困ったような、泣き出しそうな、そして嬉しそうな表情を浮かべる。


 れれれ冷静になれ、これは現実なのか?幻覚を見せるクジャパットのギアスではないのか???



 いやいやいや、だって、あの、あのC.C.がですよ???一度だけの礼を言われた時も、名前を呼ばれた時も、あんな表情見せなかったC.C.がだよ????







 そうだよ、このC.C.が見たかったんだよ!!!10年待った甲斐があったよ!!!!!!!!!!!!!!!



 C.C.にこんな表情させられるのはお前だけだよルルーシュ!!!!!!!!!!!!おかえり!!!!!!!!!!!!!!!



というわけで、今から私は買ってきたパンフレットを読みます。もう穴があくまで読みます。そして色々情報収集し、みんなの考察を見てから来週幼女戦記見る時にもう一回ギアス見てきます。じゃあの。




 


 

おひさしぶりです

 久しぶりにブログを開いてみると、万引き家族について書いていたせいか、結構なアクセス数があった。ちょっとうれしいけど、話題になりそうな内容を投稿していくのは違う気もするので、また自分のお話しでも書いていこうかと思う。

 そうは言っても書くことってそんなにない。最近は引っ越しをして快適な住環境が整いつつあるのに満足していることは出来事の一つではあるが、改めて筆を執るほどのものではない。強いて言えば、三十も近くなってくると周りが結婚しだしたことだろうか。働き始めた当初は結婚している人など、当然ではあるが、少なかった。しかし、歳を重ねていくにつれて周りが結婚しだしたり、会社の給与平均が自分より数万高い理由が扶養手当や子供手当であったり、そういう端々にいわゆる「一般的な人々」は結婚するのだなと実感する。

 他人の結婚式に出ると、自分がこれから生きていく上で一緒に過ごしてくれる人がいるというのはいいなぁと思う。そう思ってるのなら動けばいいのだが、自分が他人と一緒に生きていく想像ができないし、そういう人に出会えるかもわからない。まあそういう人に出会えたかどうかは死ぬ前ぐらいに分かるのかな。うん、書いてたら動かないと話にならないなと思い始めた。周りで離婚している人も数人いるし、一人で行動できないというのはある意味でリスクを背負っているといえるかもしれないが、独りで生きている間には何にも結論がでないものか。友人には、それなりに自分がしたい仕事ができているのに転職しようか悩んだり、それを理由に誰かと付き合うのを先延ばしにするのは甘えだと言われた。そのときも思ったが、これを書きながら思うのは、すごい耳が痛いということだけである。

外からの眺め

  つい先日、アカデミック主催のセミナーへ参加した。費用はすべて会社持ちということで、仕事へのモチベーションの低かった私は意識高い高いをするために参加申し込みをしていた。そのセミナーでは今まで深く勉強してこなかった内容について講演があり、とても興味深く聞く事ができた。だが、ひとつ残念に思う事があった。

 

  最後にとある著名な先生による講演があった。それは研究というよりかは、その学問の近代史やどのように文化と関わってきたかという内容であり、これもまた興味深い内容であった。しかし、講演後の質問の際、昔からの知り合いの先生方による雑談が始まった。この時の雰囲気を私はあまり好きになれなかった。まるで内輪の内輪による内輪のための講演のように思えてしまったのだ。この内向的な空間には、私のような企業に属する人間、とくに若く人脈のないような人間には入っていけない空間であった。こうしてみんな衰退していくのだろうと漠然と考えてしまった。

  よく若い力が足りないだとか、若者が必要とされていることがあるが、もしこのような空間を築かれていて、かつ若手が欲しい方がいらっしゃったら是非やめましょう。その代わり、よりビジネスライクにいきましょう。仲の良い方と話したい気持ちを抑えるだけでも、その空間は新参者にとって優しい空気になるのではないでしょうか。自分たちの領域を築くのもいいですが、それは見えないところでやっていただけないでしょうか。まあ、私が参加したセミナーでは若手を求めていないのかもしれませんが…。

 

  自分の所属していたグループ。そこから去り、しばらく経ってからそのグループを見ると異様な光景だと思う事はよくある。外から見て判断するのは簡単だが、それを中から気付くのはとても難しい。見聞を広げ、少しでも考え方の幅を広げることが気付くための唯一の対抗手段だと私は思う。斜に構えてると言われるかもしれないが、私にはそれぐらいが丁度いい。

続「万引き家族」

  色々思う事がまた新しく出てきたので筆を取る。あらすじとは言えない物語のネタバレもあるので、見たくない人は戻ってね。

 

  万引き家族は万引きもテーマではあるが、家族もテーマであると思う。万引き家族では虐待されていた子を保護(ただしくは誘拐)する。その後、元の家庭に戻るか尋ねるとゆりは今の家が良いと選ぶ。その後、母親の信子は「選んだ方が良い、そっちの方が絆が強い気がする」といったことを言う。まあそのときの話し相手の祖母である演技が良いんだ。良いシーンには祖母が常にいたというのは個人的な主観であるが、やっぱり樹木希林は偉大である。

  そんな家族も離散するのだが、そのとき出てくる刑事役(高良健吾は良い役だったけど、今話しているのは池脇千鶴の方)が非常にイラッとくるような事ばかり言うのである。例えば万引きをして捕まり、足の折れた息子の祥太を置いて家族は家から逃げようとするが、そのことについて刑事は祥太に対して

  「本当の家族ならそんなことしないでしょう?」

とか言ってくるのである。実は万引き家族は全員血が繋がっていないのだが、息子の祥太は記憶もない幼い頃に車上荒らしにきた(と示唆されている)父親の治がパチ屋の車の中から連れ出したのである。そういう捕まる前までの万引き家族を見てきた私たちにとっては、

  「本当の家族でも娘を虐待するし、パチ屋の車に放置するんだからそこは関係ないだろ」

と思うのである。さらに言えば私は

  「うるせぇ物事を最初から決め付け、何も知ろうとしない外野が正論ぶってんじゃねぇ」

とか思っていた。

  そんな風に思っていたが、あの刑事は現実でいう私たちのことを指しているんだろうことに気づくとあの役の意味にも納得できる。おそらく、わざと煽るようにしたんだろうと思う。何も知らない、知ろうとしない外野が自分の価値を絶対として正論を押し付ける。ネットであれば、どこでもいつでも見れそうな話である。前のブログでも書いたが、そこには実際に生きる人間がいるにもかかわらず、表面的な事実だけをなぞって断罪することは正しいことなのか。このストーリーでこの役があったからこそ、私はそう思ったんだと気付いた。

『万引き家族』見ました。

 久しぶりに映画を見た感想をブログに書く。もはや感想と言えるか怪しくなってしまったが、明日から仕事なのに寝ずにウンウン考えてしまった。寝ないといけないし、もういっかと諦めの境地で投稿する。

 先日、カンヌ映画祭パルム・ドール賞を受賞した万引き家族が先行上映するということをネットで目にした。話題となっていた上、普段はこの前見たランペイジのような娯楽作品ばかりを見る自分が気になっていた作品だったので今日友人を誘って映画館へ赴いた。感想で間違ったことを書きたくないので、キーボードを叩く前に色々調べようとしたが、思ったことを書くのに間違ったもクソもないかと思い直してそのまま書いてしまえというのがいまの心境である。

 あらすじ等は省略してしまおう。そこは絶対的に作品情報の方が正しい。

 この作品を、万引き家族を見て私が思ったことは、言葉を汚くするがいかにクズであったとしても、彼らもまた私たちと同じ血肉の通う人間であるのだということである。映画では、万引きをしつつ幸せそうに暮らす家族が描かれている。生活そのものは全く親近感も何も湧かなかったが、彼らの何気ない会話やふとした一言というのは、本当に私たちの日常とさほど変わりがないと思わせる。そういう描写があったからこそ、彼らも私たちと同じ幸せに生きたいと願う同じ人間であると感じやすいのだろう。
 物語が進み、最後には幸せに暮らした家族は離散し、誰一人として共に暮らしていない。それを万引きなんかしてるからだと断罪してしまうのは簡単なのだが、では実際彼らはどういう風に生きていゆけば幸せになれたんだろうか。たとえ、犯罪をしていたとしても、嘘を重ねていたとしても、確かに彼らは幸せに家族として生きていた。きっと、普通の手段では彼らは幸せに生きていくことができなかったんだろう。どうやって生きていけば幸せになれたのか、しばらくは答えのない問いにモヤモヤとした日々が続きそうだ。

 と、そんなことを考えているのだが、そんなことはおいといて、映画としての話をしたい。この映画、本当に日常パートの描き方がうまい。すでに書いたが、何気ない会話が本当に何気なく行われており、スクリーンに写っている物語は現実にあるものではないかと思わせてくれる。夕食でみんなで鍋をつつきながら世間話をしているところ、家族の愚痴をいっていたときに当人が帰ってきたので慌ててやめるところ、パート同士で話をしている時の何気ない冗談を話しているところ。どんなパートをとっても本当にありそうな日常だと思わせる。果たして、彼らは演技をしているのか、本当にそういう風に生きているんじゃないかと思う。そういったことを思わせるのは演技だけでなく設定のもあるのだろう。息子の祥太は襖を寝室がわりにしているのだが(ドラえもんは上段に寝ているが、彼は下段だ)、そこではライトのついたヘルメットをかぶったり、自分の宝物(劇中では母親がクリーニング屋のパート中に客のスラックスから撮ったヘアピンが新しく加わる)を大事に並べたりするのだが、本当に小学生の男の子がしそうなことばかりである。さらに彼は空き地の捨てられた車を秘密基地にしていたり、本当に色々詰め込まれていている。また、この映画にはほとんどBGMがついておらず、BGMが流れるのは場面が変わったりするときなのだが、その回数はとても少ない。なのに、目も耳も飽きずに映画を見ていて、BGMが流れたときに「そう言えば今までなかったなぁ」なんて思い出したりするのだ。あまり上手く説明できていない気もするが、そういった丁寧に作られた日常パートがあるからこそ、この映画のメッセージが伝わってくる気がする。後、個人的にやっぱり樹木希林さんが好きだなだとか、本当にリリー・フランキーはしょうもないダメ親父役が多いとか、息子役の城桧吏は将来イケメンになるだろうなとか思った。あと松岡茉優は胸でかかった。劇中でリリーが言っていたけど、男はみんなおっぱいが好きだからしょうがないね。


 ここから先は何回も文章を書いては消し、書いては消しを繰り返したが、なぜクズでも人間であると思ったかを書こうとしてもどうしても映画で完結できないのは、私が初めからそういう思想を持っていたからだろうか。そういう思想を持っていたからこそ、この映画を見ていい映画だと思ったのだろうか。もう面倒だから思ったままここからは文章にしてしまおうということでもう消さずに取り止めのない話となりました。

 家族を万引きといった悪事をさせながらも、幸せに生きて生き、最後には離散する。その中には人の弱さが描かれている。誰もが悪くて、誰もが悪くないのだと思う。私たちが彼らを悪人であると断罪するのは簡単なのだが、ではどうしたらよかったのかという問いに答えられる人は少ないだろう。というか、一人もいないのではないだろうか。

 人は簡単に人を断罪する。ネットやテレビで垂れ流されるニュースを見てはこの人はこうだあの人はどうだと批評する。ネットやテレビの情報なんて一面でしかない上に真実であるかどうか私たちは知らない。しかも趣味の悪いことにテレビなんて実像に迫るためという言い訳を使って卒業アルバムだとかのプライベートを容易に暴き出してエンターテイメントとして消費する。そこに自分と同じ血肉通った人間がいるなんて思ってもいない。事件の当事者のことなんてこれっぽっちも考えてなどいない。そしてたった一つの事件から都合の良い事実だけを抜き出して世の中の批評に使ったりする人もいるのだから、世の中には大変な仕事もあるものだと感心してしまう。この映画でも万引き家族がテレビで報道されるシーンが少しだけあるのだが、報道の裏にはそれぞれの人のストーリーが、私たちと変わらない生活があるのだということを教えてくれている・・・のかもしれない。

 人はどんな人でも生きていくことが認められている。このどんな人という言葉に疑問がある人には聞きたい。
「その線引きは公正に決められたものか、そしてその線引きは不変なものか、最後に、それを思うのは自分が生きていくことが認められているからではないか。」
まず、線引きが公正かどうかは決めるのが人間であるがゆえに主観が入る。決めた当初は正しいことでも後から振り返れば間違っていたことなど、歴史を知っていればごまんと出てくる。ロボトミー手術なんてまさにその一例と言えるだろう。そして線引きが不変であるかは間違いなく不変などではない。派遣労働法が専門的な仕事から一般的な仕事にまで広がっているのは線引きが変わってしまったと言えるだろう。最後に自分が認められているというのは、絶対的なものではない。いつなぜといった具体的な話はできないが、線がある以上越える可能性はあり、そして線そのものが自分を越える可能性があることを失念してはいないだろうか。そういったことを常日頃から思っているせいか、私はこの万引き家族の物語を、悪事を働いていたのだから当然の結末だなどという簡単な結論には至れないのである。そしてどうしたらよかったのだろうと悩んでしまう。基本的に、理想とは実現しないものだろう。その理想に近づくことはできる。現実を直視し、どうすればよくなるのだろうかという思考実験は無駄ではないと私は信じたい。

【追記】
次の日、起きると新しい事に気付いたのでここまで読んだ人は是非次のエントリも見てほしい。
http://qf4149.hatenablog.com/entry/2018/06/04/081519