考の証

要は健忘録

お酒やめたい、ではなくやめるという宣言。

「そういえば酒辞めるって言ってたのに飲んでるね」

 先週、上司にこう言われてしまった。やらかす度に酒をやめるといって、2週間くらいは飲まないけれど、結局は元に戻っている。意志が弱い。
 確かに今年に入ってから酒を飲む量が確実に増えていた。それは頻度の問題もあったが、明らかに酒を飲んだ時の自制が効いていなかったことも原因であろう。そのため、それまでも酒でやらかしたことはあったにしろ、今年はその回数が異常であったように思える。それは面倒な絡みをするだけであれば可愛いものの、他人と言い争うとか(それも面倒な絡みであるが)そういったものも多かった。酒が増えた原因はなんだろうか。自分でよく他人を誘って飲みに行くことが多かったと思うが、それだけであろうか。よくわからない。そういう気分だったのかもしれない。

 酒でやらかす回数が増えるに従って、その次の日に死にたくなる回数も増えていった。それは「Hangxiety」という症状である話を以前のブログで書いたが、まさにそれである。ただ二日酔いのせいというよりも、その時の話題や自分の話した内容に起因していることが多過ぎた。多分、他人にネタにされることも、自分で自分をネタにすることも、そのどちらにも疲れてしまったんだろうか。もうその辺りに生えている雑草の様に放置していてほしい。そういった後悔や死にたさを塗りつぶすほどの楽しみが自分には見出せていない。それでも、たまに会う友人との飲みは楽しかったりする事を考えると、疲れてしまったのは今勤めている会社の人間関係なのかもしれない。もう、飽きた。仕事内容というよりかは、もう人間関係を一新したい。会社から逃げ出したい。


 久し振りに日記としてのブログ更新をしようと思ったのは、永田カビさんの書いた「現実逃避をしていたらボロボロになった話」を読んだり、それを読んだ人の感想を見てしまったからだろう。何か、生きていることに対する遣る瀬無さを、誰かに伝えたかったのかもしれない。それは傷を舐め合う行為かもしれない。それでも別に良くて、ただこの息苦しさを感じているのが自分だけではない事をただただ知りたいだけ。知ったら何か良い方向に変わるかと言われれば、確実に変わることはない。ただ安心できるだけ。前の飲み会で、比較的年の近い人が暴飲暴食で内臓をやらかしている話を聞いて自分と似た人がいて安心したのと一緒である。同じ様な人がいるだけで救われるんだ。

 何か創作で誰かに響くことができたら格好良いなと思っていた。エッセイなんて特に読まなかったし、それに興味すら湧かなかった。でも「現実逃避をしていたらボロボロになった話」でもあった様に、エッセイというものは格好良いんだなって思った。自分の人生は何も特別なことはないものだけれど、別に他の人の人生が特別な訳もないんだ。ただ、伝えたいメッセージがあったりだとか、自分を受け入れるために綴っていたりだとか、そういった何らかの意図が特別なのかもしれない。そう考えると、基本的に物事はやるかやらないかの二択だと思っている自分が、そういった誰かに気持ちやら、思いやらを伝えようとしていないのはただの言い訳で、それは自分が一番嫌いなことだと気付いてしまった。そう、気付いてしまった。この、創作やらエッセイやら、そういった文字で誰かに響くものを書きたいというのは、まだリアルな人間関係の人たちには言えていない。せめてここで宣言して、何か楔を打ち込んでおきたいと思う。いつまで続くのかわからないし、覚えているかもわからないけど、そういう自分がいたことは覚えておきたい。

 何が自分にできるのだろうか。それは、さっき書いた創作の話もだけれど、仕事の話であったり、人生の話であったり、あらゆることに当て嵌まる。結局、ウダウダ言っているのは、自分の人生に自分が諦めきれていないんだ。現状が悪くないのは理解しつつ、まだ違うことができないかと思うだけで、何にも挑戦しない卑怯な諦め。このまま生きていくにしろ、なにかしらどこかで腹を括らなければ諦めだけが残るくだらない人生になりそうだ。

映画「JOKER」の感想と個人的な解釈

 はい、公開1週間以上経ってからやっとJOKERを見ましたのでブログを書いている次第です。JOKERはバットマンの敵くらいにしか知らないし、そもそもバットマンについてもジャスティス・リーグと公開日にやっていたダークナイトを見ただけで何にも知らない。バットマンって異常なタフさを持っているゴリマッチョという印象しかない。
 さて、そんな風にしか知らない映画を見に行く理由は「これ、汚い万引き家族だな?」という期待があったから。万引き家族はとてもいい映画で全てが良かった。そんな期待を胸に、仕事終わりに映画館へ駆け込み夜ご飯がわりのホットドッグをかきこみながら映画を見てました。



 最高でしたね。


 ゆっくりと丁寧に傷を抉り、塩を擦り込まれた後のJOKER登場のカタルシスが凄まじかった。ここまで後味の悪いカタルシスも中々ない。映画を見終わったときに後ろの大学生らしき人が「こんな観るのに疲れた映画は初めてだ」と言っていて、確かに精神的に疲れる映画であることは間違いない。でも一つ言わせてくれ。哭声の方が5千倍疲れるし、同じくらい面白いから見てね。


 初めの場面。閉店セールをやっている楽器屋の前で陽気なピエロが看板を持って宣伝していると、スラムに住むであろう少年たちに看板を奪われる。ピエロが追い掛けると少年たちは路地へ逃げ込み、追いついたと思った時に奪った看板でピエロの顔面を殴り、更に蹴って痛めつけてから金品を奪って去って行く。呻くピエロの絵を移しながら「JOKER」のタイトル。


 おっも。このピエロが主人公だよ。そしてゴッサムシティの治安わっる。


 主人公のアーサーは精神病を抱え、更にふとした時に笑いが意思とは無関係に出てしまう病(?)を持つ。アーサーが笑うのはラストシーンを除いて、決まって泣きそうな時に出ている。まるで泣きそうな自分を騙すようで痛々しかった。物語の初めでは、仕事があって、母がいて、コメディアンになるという夢があって、生活は確かに苦しいし、病気も抱えていたけれど、なんとか生活できていたアーサー。しかし物語が進むにつれて、仕事を失って同僚にも裏切られ、母との信用を失って自ら絆を断ちに行き、コメディアンになるという夢は大衆の笑い者になるという形で踏み躙られる。もともとアーサーを世界と繋げていた縁そのものが失われてしまった。

 地下鉄で身綺麗な格好をした若い三人の男に笑いが出てしまう持病で絡まれ、冒頭のシーンのように殴られ、蹴られた時に同僚から護身用に渡された銃で三人を殺してしまう。まだ、ここであれば戻れたかもしれない。でも、母親が書いた手紙を見てしまい、父親が今度の市長選に出るトーマス・ウェインであることが分かってしまう。当然、ウェインは(おそらく家政婦として働いていた)母親のことなど認知せず、アーサーは母親が養子縁組で引き取った子であることになっていることや、そのあとに母親とアーサーは付き合った男に暴力を振られ、母親は精神を病んだとして病院行きになったことをアーサーは知ってしまう。アーサーの中に父親(のような人)の記憶(ウェインはもちろん、母親と付き合っていた男)がないことや、その頃からアーサーは泣きもせず笑っていたということで、アーサーはこの頃からすでに狂い始めていたんだろうな。まあそんな諸々を知ってしまった上に、自分がコメディアンとしてクラブみたいなところのショーに出た時の映像がテレビで映されて笑い者として取り上げられてしまう。しかも、その番組はアーサーがコメディアンになろうとしたきっかけの一つである司会者のマレー本人が笑い者に仕立て上げていた。辛い。そんな精神状態で、もうまともではなかったんでしょう。劇中で脳卒中で倒れて入院していた母親を手に掛ける。そして母親が死んだことを聞きつけた同僚が家を訪ねてきたが、それは銃を渡したことを警察に隠すために口裏合わせしようとしに来ただけで、この同僚も殺してしまう。元々銃を渡した本人だし、仕事の雇い主に嘘を伝えていてアーサーが失職する原因の本人だからさ、まあそうだよね。ただそんな狂った状態でも、一緒に訪ねて来た他の同僚は自分に優しくしてくれていたということで見逃してしまうくらいには正常だったね。そして反響があったということでマレーの番組に呼ばれる。JOKERとして。


 見ていて辛かった。この辛さも苦しみも、最後のJOKERとしての登場で解放されるけど、この解放のされ方は好き嫌いがはっきり分かれそう。JOKERに共感できるか。共感にも色々あるけれど、仕事や病気といった様々な問題を抱えるアーサーに、貧困に埋もれて誰からの目にも入れないアーサーに、裕福な者たちの犠牲となったアーサーに。どんなアーサーに共感できるか。そしてJOKERになれるか。

 人は簡単に「こうすればいいのになぜしないのか」「そうなったのは自己責任」なんて言うけれど、それは余裕があって裕福な者たちからの何気無い言葉で、言われた方には礫が飛んできたも同然。そんなことができるのであれば、こうはなっていない。アーサーがどうしてそうなってしまったのか。物語の中ではアーサーは常に切り捨てられる弱者で、スラムのガキに、市の財政に、証券のリーマンに、同僚に、コメディアンに、何より実の父親に切り捨てられている。そこにアーサーの人格を見たものはいない。もちろん、母親にも見られていなかったからアーサーは手に掛けてしまった。そこにはアーサーの責任なんてないだろう。最後のマレーとの対談では、マレーは真っ当な価値観を持つ良い人なんだけれど、だからこそアーサーと向き合えずに殺された。そう、綺麗事とか倫理とか、理屈や正義なんてものに押し潰されて見えないものにされたアーサーにはそんな言葉全てが嘘に思えたんだろう。描かれなかったけれど、ゴッサムシティで暴動を起こしていたJOKERたちも、そんな押しつぶされて見えないものにされた人たちなんだろうな。


 JOKERになった人を救う方法なんてない。JOKERを救いたければ共にJOKERとして堕ちて、堕ち続けろ。


 見た人たちで議論が捗りそうな映画でした。

最近の雑感

 おおよそジムに通い始めて4ヶ月程が経つだろうか。人間ドッグの結果が健康の範疇にはありつつも悪く、ちょっとお腹も気になり始めたので筋トレを始めてみた。すると、やはりお腹は若干出ていたのであろう。昔のように腹筋が(割れるとまではいかないが)見えるようになって腹直筋の横も凹むようになり、ベルトが最近きついなぁと思っていたのが解消された。本当、危なかった。このタイミングでジムに行ってなかったら完璧に腹が出た中年コースに入るところであった。人間ドッグに感謝。
 それにしても、運動しなくなってやはり腕がだいぶ細くなったように思える。昔は上腕三頭筋がかなり太かったのにもうそんな面影はなく、さらに右腕と左腕の太さにかなりの差が出てしまっていた。一応ジムで筋トレをして3kg体重を増やそうという目標を立てているが、現時点で体重−1.5kgと減少しているだけなので、目標まであと4.5kgという逆に差が開いてしまった。会社に入ったばかり、よく新社会人あるあるのジムに行って半年で終わるというやつを私もやっていた訳だが、その頃は半年で3kg増えたので簡単に達成できるかと思いきや結構難しそうだなと思い始めた。ちゃんと真面目に食事から考えたほうがいいのだろうか。


 自分の体を動かそうとした時、鏡を見ればよくわかるのだが、自分の体は自分の思ったように動いていない。それに気付いてからは鏡を見ながら体を動かす際に、自分の思い描いた身体の位置と実際の身体の位置のズレを認識すること、そしてどの筋肉がどのように動いているかを認識してどの筋肉の動きがズレているのかを補正すると大分改善される。結局のところ勉強と同じで反復練習とトライアンドエラーが運動でも重要なのだということがわかれば、運動への苦手意識というものは大分軽減されると思う。団体競技についてはそう言えないが。色々スポーツを本気でやってみたいとも思うが、自分の関節や筋が弱く、すぐに傷めてしまう実績も持っているために中々踏み出せない。


 写真というものが苦手になったのはいつからだろうか。鏡で自分の顔を見るのは平気なのに、写真になった途端に見るのが無理になる。どちらも対して変わらないと思うし、むしろ写真の方がいつも他人から見られているものであるから、他人にとっては何も変わらないようなものであろうに、どうしても目を逸らしてしまう。以前に鏡に映る顔と他人から見られる顔は違うという話を見た記憶がある。どうやら「誰かに見られる」という意識が重要らしい。確かに、証明写真も機械で撮るのと人に撮られるのでは大分表情の印象が変わっていた。他にも、ふとした時の気の抜けた他人の顔なんて間抜けに見えてたりなんかもする。そんなことを考えるが、そもそも自分の顔が好きじゃないという一点しか原因は思い当たらない。多分、これは整形しても大して変わらないだろうし、そもそも自分が好きじゃないというのが原因だろうと思うと苦々しい気持ちにしかならない。いつまでそんな風に思うんだろうか。もはやペストマスクを着けて過ごしたい。一年中ハロウィンとかにならないかな。


 秋アニメに野崎まど原作のアニメがあるらしいと聞き、Amazonプライムで3話まで見れるとのことだったので早速見た。SFというかはホラー・ミステリチックなアニメだなと思った。あと人に当たる光と影の描き方が特徴的で、常に後ろの無限遠から光が当たっているような描き方をしている。正直、この辺りの美術的な知識は全くないのでどういった意味がある描き方かはわからないのでなんとも言えないが、ふとした時に変だなって感覚に陥る。
 話そのものは3話までの掴みは完璧。1話目で提起された謎が更に謎を呼ぶ。2話目で謎の中心にいる人物たちとの遭遇。3話目でその謎の一応の解決を示し、ではその動機はと繋げる。特に出てきた曲世愛のキャラ造形が本当に好み。最近の「顔が強い女」である。なんだその定義と自分でも思ったが、「自分が美女であることを認識し、それを武器に戦う女」が「顔が強い女」として個人的に思える定義かなと。アクタージュの百城千世子然り、異修羅の赤い紙箋のエレア然り、そう言ったキャラクター達ですね。単純に顔が良いキャラではないのがポイント。それにしても曲世愛はどういった思想の持ち主だろうか。ああいったキャラクターは大体本当の事は言わないけど嘘も言わないと勝手に認識しているが、「殺人は最悪」と宣言しつつも自殺へ導く彼女はどんな哲学を持っているのか。楽しみだな。

振り返りと「求められるもの」と「求めるもの」のお話

 先々週に見たHELLO WORLDの考察ブログ、どうやら一時期はGoogle検索の3番目ぐらいには出ていたようで、ブログを初めて以来すごいアクセス数になっていました。半年ぐらい前に書いたコードギアスのやつも結構反響あったみたいだけれど、HELLO WORLDは考察必須なSF映画ということでみんな調べていたみたいですね。すごい。映画見た後に原作小説も読んで大体自分の考察で訂正するところなくない?っていう謎の自信に溢れており、特に記事の更新等は考えていないです。


 でも、せっかくたくさんアクセスされたので、アクセス数ってやっぱり指数関数的に減少していくのかなって気になっていたことを調べてみました。その結果がこちら。

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記事投稿日数とアクセス数

 投稿から3日目が最もアクセス数が多かったので1,2日目の数字は消してみました。すると、月曜日→金曜日までは綺麗に指数関数の近似式に乗ってくれるんですね。ただ投稿8日目(土曜日)からはそれまでの近似式から外れて増えてますね。おそらく、映画を見て考察ブログを見ようした人の数が平日では大きく変動しない一方、土日ではその数が大きく増えることが原因でしょうか。だいたい予想通りの結果が得られて満足です。こういう話に詳しい人とどういう予測式書けばいいのか話せると凄い楽しそう。やっぱり仮説と実証の繰り返しこそが科学の真髄で、それが楽しいんですよね。


 さて、先週はアド・アストラとジョン・ウィック パラベラムの2本を見た訳ですが、同じ映画であっても客が求めるものが違えば評価が全然違うんだなと実感するばかり。

 アド・アストラはハードSFを装った家族愛に関する映画で、ストーリーは凹凸なく盛り上がりにかけるために「心拍数が80以上にならない」という作中のフレーズを使って酷評する人がいる一方、父親と息子、その息子と妻の関係から感動して好評している人もいるという感じで評価が二分されている。個人的には前者の感想で、作中のストーリーや設定などのあらが凄い気になってのめり込めなかった派です。チェーホフの銃がよく創作界隈では話に上がるけれど、やっぱりストーリーに関係のない話や設定は全てぶったぎっていったほうがいい。特に映画なんて2時間しか枠がない訳で、その中でストーリーと関係のない話をされても面白くないし、アド・アストラについて言えば必要なところだけを取れば30分くらいで終わりそうだし、そのおかげで宇宙の虚無を実感できる映画になっている。あとラストシーンのブラピのアレ、ちょっとあのプロット考えて通した人は反省してほしい。まあ、綺麗な宇宙のCGを観たい人が観ればいいんじゃないかな。

 対してジョン・ウィック。本作は3本目になる訳ですけど、こちらは言ってしまえばストーリーはどうでもいいんですよ。一作目なんて「亡くなった妻から送られた仔犬を殺し、愛車をパクったマフィアのバカ息子を殺すために引退した伝説の殺し屋がマフィアを潰す話」で、二作目は「マフィアを潰しておきながら闇社会に復帰する気のない伝説の殺し屋が、昔の誓約を楯に殺しを依頼してきたマフィアを潰す話」で、この三作目は「二作目で殺しが許されない殺し屋御用達のホテル内でマフィアのトップを殺したら追放されて全ての殺し屋から狙われる話」です。何言ってんだこいつ。まあ要はこの作品はキアヌ・リーヴス演じるジョン・ウィックのトンデモ暗殺芸を見る為だけのアクション映画なわけですね。正直、一作目からストーリーが冗長で詰まらなかったとは言え、ガンガン派手なアクションシーンがこれでもかと襲いかかってくるので、めちゃくちゃにはちゃめちゃに面白い映画です。凄い。この映画の何が凄いかって、ジョン・ウィックは必ず敵にヘッドショット入れるまで戦うし、敵も敵で腹とか肩に銃弾一発受けても普通に襲いかかってくるそのバイタリティのヤバさ。なんだこの世界。さらに作中世界の暗殺者の数が異常に多く、もはや全員が闇世界の住人なんだと思うし、街中で人が殺されても一般人が特に騒がない異常さがその錯覚に拍車をかけていく。一方で死んだ動物は最初のバカ息子が殺した仔犬だけで、それ以降死んでいない。むしろ、犬が殺されかけて激情してマフィア一つ潰しかけるぐらい愛犬家が多い。この世界、絶対に人より犬の方が命の価値が重い。そんなアクション映画なんですが、こちらはアクションを期待して観に言っている人の期待を全く裏切らないので評価が高い。中にはストーリーに苦言を呈している人もいるけど、母数的には少なくてみんなそんなこと分かっていながら、キアヌ・リーヴスの繰り広げるアクションに熱中している。


 この二作を比較すると、「監督が伝えたいこと」と「観客が作品に求めること」が合致しないとどんなに力を入れてもダメなんだなっていうのが凄い実感できる。そりゃ、肉料理を期待して入った店が魚料理しか出さない店だったらがっかりするよね。その点、最初に戻るけどHELLO WORLDなんか青春映画に見せかけたガチのハードSFだったから、逆にこれだけ好評価になっているっていうのは意外だとちょっと思っている。まあアニメで野崎まど脚本という点でそういうのを期待していった人が多いだろうし、そもそも3Dアニメの時点で見に行く層が限られていると思うのでそんなものかとも思う。

映画「HELLO WORLD」の考察 正書版

 流石に前のブログでは説明がごちゃごちゃしていたので、自分の整理も兼ねてもう一度考察をして正書してみる。

 [前回更新分]
qf4149.hatenablog.com


 理解を優先してラストシーンから考えて行きましょう。一行瑠璃は劇中で堅書直実と同様の手法で堅書直実のALLTAREからのサルベージを行なっていることは精神同調率を示すゲージから示唆されている。またこのラストシーンで個人としてはっきり描かれたのは一行瑠璃と堅書直実だけで、直実は脳死から復活しているためにこの描写からALLTAREからのサルベージを行ったのは瑠璃(もしくは瑠璃が作成したAI?)であることが確定する。

 ここでALLTAREについて振り返ってみると、ALLTAREとは量子記憶装置の名称であり、京都という都市全体で起きた事象の全録(パンフレットより)である。つまり、ALLTAREで再現されたデータ類は基本的に全て起きた事象であることを示している。

 この二つから、堅書直実が十年後の自分、先生と会う前の世界(分かりにくいのでオリジナルと以後呼称)の年表は以下のように考えられる。


【2027年】
 ・堅書直実が一行瑠璃と付き合う
  同年の花火大会にて落雷事故によって一行瑠璃が脳死状態に陥る

【2027〜37年】
 ・堅書直実は京斗大学の千古教授の研究発表(ALLTAREデータを用いた脳死マウスの復活)を聞き、
  ALLTAREを用いた一行瑠璃の脳死状態からの回復を目的として行動を開始する

 ・堅書直実が「クロニクル京都(ALLTAREを用いた都市の全事象の記録プロジェクト)」に参加、
  千古教授の元で研究員として出世し、システム管理者の権限を得る

 ・堅書直実はALLTAREへのダイヴシステムを完成させるが、その実験の最中に脊髄損傷の事故に遭い、左下肢麻痺となる。

【2037年】
 ・堅書直実がALLTAREへダイヴして一行瑠璃のサルベージを実行、一行瑠璃は脳死状態から回復する

 ・このサルベージのALLTAREへのダイヴ、もしくはサルベージ後のALLTAREの欠損データ修復作業など、
  何かしらの原因により堅書直実は脳死状態に陥る

【2037〜??年】
 堅書直実のデスクにある教授宛の手紙を千古教授が発見する(EDのワンシーン、おそらくここにラストシーンとの補完描写があると推定)
 千古教授とそのラボメンバーは堅書直実が一行瑠璃を救う為に行ったことを知る
 これ以降のどこかで一行瑠璃が堅書直実の計画を知り、同様の方法で堅書直実を救うことを決断する

【20??年】
 計画を実現すべく、一行瑠璃が堅書直実をサルベージするためにALLTAREへ三本足のカラスとしてダイヴする
 ダイヴ先は2037年のALLTAREで堅書直実が2027年にダイヴする前の記録時空間、
 もしくは2037年の堅書直実がダイヴした2027年の記録時空間(オリジナルのALLTARE内のALTTARE)のどちらか


 ということが出来事が、ALLTAREのデータ内で堅書直実と先生が会う前に起こったことである。そのため、本作はこのオリジナル世界、ALTTARE内の2037年の世界、ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界という三重の世界構造を理解することが必要不可欠であろう。ちなみに余談だけど、一行瑠璃のダイヴ先がどちらかなのか分からないのは、
①先生はカラスのことを元から知っている口振りであることから、オリジナルの2037年で用意したものと推定されるので、こちらから入った方が良い(気がする)
②ALLTARE内の2027年の堅書直実は先生が伏見稲荷にダイヴするよりも前に赤いオーロラとカラスを目撃していることから、カラスは堅書直実よりも早い段階でダイヴしている
という辺りが矛盾している気がするからである。そもそもオリジナル世界からダイヴしたALLTARE内2037年の世界から更にダイヴしたALLTARE内2027年に直接ダイヴするのは流石に無茶すぎる気がするから迷っているところではある。この辺りは考えてもわからないので放置しておこう。

 さて、一行瑠璃がALLTARE内へ三本足のカラスとしてダイヴしたのを当然のように話しているけれど、これはちゃんと理由がある。【ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界】にて先生が瑠璃をサルベージして世界が崩壊した後の論理物理干渉野(パンフレットより引用、崩壊した世界に神社だけがあった空間のこと)にて、堅書直実に三本足のカラスが「一行瑠璃を取り戻したいか」と問いかけているシーンがある。それまでに先生はカラスを道具のように扱っていたので、先生自身カラスに意思があると思っていなかった節がある。恐らくはオリジナル世界でも先生は自らALLTARE世界に道具としてカラスを持ち込んでいたと思われるので、このカラスに成り代わっていることが推測される。また【ALLTARE内の2037年の世界】でも三本足のカラスはあの異常事態の中でも堅書直実と一行瑠璃を元の世界へ還すための正解を知っていた。【ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界】でも【ALLTARE内の2037年の世界】でも異質な存在であるあのカラスはそのさらなる上位世界からやってきたと考えるのが妥当である。モチーフの話をすれば、この三本足のカラスは八咫烏のことを示していると思われるが、八咫烏は導きの神である。最初のシーンでは堅書直実を先生が現れる伏見稲荷へと、論理物理干渉野では堅書直実をALLTARE内の2037年の一行瑠璃の元へと、ALLTARE内の2037年では堅書直実と一行瑠璃を元の世界へとカラスが導いており、八咫烏の導きの神としての性質をこれでもかと見せている。加えて堅書直実の精神状態を同調させるという意味での導きもその中に含まれていると思われる。ALLTAREへのダイヴの際に姿形が変えられることは先生から説明(腕を機械に変えるなど実践もした)があったため、一行瑠璃が三本足のカラスとしてダイヴしたのも矛盾なく説明できる。
 ではなぜ一行瑠璃はオリジナル世界から二回もダイヴしなければならなかったのか。それは脳死状態からの回復には、脳死状態直前の精神状態をALLTARE内で再現してそのデータをサルベージする必要があるからである(劇中での説明あり)。そして脳死となった堅書直実は、2037年のALLTARE内の2027年へのダイヴが原因となってその状態となったからであろう(こっちは推測)。ただし、堅書直実はALLTARE内の2027年のダイヴそのものは成功していたが、その後処理を間違えたために脳死状態となったという仮説の方が有力であろう。これは先生が瑠璃のサルベージの際には脳死状態に陥った落雷事故が起きるまで待っていたこと、堅書直美がオリジナル世界にサルベージされたのは京都駅の階段上で自分と握手して【ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界】の堅書直実が元の世界へ戻る際に光へと変化したことから推測できる。この辺りの詳細についてはスピンオフアニメの方で説明があるかもしれない。

 ちなみに三本足のカラスは一行瑠璃であるとして説明を続けてきたけど、これ本当は一行瑠璃のアバターではなく、一行瑠璃(とラボメンバー)が作成した人工知能である可能性も捨てきれない。ALLTARE内の2037年の世界にて、同一座標に同一人物が複数存在するということをALLTAREがエラーとして認識して、具体的には一行瑠璃を排除しようとしていた。ちなみに同一世界に同一人物が複数存在することは、【ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界】にて先生と堅書直実を排除しようとシステムは作動しなかったので問題はないように思えるが、【ALLTARE内の2037年の世界】では一行瑠璃が元の世界へ還った後に先生と堅書直実がエラー対象として認識されていたので、潜在的な危険性はありそう。オリジナル世界にて、堅書直実の回復を喜ぶ人間が結構な数描かれていたので、このサルベージは綿密に計画を立てていたのであろうし、そう考えるとわずかな危険も排除しようと人工知能を使うのも選択肢として十分にありえるかな、と。ただ、人間ではなく人工知能を用いるというのは臨機応変に対応が求められる場においてかなりのリスクもありそうだし、このメンバーはかなり議論したんだろうなぁ。


 そんなこんなで、HELLO WORLDとは堅書直実と先生のW主人公で一行瑠璃を助ける映画と思わせておきながら、実は一行瑠璃が自分を助けてくれた堅書直実を助け出すというストーリーなのでした。しかもオリジナル世界の堅書直美と【ALLTARE内の2037年のALLTARE内の2027年の世界】の堅書直実と一行瑠璃の三人を全て救うという超絶難易度のサルベージを成功させた一行瑠璃は描かれていなかったけど、相当に優秀な人だったんだろうな。

 そしてこの考察が正解だとすると、堅書直実と一行瑠璃って実は言うと一緒の時間を過ごした時間が極端に少なく、どちらかが起きている時にはどちらかは眠っているといういわばずっと片想いの時間が続く訳で、相当切ないストーリーだと思う。最初に堅書直実が一行瑠璃をサルベージした時、堅書直実は独りでほぼ狂気に染まりながら研究を続けていただろうし、一行瑠璃が堅書直実をサルベージする時には仲間がいただろうけど、自分のことをただひたすら十年間一人で救おうとした人のことを考えていただろうし、なんだこのカップル。これから末長く幸せになれよ。


 もはや自分がこの話の主人公を最後の一瞬しか出番のなかった成長した一行瑠璃として認識してるところがあるな。まあまだ色々思うところはあるし、仮説じみた考えもあるけれどこれ以上増やすともっと分からなくなりそうだなので、今回はこれまでにしておきましょう。

映画「HELLO WORLD」の感想と考察【追記】

9/22 0:30 この記事の考察をできるだけ分かりやすく書き直したので、ぜひこちらもご覧ください。

qf4149.hatenablog.com


【起きてから悶々と考えていたらわかったことが増えたので、一番最後に追記しました。】


 久し振りのブログ更新は映画「HELLO WORLD」だよ。例のごとく、Twitterに載せた時に最初の文章が見えてしまうので文字数稼ぎでもしましょう。

 ひとまずみなさま、異修羅を読みましょう。カクヨムで無料で読めるし、なんと(現実世界で)課金すれば12万字書き下しされた小説が今なら読めるのです。12万字って凄くないですか?最初の修羅エピソードで一巻終わるじゃんと言われてたのに、蓋を開けてみれば読者自称者が知らない修羅エピソードが、更に知らない物語が展開されていて、そもそも一巻で全修羅の紹介が終わらないという謎の展開。著者も編集も修羅であることは間違いない。能力バトルが好きな方や最強が好きな方、たった一人の勇者を決めるために修羅たちが行うトーナメント戦をぜひ読んで見てください。では、そろそろ本題へ。



 映画「HELLO WORLD」は最後の1秒で全てがひっくり返るとの番宣の通り、最後のシーンでちゃぶ台をひっくり返されたような物語でした。ただストーリーや設定、この映画がSFであること考慮すれば、ただのちゃぶ台返しにあらず、物語中のイベントやキャラクター、設定を丁寧に洗い出せばあの結末を理解できるものだと思う。そういうことで、今回は感想と、最初に一回見ただけでパンフレットにも目を通していないけれど、(穴だらけであろう)考察を自己満足でして見ることにする。


 映画の感想としては、アニメで結構分かり易いように見せかけておいてガチガチのSFだったなって思いました。考察でも書くように、丁寧に話を追っていけばあの最後のシーンに辿り着けると思えるように描かれている、という気がする。頭悪くてたどり着けてないからあくまでも気がするだけど。こういう作品がもっと増えてくれると嬉しいね。単純に流して楽しい物語もいいけど、しっかり頭使って没頭させてくれるの超好き。っていうか野崎まどさんの書くストーリーがだいたい好き。もっと書いて欲しい。最近日本のSF死んでるとか衰退してるとかわいわいみんな言ってたけど、全然死んでないよ。とりあえずそんなこと言ってた人たちはみんな目をかっぽじってこの作品見て。お願い。SFの観点以外だと、瑠璃と直実ラブストーリーがすごく良い。付き合えた期間はすごい短いけど、ただひたすらに互いを思い合って互いを助けようとするところとか、先生に対する瑠璃のセリフとかきゅんきゅん来る。その後の先生の泣きながら言うセリフも切なくていい。というか、先生という存在が切なすぎてちょっと辛いけど、満足して逝ってくれてちょっと助かった。後、野崎まど脚本であるから、きっと超絶理不尽級に優秀で強い女の子に振り回される男主人公の物語かなと思ったけど、そんな女の子はいませんでした。でも最後に出てきた瑠璃さん超可愛くない?きっとあの瑠璃さんは描写こそされなかったけど、後の考察でもあるようにALLTARAからサルベージすることを考えて二重にALLTARAへダイヴして成功させるような人だから多分超絶優秀なんだと思う。いや、ていうかそもそも学生時代から瑠璃可愛かったし、そこについては先生に超同意する。あの子を可愛くないという男は男ではない。あと名前覚えてないけど、モテてたゆるふわ系女子。直実と瑠璃の関係をずっと追ってたから、この子が先生と敵対する別にダイヴしてた子かと思ってたけど全然そんなことはなかったぜ。ただのゆるふわ系女子だった。でも赤ずきんが可愛かったのと、瑠璃にメイド服を来させてたから超大切なポジション。間違いない。物語に直接関係ないところで言えば、京都が舞台だったから所々の場面が「あ〜ここね」みたいに分かって優越感があった。あと、京都駅に直実と瑠璃が行くシーンで東寺駅の近くの交差点からイオンモールが見えるシーンがあって、「今そこのイオンモールでこの映画見てるよ〜」ってなってめっちゃ面白かった。


 で、ここからが考察なんだけど、最後の1秒でひっくり返るというのは、この物語が「堅書直実が一行瑠璃を助ける」だと思わせながら、実は「一行瑠璃が堅書直実を助ける」ものであることを、より正確に言えば「堅書直実が助けた一行瑠璃が堅書直実を助ける」というものであることだよね。ひとまず、考察のために物語からまず設定を抜き出す。ちなみに世界A'とか世界αとか勝手に名前付けているのは最後に残してある書き起こしたあらすじから取ってきてるので、先にそっち見た方がわかり易いかも。

⑴ALLTARAとはこれまで起きた事象を全て記録したデータベースであること。

⑵ALLTARAへダイヴした際にはアバターを自由に変更することができる。
 実際、世界A'では先生は左足を引きずっていない。

⑶千古教授の研究より、マウス等の実験からALLTARAのデータを利用することで脳死状態の生物を回復させることができると判明している。
 これを人に応用するにはALLTARAのデータと脳死状態になった際の人の精神状態を同調させることが必要である。

脳死状態の人との精神状態の同調はALLTARAデータをそのまま抜き出すことではできず、
 ALLTARA内へ現実世界の人間がダイヴしてもう一度その記録を再現して行く必要がある。
 (先生が失敗して脊髄損傷をしても何度もALLTARAへのダイヴを敢行したことから推定)

⑸三本足のカラスは、先生と居た時には一度も喋らず、先生自身もカラスを道具として認識していたが、カラスには自意識があったことが分かっている。

⑹先生のいた世界もALLTARA内に記録されたデータであった。

⑺ALLTARA内に同一個体が複数存在した場合、それをシステムはエラーとして判断してその個体を殺そうとする。

⑻ALLTARAは記録装置であるとともにパラレルワールドを構築することのできるポテンシャルを持つことが示唆されている。

⑼世界αにて、一行瑠璃はALLTARAから堅書直実の意識をサルベージすることによって脳死状態から直実を救った。


 これらの設定(というかストーリー?)が最後の描写を理解するために必要だと思われる。

 ⑼の状態より、逆説的に直実は瑠璃を救ったために世界αにて脳死状態になったと思われる。また、瑠璃が直実を助けてハッピーエンドということから、その後には修復システムが現れないことを示している。つまり世界αこそがALLTARAを創り出した最初の世界と思う、多分。いや違うかも、ここは自信ないわ。この世界αで瑠璃は自身が直実にされたように⑶のALLTARAからのサルベージによる直実の救出を考案する。このALLTARAは世界αを記録したものであり、すなわちそれが⑹より世界Aであると考えられる。また、世界A'に直実がダイヴしたように世界αから世界Aへのダイヴが必要になる。世界αで個人がわかる描写がなされたのは一行瑠璃だけなので、世界Aや世界A'にダイヴしたのは一行瑠璃であると考えられるが、そのような描写は世界Aや世界A'にはなかった。ここで⑵よりアバターは自由に変更できること、⑷のカラスには自意識があったことから、おそらく一行瑠璃は三本足のカラスとして世界Aと世界A'でダイヴしており、グッドデザインの能力はおそらく瑠璃が付加したものであると推測される。アバターの変更は⑺のシステムから同一個体として認識されないようにする抜け道と⑶の直実の精神状態を同調させるために瑠璃としてダイヴすることにはリスクがあったという2つの理由が挙げられるだろう。


 というところまでは分かった。けど結局分からないのは、この物語の起点となったイベントが何であったかということ。

①なぜ直実は脳死状態に陥ってしまったのか。
 瑠璃をALLTARAからサルベージした際に意識をALLTARA内へ残してしまった?(世界Aで消えた直実が世界αの直実?)

②瑠璃のいる世界αがオリジナル世界であれば、世界Aから世界A'へのダイヴが必要になるのかが不明。
 つまるところ、なぜ世界αの直実は世界Aへダイヴしてから更に世界A'にまでダイヴする必要があったのか。ループ説?

③世界αにて、瑠璃や直実のいる場所がなぜ月面基地なのか。意味のない描写をED直前に持ってくるのはないと思うので、理由があると思うけどわからん。


作中でも直実が好きなものがSFであることと描写されているし、この映画自体がSFであると思えば、あの最後の場面自体は作中の描写だけで導けると思うのだけれど、わからん。全然わからん。とりあえず、明日パンフレットを読んだり、ほかの人の考察を読んだりして見ます。


おやすみとこんどりあ〜。

 最後に、消すのも勿体ないので考察をするために自分で書き起こしたあらすじを残しておきます。ただのネタバレなので、読むときはできれば映画を見てから読んで欲しいです。

〜あらすじ〜

【世界A' ー 主人公、堅書直実が生きる世界】
 堅書直実はいつも通り図書館で本を読んだ帰り、空に赤いオーロラが浮かんでいること目撃する。そのオーロラをみんなが見ている中、直実だけが見える三本足のカラスに図書館で借りた本を奪われてしまったので追い掛けた先、伏見稲荷神社で突如謎のデジタル空間から現れた男と出会う。男は未来から来た自分自身、十年後の堅書直実であると言い、自分が付き合ってすぐに雷に打たれて亡くなった恋人、一行瑠璃を助けたいことを伝える。十年後の自分(以降は作品通り先生と呼称する)曰く、直実が生きる世界は先生の世界で過去に起きた出来事を記録したデバイスALLTARA(⑴)の中であり、例えデータの中でも彼女の笑顔をもう一度見たいという⑵。直実は先生と協力することを決め、瑠璃と距離を詰めて恋人になるよう行動を開始するとともに、先生と一緒にいた三本足のカラスが変化したグッドデザインと呼ばれるALLTARA内でのデータ改竄システムを使いこなせるよう特訓を始める。瑠璃との関係は先生の現実で起きたことをなぞっていく事で順調に近づいていくが、古本市での一行瑠璃の祖父の本の焼失後の対応だけが変わってしまう(出来事1)。直実は消失を止めなかった先生を責め、グッドデザインによる本の再現を試み、負目のあった先生の協力を受けて無事焼失した本の一部を復元する。その復元した50冊程度の本を直実は他の場所に置いてあったものを見つけたと言って瑠璃に渡すが、瑠璃はその中で実際に焼失したことを確認した本を見つけ、直実が何らかの方法で本を集め直したことを察する。古本市自体は他の生徒の協力もあって無事成功し、その日に直実は瑠璃に告白して付き合うこととなった。
 瑠璃との関係を縮めていく中で特訓していたグッドデザインも使いこなせるようになった頃、瑠璃が死んだ花火大会が開催される日となった。直実は先生の助言通り、瑠璃を花火大会へは連れて行かなかったが、記録との乖離を感知したALLTARAの修復システム(工事現場員の格好に狐面を被ったアバター)が乖離を修復するために動き出す。直実は修復システムと戦うが、その数の多さに押されて自宅にいた瑠璃と接触、直実とともに瑠璃を花火大会で雷に打たれた地点へと転送する。直実はグッドデザインを用いて雷を無効化して瑠璃を助けることに成功するが、ここで先生が介入する。先生は瑠璃が死んだのではなく脳死となったこと、脳死状態から回復させるためにALLTARA内のデータを利用し、脳死した時点での精神状態と同期した今の瑠璃を現実世界へサルベージすることによって瑠璃の意識を目覚めさせることが本当の目的であったと直実へ伝える(⑶)。先生により瑠璃は現実世界へサルベージされてALLTARA内から消え、先生も現実世界へ帰還したことからグッドデザインもなくなり、直実は先生の裏切りと瑠璃の消失から絶望する。

【世界A ー 先生が生きる世界】
 ALLTARAから瑠璃の意識をサルベージしたことにより、瑠璃は脳死状態から回復する。先生はこの世界で京斗大学の千古教授の下で働いており、ALLTARAのシステム管理者を任されるようになっている。この管理者としての立場を用いてALLTARAからのサルベージを行なったが、この作業に必要なALLTARA内へのダイヴには相当数の失敗があり、その時の事故の影響で脊髄を損傷、左足が麻痺している(⑷)。また瑠璃の意識をサルベージしたことにより、ALLTARA内ではデータ欠損が発生しており、システムによる修復だけでは回復できない事態に陥っていた。千古教授はデータ欠損の復元のため、ALLTARAの再起動を提案。先生はALLTARA内の直実を思うが、この再起動を行うことに同意してシステムを作動させる。

【世界A'】
 失意に暮れる直実であったが、修復システムによる世界のデータ分解を目の当たりにし、先生から自らがデータであると伝えられていることを思い出し、死ぬことを悟る。しかし、崩壊する中で瑠璃が連れ去れた光を目撃、またこの世界では元の世界とは違った出来事1が起こっていることからこの崩壊に飲み込まれずに自らの意識を保てるのではないかと賭けに出て崩壊に飛び込む。崩壊した世界で直実は自分が死んだのかと疑問に思うが、三本足のカラスが目の前に現れる。カラスはこの三ヶ月間ともに過ごしたことで直実に協力したいと告げ、まだ直実が死んでいないこと、瑠璃を取り戻せることを告げる(⑸)。直実はもう一度瑠璃に会いたいと願い、三本足のカラスが再び右手に戻り、グッドデザインを使う。

【世界A】
 システムの再起動が始まり、その後の復旧までの空き時間に先生は脳死状態から戻った瑠璃に会いに行く。先生は瑠璃に十年眠っていたこと、もう一度会えてよかったことを伝えるが、瑠璃は先生が直実ではないことに気付く。その時、この世界でも狐面を被ったアバター、修復システムが現れ、先生は自分が生きている世界すらもALLTARA内であることに気付く(⑹)。(同時刻、ALLTARAから修復システムがとめどなく溢れるのを千古教授含め、ラボメンバーが目撃する。)修復システムは意識の戻った瑠璃に襲いかかり、その存在を消そうとするが、その時直実が現れ、グッドデザインを用いて修復システムから瑠璃を救う。先生は負い目を感じていた直実がグッドデザインを使って突然現れたこと、瑠璃が先生ではなく直実を求めていたことなどから狼狽して動けないでいた。直実は先生へ一発殴りを入れた後、瑠璃とともに元の世界への帰還を試みるため、三本足のカラスより伝えられた元の世界へ戻るための最適点として京都駅を目指す。グッドデザインの力を使いこなしてシステムを排除しながら駅を目指すが目的地のそばで追い込まれてしまう。そこに先生が車で現れ、直実と瑠璃を助け、京都駅へと無事に到着する。直実がグッドデザインを使って元の世界へと戻るためのゲートを設定している間、瑠璃は先生が何者であるかを問う。先生は自分も直実であることを隠すが、その会話の何気無い一言で瑠璃は先生が直実であることに気付き、自分を助けようとした先生へ感謝の思いを伝える。直実がゲートを設置し終え、瑠璃はそのゲートを潜り抜ける。直実もそのゲートを潜ろうとしたとき、超合体して巨大化した修復システムに襲われてゲートが破損、今度は直実と先生が修復システムから襲われる。先生は瑠璃が修復システムに殺されそうになったことから、同じ次元に同一人物が二人いることを異常として認知してるいることに気付き(⑺)、直実に自分を殺すよう提案するが直実は拒否する。修復システムに直実が殺されかけたとき、先生が身を呈して庇って直実を助ける。同時刻、この異常事態を止めるためにALLTARAのスイッチ(ブレーカー?)をオフにしてシャットダウンさせようとする。その際、エラーを修復せずにALLTARAを止めるとエラーがループすることで情報量が無限大に発散、どのような事態になるか想定できないとラボメンバーは千古教授へ反対するが、教授はそれが「開闢」であると予言する。そしてALLTARAのスイッチがオフとなったとき、先生は光となって消え、直実は元の世界へと飛ばされる。教授やラボメンバーは目の前のALLTARAが消失していることに驚くが、教授はALLTARAがもはやデータ記録装置ではなくなり、別の世界となったことを告げる。その世界で直実は瑠璃と再開し、瑠璃がこの世界は元の世界であるか尋ねると、直実はこの世界は誰も知らない、きっと新しい世界だと返した(⑻)。


(場面暗転、瑠璃がサルベージされたときに先生が見ていた精神同調率を示すゲージが100%を示す)


【世界α】
 誰かが目を開けるシーンから始まる。世界がボヤけて見えているが、遠くで「やった」「成功だ」など喜んでいる声が聞こえる。視界がクリアになっていくと同時に近くに誰かが立っていることに気付いたとき、その誰かが十年後の瑠璃であること、目を開けたのが直実であることがわかる。また、ラストの絵で瑠璃と直実がいるのは月面基地であることが描かれる(⑼)。


〜おわり〜



・追記 9/21 11:50

 なぜ瑠璃は二重ダイヴする必要があったのか。この答えがわかった。ALLTARAは世界の記憶装置であり起こった過去全てを再現できる。すなわち、2027年に瑠璃が雷に打たれて脳死となったこと、2037年に直実がALLTARAから瑠璃をサルベージさせたことは世界αで起こっていることを示唆しており、世界αは世界Aや世界A'の未来であることがわかる。また、未来世界である世界αで瑠璃が直実をサルベージした際に2037年を終点としたことから、直実は瑠璃をサルベージすることに成功したが同時にその結果として脳死状態になったことがわかり、その原因は2027年への直実のALLTARA内へのサルベージであることが推測できる。精神同調によるサルベージでは、先生が瑠璃を救う際にしたように過去を再現して精神同調率を上げていく必要があるからこそ、未来世界の世界αの瑠璃は2037年にダイヴした直実を介して2027年にダイヴする必要があったということだね。これで疑問点解決とともに、世界A'【世界αのALLTARAデータにある2037年のALLTARAデータの2027年】と世界A【世界αのALLTARAデータにある2037年】が世界αの過去であり同一世界であること、ゆえに世界αでALLTARAからサルベージを行っても世界αがオリジナルであるからこそ修復システムが作動せずに無事直実を帰還させられたことが理解できる。

 残る疑問点は、以下の二つ。

 ・直実が2037年の瑠璃のサルベージの際、なぜ脳死状態に陥ってしまったのか

 ・なぜラストシーンが月面基地なのか。

 未来世界へ直実の意識をサルベージしたシーンは、【世界αのALLTARAデータにある2037年】にて直美と先生が握手をして直美が元の世界へ戻されるところだと思う。あの時、【世界αのALLTARAデータにある2037年】にあったALLTARAは機能を停止して修復システムが作動していなかったので、先生がデータとして消えるのは矛盾する。加えて、最後の先生のシーンは光となって消えていくところなので、おそらくここが【世界αのALLTARAデータにある2037年】の終点である。でも、なぜここのシーンで直実の精神同調率が100%になったのかはわからない。最後の先生は直実と握手して二人の幸せを祈っていたが、実際に2037年にそうして直美と瑠璃を送り出していたら未来世界である世界αの瑠璃が存在できなくなる。【世界αのALLTARAデータにある2037年のALLTARAデータの2027年】にて、古本市の出来事で過去を同じように再現できなくても精神同調率は100%になることが明示されているから、瑠璃がカラスとしてダイヴした【世界αのALLTARAデータにある2037年】が2037年の事実と違っていて当然なんだけれど、この辺りは小説読んだりしないとわからないかな。

 あと、ラストシーンの月面基地はわからないけど、これは単純に直実のサルベージに瑠璃がかけた時間の比喩として現れてるのかな。

 ここまで考えてから、HELLOWORLDには直美と先生の二人主人公がいたけど、先生は先生で瑠璃を助け助けられ、無事二人は再開できたし、直実は瑠璃とともに世界αとは違う世界に生きていくことができたし、最高のハッピーエンドであることに気づいた。最高じゃん。誰も悲しまなくて済む優しい世界があるね。

一ヶ月以上下書きで熟成していたもの

削除するのも勿体無いし、そのまま投稿してしまいましよう。

 ゴールデンウィーク中に更新しようと思っていたのに、なんだかんだAmazon primeで時間を使ってしまって更新せず、仕事が始めるとこちらが忙しすぎてまたも更新せず。そんな中、ようやく時間が取れたので筆を執る。この場合、キーボードを叩くだろうか。それにしても今年の初めに書いたコードギアスのエントリにいまだにアクセスがあるのを見ると、話題となる作品について触れていくのはブログの発展に欠かせない要素なのだなと思うが、特にそういった欲求は今のところないので気が向いた作品について、気が向いたときに書いていこうと思う。

 今年のゴールデンウィークは十連休でしたが、みなさまいかがでしたか。弊社はブラック企業で有名な頃からGWやお盆といった長期連休は基本的に十連休だったので特に何も変化はありませんでした。今は残業もだいぶ減り、ホワイト企業の仲間入りをしたところでしょうが、今現在の社内の様子を見ているとこのままの状態で良いのかと頭を悩ませるばかりといったのが正直なところ。もともと成熟産業であり、次世代事業の次の芽を探しているところといっても、そういった基礎的なところは残業うぇるかむな(良い意味で狂った)人たちが必要だというのに、やれ働き方改革だ、やれ残業0だなどすでにサムスンで失敗した方針を打ち出している弊社というか、日本という社会は大丈夫なのだろうかと心配です。

 GWの間にはインターステラーを見てました。ほぼ3時間というボリュームたっぷりな映画で、内容としても純SFといった具合でだいぶ頭を使う映画でしたが、最後の展開で伏線を回収していく流れにはめちゃくちゃ興奮しました。こういった純SFは本当に好きで、最近(?)の映画だとメッセージがそれでした。科学技術っていうのは発展していけば本当に魔法のような世界が見えてくるのだろうかと期待してしまう。生きているうちに恒星間飛行や宇宙人とのコンタクトとかが実現できたら面白いと思うから、世の中の天文学者や宇宙のエンジニアリングの方には頑張っていただきたいです。

 ほかにもGWでは久しぶりにラノベを読みました。「名もなき竜に戦場を、穢れなき姫に楽園を」